関聖帝君覚世真経 / 第四段・善悪両途、禍福攸に分かる
神明鑒察,毫髮不紊,善惡兩途,禍福攸分,行善福報,作惡禍臨,我作斯語,願人奉行,言雖淺近,大益身心,
新字:神明鑒察,毫髪不紊,善悪両途,禍福攸分,行善福報,作悪禍臨,我作斯語,願人奉行,言雖浅近,大益身心,
書き下し
神明鑒察して、毫髪も紊れず。善悪両途、禍福攸に分かる。善を行へば福報あり、悪を作せば禍臨む。我れ斯の語を作す、人の奉行せんことを願ふ。言は浅近なりと雖も、大いに身心に益あり。
現代語訳
神々は見通していて、髪の毛ほどの乱れもありません。善と悪の二つの道によって、わざわいと幸いが分かれていきます。善を行えば福の報いがあり、悪を行えばわざわいが臨みます。わたしはこの言葉をつくりました。人がこれを実行してくれることを願います。言葉は浅く分かりやすいものですが、身と心に大きな益があります。
解説
目録を閉じて、この書の意図が語られる段です。善悪両途、禍福攸分という対句で、ここまでの善行と悪行の一覧をひとまとめにします。道は二つしかなく、どちらを歩くかで分かれるという単純な図式です。注目すべきは言雖浅近、大益身心という結びでしょう。自分の言葉は浅く分かりやすいと、書き手みずから認めています。深遠さを誇るのではなく、届くことを選んだという宣言です。事実この書は六百五十字ほどしかなく、四字の句がほとんどで、唱えて覚えられるように作られています。清代にこの書が広く読まれたのは、内容の新しさではなく、この形の選び方によるところが大きいでしょう。
この章句が説くこと
善悪禍福平易実行言葉
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