関聖帝君覚世真経 / 第一段・淫は万悪の首、孝は百行の先
況報應昭彰,不爽毫髮,淫為萬惡首,孝為百行先,
新字:況報応昭彰,不爽毫髪,淫為万悪首,孝為百行先,
書き下し
況んや報応昭彰にして、毫髪も爽はず。淫は万悪の首たり、孝は百行の先たり。
現代語訳
まして報いははっきりと現れ、髪の毛ほどの狂いもありません。みだらなことはあらゆる悪の筆頭であり、孝はあらゆる行いの先頭にあります。
解説
短い四句ですが、この書の価値の立て方が出ています。悪の代表に淫を、善の代表に孝を置きました。善書と呼ばれる清代の勧善書には、この二句がしばしば並んで現れます。孝を百行の先とするのは儒家の言い方をそのまま受けたものですが、淫を万悪の首とするところには、当時の民間道徳の重みの置き方が表れています。今日の感覚では、悪の筆頭は暴力や不正のほうだと感じる人が多いでしょう。そのずれごと読むのが、この種の書の付き合い方です。ここで押さえるべきは、悪にも善にも入口があるという発想のほうでしょう。どこから崩れ、どこから立て直すか。その一点を決めておくことが、この書の実践の出発点になります。
この章句が説くこと
報応淫孝善悪起点
関連する章句
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『十善法語』巻第十二・不邪見戒之下善悪報応ノ空シカラヌコトハ。古今聖賢ノ通義シヤ。易ニ積善ノ家ニハ必ス余慶アリ。積不善ノ家ニハ必ス余殃アリト。看ヨ。世間俗中スラカクアルシヤ。此言カ虚ナラスハ。業果アルモ信セラルル。正知見ニモ近カルヘキシヤ。仮令未タ三世アルコトヲ知ル地位ニ至ラスドモ。邪見トハ云レヌシヤ。又孔子ノ家語ニ。子貢問於孔子曰。死者有知乎。将無知乎。子曰。吾欲言死之有知。将恐孝子順孫妨生以送死。吾欲言死之無知。将恐不孝之子弃其親不葬。賜欲知死者有知与無知。非今之急。後自知之トアル。此等面白キコトシヤ。経中ニモ世尊ハ十八難ヲ答タマハストアル。死後去コトアリ去コトナキハ。自知セシムヘキ趣シヤ。
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『呻吟語』外篇・人情・死亡の時人を欺き得ず人己の善を說けば則ち喜び、人己の過ちを說けば則ち怒る。自家の善惡は自家真に知る。禍敗の時を待たば人を欺き得ず。人體の實を說けば則ち喜び、人體の虛を說けば則ち怒る。自家の病痛は自家獨り覺ゆ。死亡の時に到らば人を欺き得ず。
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
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『呻吟語』内篇・修身・寧ろ禍あるも惡を為すを肯んぜず善なる者は必ずしも福ならず、惡なる者は必ずしも禍ならず。君子は稔に之を知る。寧ろ禍あるも惡を為すを肯んぜず。忠直なる者は窮し、諛佞なる者は通ず。君子は稔に之を知る。寧ろ窮するも佞を為すを肯んぜず。但だ理に當然有るを知るのみに非ず、亦た其の心に已む容からざる所有るのみ。
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『正法眼蔵随聞記』巻四文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを悪と云ふと、亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、真実の善を見て行し、真実の悪を見てすつべきなり、僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、
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『呻吟語』内篇・修身・惡を為すに勉強無く、善を為すに自然無し惡を為すには再び個の勉強底沒く、善を為すには再び個の自然底沒し。學者此の念頭を勘破せば、寧ぞ愧ぢ奮はざらんや。