回天詩史 / 丘明馬遷空自企・発憤して書を著す 丘明・馬遷
丘明馬遷空自企嗚呼嫖姚定遠旣不可期。則此筆豈易投哉。司馬子長有言曰。昔西伯拘羑里演周易。孔子厄陳蔡作春秋。屈原放逐著離騷。左丘失明厥有國語。孫子臏脚而論兵法。不韋遷蜀世傳呂覽。韓非囚秦說難孤憤。詩三百篇大抵聖賢發憤之所作爲也。此人皆有所鬱結不得通其道也。當是時。子長亦遭禍。幽於縲紲。所以有斯感。而其史記五十餘萬言。永傳於後世。子長豈欺我哉。夫人之業。惰於安樂。勤於危苦。志立於寡欲。廢於多念。故困厄作知命之端。不遇爲發憤之地。尋常行路之人猶或然。況於純明剛毅之士乎。故曰天將降大任於斯人也。必先苦其心志。勞其筋骨。餓其體膚。空乏其身。行拂亂其所爲。子輿亦豈欺我哉。後世脩史述作。不及左丘司馬者。非啻其才學之高下深淺使之然。蓋其苦心發憤有所不足。而其鬱結於胸中者或有所泄於外也。昔者蘇子美讀漢書。至於張良狙擊秦政。則曰。惜乎擊之不中也。因滿引一太白。至於感君臣相遇之難。則亦復滿引一太白。蓋讀史者如此。而後爲善讀史。余謂讀史猶然。況於修史乎。大之神聖經綸之業。明良輔弼之蹟。小之風土民俗之美惡。錢穀布帛之消長。自忠義孝烈賢良知正之言行。至於亂臣賊子讒佞姦邪之心術。
新字:丘明馬遷空自企嗚呼嫖姚定遠既不可期。則此筆豈易投哉。司馬子長有言曰。昔西伯拘羑里演周易。孔子厄陳蔡作春秋。屈原放逐著離騷。左丘失明厥有国語。孫子臏脚而論兵法。不韋遷蜀世伝呂覧。韓非囚秦説難孤憤。詩三百篇大抵聖賢発憤之所作為也。此人皆有所鬱結不得通其道也。当是時。子長亦遭禍。幽於縲紲。所以有斯感。而其史記五十余万言。永伝於後世。子長豈欺我哉。夫人之業。惰於安楽。勤於危苦。志立於寡欲。廃於多念。故困厄作知命之端。不遇為発憤之地。尋常行路之人猶或然。況於純明剛毅之士乎。故曰天将降大任於斯人也。必先苦其心志。労其筋骨。餓其体膚。空乏其身。行払乱其所為。子輿亦豈欺我哉。後世脩史述作。不及左丘司馬者。非啻其才学之高下深浅使之然。蓋其苦心発憤有所不足。而其鬱結於胸中者或有所泄於外也。昔者蘇子美読漢書。至於張良狙撃秦政。則曰。惜乎撃之不中也。因満引一太白。至於感君臣相遇之難。則亦復満引一太白。蓋読史者如此。而後為善読史。余謂読史猶然。況於修史乎。大之神聖経綸之業。明良輔弼之跡。小之風土民俗之美悪。銭穀布帛之消長。自忠義孝烈賢良知正之言行。至於乱臣賊子讒佞姦邪之心術。
書き下し
丘明・馬遷、空しく自ら企つ。嗚呼、嫖姚・定遠は既に期すべからず。則ち此の筆、豈に投じ易からんや。司馬子長に言有り、曰く、昔西伯は羑里に拘せられて周易を演べ、孔子は陳蔡に厄して春秋を作り、屈原は放逐せられて離騒を著し、左丘は明を失ひて厥れ国語有り、孫子は脚を臏せられて兵法を論じ、不韋は蜀に遷されて世に呂覧を伝へ、韓非は秦に囚はれて説難・孤憤あり、詩三百篇は大抵聖賢の発憤の作為する所なり。此れ人皆鬱結する所有りて其の道を通ずるを得ざるなり、と。是の時に当たり、子長も亦た禍に遭ひ、縲紲に幽せらる。斯の感有る所以にして、其の史記五十余万言、永く後世に伝はる。子長、豈に我を欺かんや。夫れ人の業は、安楽に惰り、危苦に勤む。志は寡欲に立ち、多念に廃る。故に困厄は命を知るの端を作し、不遇は発憤の地と為る。尋常行路の人すら猶ほ或いは然り。況んや純明剛毅の士をや。故に曰く、天将に大任を斯の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、其の体膚を餓ゑしめ、其の身を空乏にし、行ひ其の為す所を払乱す、と。子輿も亦た豈に我を欺かんや。後世の史を脩め述作する者、左丘・司馬に及ばざるは、啻に其の才学の高下深浅の之をして然らしむるのみに非ず。蓋し其の苦心発憤の足らざる所有りて、其の胸中に鬱結する者の外に泄る所有るなり。昔者蘇子美、漢書を読み、張良の秦政を狙撃するに至りて、則ち曰く、惜しいかな撃ちて中らざるや、と。因りて満引すること一太白。君臣の相遇ふの難きを感ずるに至りては、則ち亦た復た満引すること一太白。蓋し史を読む者は此くの如くして、後に善く史を読むと為す。余謂へらく、史を読むすら猶ほ然り。況んや史を修むるにおいてをや。大にしては神聖経綸の業、明良輔弼の蹟、小にしては風土民俗の美悪、銭穀布帛の消長、忠義孝烈賢良知正の言行より、乱臣賊子讒佞姦邪の心術に至るまで、
現代語訳
左丘明や司馬遷のようになろうと、むなしく自ら企てています。ああ、嫖姚(霍去病)や定遠(班超)のようになることはもはや望めません。ならば、この筆をどうして簡単に投げ捨てられましょうか。司馬子長(司馬遷)に言葉があります。昔、西伯(文王)は羑里に捕らえられて『周易』を演べ、孔子は陳・蔡で困窮して『春秋』を作り、屈原は追放されて『離騒』を著し、左丘(左丘明)は失明して『国語』を残し、孫子は脚を切られて兵法を論じ、呂不韋は蜀に流されて『呂氏春秋』を世に伝え、韓非は秦に囚われて「説難」「孤憤」を作りました。『詩』三百篇も、大抵は聖賢が発憤して作ったものです。これらの人々は皆、鬱結するところがあって、その道を通じることができなかったからなのです、と。このとき、子長(司馬遷)もまた禍に遭って獄につながれていました。そうした感慨があったからこそ、その『史記』五十余万言が、永く後世に伝わったのです。子長が、どうして私を欺くでしょうか。そもそも人の営みは、安楽には怠り、危難や苦難には励むものです。志は欲が少ないときに立ち、思い煩いが多いときに廃れます。ですから、困窮や災厄は天命を知る端緒となり、不遇は発憤の場となります。ごくふつうの道行く人ですらそうです。まして純粋で聡明、剛毅な士ならなおさらです。だから言うのです。天がこの人に大任を降そうとするとき、必ずまずその心志を苦しめ、筋骨を疲れさせ、体を飢えさせ、身を窮乏させ、行いがその為そうとすることと食い違うようにさせる、と。子輿(孟子)もまた、どうして私を欺くでしょうか。後世の歴史を修めたり著述したりする者が、左丘や司馬遷に及ばないのは、単に才学の高低や深浅だけのせいではありません。おそらく、苦心と発憤が足りず、胸中に鬱結したものを外に吐き出すことが足りないからです。昔、蘇子美(蘇舜欽)は『漢書』を読み、張良が秦の始皇帝を狙撃した場面に至ると、「惜しいことに撃って当たらなかった」と言い、大きな杯で一杯の酒を飲み干しました。君臣がめぐり会うことの難しさに感じたところでは、また大杯で一杯飲み干しました。史を読む者はこのようであって、はじめてよく史を読むと言えます。私が思うに、史を読むことですらこうなのですから、まして史を修めることはなおさらです。大きくは聖人や神々の経綸の業、名君と賢臣が補い合った事績、小さくは風土や民俗の美しさと悪さ、金や穀物、布帛の増減、忠義孝烈、賢良知正の言行から、乱臣賊子、讒言や佞臣の心の内に至るまで、
解説
この章句が説くこと
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