回天詩史 / 丘明馬遷空自企・史を修める志と神皇正統記
凡事之關治亂盛衰者。必如身處其間。親視其曲折。或籌其謀略。或畫其形勢。尙友其人。尙論其世。一言不輕發。一事不妄叙。則文辭雖不甚巧。可以傳於不朽。而無愧矣。若其不然。則癡人之說夢也。俳優之奏技也。何足以觀世變明時勢。垂勸懲於將來也。恭惟神州質勝其文。其正史足取信者。寥寥固希。而六史以下。炳焉如日星者。未有及我大日本史者也。其曰鈔曰記。其他家乘日錄。汗牛充棟。而巍然如山嶽者莫神皇正統記若焉。(正統記之作。明國體正名分。實爲神州龜鑑。而不能無俊佛之累。嗚呼卓識如源准后。猶尙如此。邪說之惑世習俗之移人。可畏哉)素懷忠貞之節。遭世之喪亂。間關流寓千里漂泊。仰歎皇道之陵遲。伏憤奸兇之驕恣。想其痛心發憤果何如也。我贈亞相公。天錫勇智。兼文備武。雖身在外。乃心在王室。而九重深遠。不能效節於本朝。群小側目。不能展力於覇府。遠大之畧。抑而不發。有爲之志。屈而不伸。嗚呼二公所鬱結。旣已如此。則忠憤之所發。懸而爲日星。時而爲山嶽者。非偶然也。彪雖鹵莽。然胸中所鬱結。勢不得不發諸刪述。苟得附驥尾。鞭駑馬。仰炳焉之餘光。託魏然之末塵。則志願足矣。非所敢望也(五月二十九日錄)
新字:凡事之関治乱盛衰者。必如身処其間。親視其曲折。或籌其謀略。或画其形勢。尚友其人。尚論其世。一言不軽発。一事不妄叙。則文辞雖不甚巧。可以伝於不朽。而無愧矣。若其不然。則痴人之説夢也。俳優之奏技也。何足以観世変明時勢。垂勧懲於将来也。恭惟神州質勝其文。其正史足取信者。寥寥固希。而六史以下。炳焉如日星者。未有及我大日本史者也。其曰鈔曰記。其他家乗日録。汗牛充棟。而巍然如山嶽者莫神皇正統記若焉。(正統記之作。明国体正名分。実為神州亀鑑。而不能無俊仏之累。嗚呼卓識如源准后。猶尚如此。邪説之惑世習俗之移人。可畏哉)素懐忠貞之節。遭世之喪乱。間関流寓千里漂泊。仰嘆皇道之陵遅。伏憤奸兇之驕恣。想其痛心発憤果何如也。我贈亜相公。天錫勇智。兼文備武。雖身在外。乃心在王室。而九重深遠。不能効節於本朝。群小側目。不能展力於覇府。遠大之略。抑而不発。有為之志。屈而不伸。嗚呼二公所鬱結。既已如此。則忠憤之所発。懸而為日星。時而為山嶽者。非偶然也。彪雖鹵莽。然胸中所鬱結。勢不得不発諸刪述。苟得附驥尾。鞭駑馬。仰炳焉之余光。託魏然之末塵。則志願足矣。非所敢望也(五月二十九日録)
書き下し
凡そ事の治乱盛衰に関はる者は、必ず身其の間に処るが如く、親しく其の曲折を視、或いは其の謀略を籌り、或いは其の形勢を画き、其の人を尚友し、其の世を尚論し、一言も軽々しく発せず、一事も妄りに叙せずんば、則ち文辞は甚だ巧みならずと雖も、以て不朽に伝ふべくして愧づる無し。若し其れ然らずんば、則ち癡人の夢を説くなり、俳優の技を奏するなり。何ぞ以て世変を観、時勢を明らかにし、勧懲を将来に垂るるに足らんや。恭しく惟ふに、神州は質、文に勝つ。其の正史の信を取るに足る者は、寥寥として固より希なり。而して六史以下、炳焉として日星の如き者は、未だ我が大日本史に及ぶ者有らず。其の鈔と曰ひ記と曰ひ、其の他の家乗・日録は、汗牛充棟なり。而して巍然として山嶽の如き者は、神皇正統記に若くは莫し。(正統記の作は、国体を明らかにし名分を正し、実に神州の亀鑑為り。而れども浮屠の累無き能はず。嗚呼、卓識なる源准后すら、猶ほ尚ほ此くの如し。邪説の世を惑はし、習俗の人を移すこと、畏るべきかな)素より忠貞の節を懐き、世の喪乱に遭ひ、間関流寓し千里漂泊し、仰ぎて皇道の陵遅を歎き、伏して奸兇の驕恣を憤る。其の痛心発憤、果たして何如ならんかを想ふ。我が贈亜相公は、天、勇智を錫ひ、文を兼ね武を備ふ。身は外に在りと雖も、乃ち心は王室に在り。而るに九重深遠にして、節を本朝に効す能はず、群小側目して、力を覇府に展ぶる能はず。遠大の略は抑へられて発せず、有為の志は屈して伸びず。嗚呼二公の鬱結する所、既に此くの如し。則ち忠憤の発する所、懸かりては日星と為り、時に山嶽と為る者、偶然に非ざるなり。彪は鹵莽なりと雖も、胸中に鬱結する所、勢ひ刪述に発せざるを得ず。苟も驥尾に附し、駑馬に鞭うつを得、炳焉たるの余光を仰ぎ、魏然たる末塵に託せば、則ち志願は足れり。敢へて望む所に非ざるなり。(五月二十九日録す)
現代語訳
およそ国の治乱盛衰に関わる事柄は、必ず自分がその場に身を置いているように、親しくその曲折を見、あるいはその謀略を考え、あるいはその形勢を描き、その人を友とし、その世を論じて、一言も軽々しく発せず、一事もみだりに記さなければ、文章はさほど巧みでなくても、不朽に伝えることができ、恥じることはありません。もしそうでなければ、愚か者が夢を語り、俳優が芸をするようなものです。それでどうして世の変化を見て、時勢を明らかにし、勧善懲悪を将来に伝えるに足りましょうか。謹んで思うに、日本は質朴が文飾に勝ります。正史で信頼するに足るものは、数が少なく稀です。そして六国史以下、日月星のように輝くものは、わが『大日本史』に及ぶものはありません。抄といい記といい、その他の家の記録や日記は、車に積めば牛が汗をかき、家に積めば棟まで届くほど多くあります。しかし、巍然として山岳のようなものは、『神皇正統記』に及ぶものはありません。(正統記の作は、国体を明らかにし、名分を正すもので、実に日本の手本です。しかし、仏教の影響を免れてはいません。ああ、卓越した見識を持つ源准后(北畠親房)でさえ、なお、このようです。邪説が世を惑わし、習俗が人を変えることは、恐るべきことです)もともと忠貞の節を懐き、世の喪乱に遭い、苦難を重ねて各地を流れ、千里を漂泊して、天を仰いで皇道の衰えを嘆き、うつむいて奸悪な者の驕りを憤りました。その心の痛みと発憤は、いかばかりだったかと想像します。わが贈亜相公(義公、光圀のこと)は、天が勇気と智を授け、文を兼ね武を備えておられました。身は外にあっても、心は王室にありました。しかし、宮中は深く遠く、朝廷のために節を尽くすことができず、小人たちが横目で睨むので、幕府の下で力を展ばすこともできませんでした。遠大な計略は抑えられて発せず、事をなす志は屈して伸びませんでした。ああ、二公(親房と光圀)の鬱結したものはこのようでした。そうであれば、その忠義の憤りが発したところ、天にかかれば日月星となり、時に山岳となったことは、偶然ではありません。私は粗忽ではありますが、胸中に鬱結したものを、どうしても著述や編集に発しないではいられません。もし駿馬の尾に付き、駑馬に鞭を打って後を追うことができ、輝く余光を仰ぎ、巍然たる末の塵に身を託せるなら、志願は満たされます。敢えて望むところではありません。(五月二十九日に記す)
解説
この章句が説くこと
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