回天詩史 / 自驚塵垢盈皮膚・柳宗元の謫居の苦と禁錮の実情
自驚塵垢盈皮膚余嘗讀柳宗元文。至於其叙謫居之苦曰。一搔皮膚塵垢盈爪。愛其文之極奇。而疑其言之浮實也。今處實地。始信其言之不妄矣。余之被禁錮也。旣自閉戸默處。亡幾監察府僚吏。率工而來。檢視舍之東西及南北隣之境。凡有寸隙者。皆以板塞之。最後又以板掩門戸。固釘而去。雖奴僕理不能出入。然米鹽不繼。薪水不通。飢渴而死。則亦恐非所禁錮之意。於是請北隣主人鑪氏。竊穿其牆。濶可横身。(余家素貧。至是益窮。衣服器物齎來自鄕者。沾却殆盡。猶有二輛。竊約賣於一賈人。而無門戸可通乃止。一俗吏與余親者。聞之謂余曰。甚哉先生之迂也。苟欲得金。則作一券以輛當債。何必沾却之爲。余從其術。賈人不可曰。凡取物於己。貸金於彼。所以爲質。今輛在夫子之舍。又貸金於夫子。奚在其爲質。僕安特一紙券書。而待夫子門戸之開哉。余服其理。不能復詰。毎乏酒錢。熟視輛自失耳。亦可憫笑)自是奴僕得因鑪氏之門而出入。然監察僚屬。時時巡視舍外。以故家奴汲井率不過一日一再。僅供朝夕爨炊之用耳。
新字:自驚塵垢盈皮膚余嘗読柳宗元文。至於其叙謫居之苦曰。一搔皮膚塵垢盈爪。愛其文之極奇。而疑其言之浮実也。今処実地。始信其言之不妄矣。余之被禁錮也。既自閉戸黙処。亡幾監察府僚吏。率工而来。検視舎之東西及南北隣之境。凡有寸隙者。皆以板塞之。最後又以板掩門戸。固釘而去。雖奴僕理不能出入。然米塩不継。薪水不通。飢渇而死。則亦恐非所禁錮之意。於是請北隣主人鑪氏。窃穿其牆。濶可横身。(余家素貧。至是益窮。衣服器物齎来自郷者。沾却殆尽。猶有二輛。窃約売於一賈人。而無門戸可通乃止。一俗吏与余親者。聞之謂余曰。甚哉先生之迂也。苟欲得金。則作一券以輛当債。何必沾却之為。余従其術。賈人不可曰。凡取物於己。貸金於彼。所以為質。今輛在夫子之舎。又貸金於夫子。奚在其為質。僕安特一紙券書。而待夫子門戸之開哉。余服其理。不能復詰。毎乏酒銭。熟視輛自失耳。亦可憫笑)自是奴僕得因鑪氏之門而出入。然監察僚属。時時巡視舎外。以故家奴汲井率不過一日一再。僅供朝夕爨炊之用耳。
書き下し
自ら驚く塵垢の皮膚に盈つるに。余嘗て柳宗元の文を読み、其の謫居の苦を叙して曰く、一たび皮膚を搔けば塵垢爪に盈つ、と云ふに至る。其の文の極めて奇なるを愛し、而して其の言の浮実を疑ふ。今実地に処りて、始めて其の言の妄ならざるを信ず。余の禁錮せらるるや、既に自ら戸を閉ぢて黙処す。亡幾(いくばくもなく)監察府の僚吏、工を率ゐて来たり、舎の東西及び南北の隣の境を検視し、凡そ寸隙有る者は皆板を以て之を塞ぐ。最後に又板を以て門戸を掩ひ、固く釘うちて去る。奴僕と雖も理として出入する能はず。然れども米塩継がず、薪水通ぜず、飢渇して死せば、則ち亦た禁錮する所の意に非ざるを恐る。是に於いて北隣の主人鑪氏に請ひ、竊かに其の牆を穿つ。濶きこと身を横たふべし。(余が家は素より貧し。是に至りて益々窮す。衣服器物の郷より齎し来たる者、沽却して殆ど尽く。猶ほ二輛有り。竊かに一賈人に売らんと約すも、門戸の通ずべき無くして止む。一俗吏の余に親しき者、之を聞きて余に謂ひて曰く、甚だしいかな先生の迂なるや。苟も金を得んと欲せば、則ち一券を作りて輛を以て債に当てよ。何ぞ必ずしも沽却を之れ為さん、と。余其の術に従ふ。賈人、可とせずして曰く、凡そ物を己に取り、金を彼に貸すは、質を為す所以なり。今輛は夫子の舎に在り。又金を夫子に貸す。奚(なん)ぞ其の質たるに在らん。僕は安んぞ特に一紙の券書にて、夫子の門戸の開くを待たんや、と。余其の理に服し、復た詰る能はず。酒銭に乏しき毎に、熟く輛を視て自失するのみ。亦た憫笑すべし)是より奴僕は鑪氏の門に因りて出入するを得たり。然れども監察の僚属、時時に舎外を巡視す。以て家奴の井を汲むは、率ね一日に一再に過ぎず。僅かに朝夕の爨炊の用に供するのみ。
現代語訳
驚くことに、塵や垢が皮膚に満ちています。私はかつて柳宗元の文章を読み、配所での苦しみを述べて、一度皮膚を搔けば塵垢が爪に満ちる、と言うところに至りました。その文章が非常に珍しいのを愛しましたが、その言葉が誇張ではないかと疑っていました。いま実際にその境遇に置かれて、初めてその言葉が偽りでなかったと信じました。私が禁錮されたとき、すでに自分から戸を閉ざして黙って過ごしていました。ほどなく、監察府の役人が職人を連れて来て、家の東西、および南北の隣との境を検分し、わずかな隙間があるところはすべて板でふさぎました。最後にまた板で門や戸を覆い、固く釘を打って去りました。奴僕であっても出入りすることはできません。しかし、米や塩が続かず、薪や水も通じず、飢えと渇きで死ぬのは、おそらく禁錮の本来の意図ではないでしょう。そこで北の隣の主人の鑪氏に頼み、ひそかにその塀に穴を開けてもらいました。幅は身を横にして通れるほどです。(私の家はもともと貧しく、ここに至ってますます困窮しました。郷里から持ってきた衣服や道具類はほとんど売り尽くしましたが、まだ二つの輛(駕籠のような乗り物)が残っていました。ひそかにある商人に売る約束をしましたが、門戸が通じないので中止になりました。ある俗吏で私と親しい者がこれを聞いて私に言いました。先生はなんと世間知らずなのでしょう。金を得たいなら、証文を一通作って輛を担保に債務に当てればよいのです。わざわざ売り払う必要はありません、と。私はその方法に従いました。商人は承知せず、言いました。そもそも自分の物を相手から取り、金を向こうに貸すのは、質を取るためです。いま輛は先生の家にあり、さらに金を先生に貸すのでは、どこに質の意味があるでしょうか。私はただの一枚の証文で、先生の門戸が開くのを待つわけにはいきません、と。私はその理に服し、それ以上は問いただせませんでした。酒代が足りなくなるたびに、輛をじっと見て茫然とするばかりでした。これもまた憐れで笑うべきことです)こうして、奴僕は鑪氏の門を通って出入りできるようになりました。ただ、監察の下役が時折、家の外を巡視するので、家の下男が井戸の水を汲むのは、一日に一、二度にすぎません。ほんの朝夕の炊事の用に足りる程度です。
解説
この章句が説くこと
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