回天詩史 / 刀水・江戸往来・君臣丸の船旅と二十五回目の刀水
比至潮來。小艇蓋三百餘。民亦以千數。公命郡吏。具大樽於岸。撤蓋酌酒。盛諸巨椀。賜民之牽纜者。民喜而傾之。猶長鯨之吸百川也。明日亦擬舟行。適風波險惡。乃陸行抵小川而館焉。又明日抵海老澤。乘輕飈丸(君臣。輕飈。皆船名)過蒜湖。泝那珂水而歸城。是行也。彪與執政戶田番頭中村等陪從。其侍舟中也。近臣吹管而奏樂。舟子扣舷而發歌。旣飽酒肴之賜。又覽觀江山之勝。時方盛夏。而清風四至。眼界豁然。不復知炎熱爲何物。眞一時之壯遊也。今玆甲辰。幕府命公參府。彪又從焉。公遂致仕。幽居駒籠邸。彪等則禁錮於小石川邸舍。屈指而數之。凡往來渡刀根之水者。至是旣二十五回矣。蘇東坡詩云。便合與官充水手。此生何曾略知津。今東湖居士諳熟於武常之路。亦不在尋常驛使之下也。屏處默坐。仰望駒邸。憂老公之幽鬱或致病。俯憶故鄕。察阿母之痛心倚門。雖以彪頑鈍。血淚沾臆者數矣。嗚呼天定勝人。老公之冤。一旦氷釋。飄然就閑於仙湖之上。彪輩亦少緩其禁。去而歸舊廬。奉萱堂膝下之歡者。不知其在何日也。刀水而有靈。則必俟彪之渡江。更添一回(五月十八日錄)
新字:比至潮来。小艇蓋三百余。民亦以千数。公命郡吏。具大樽於岸。撤蓋酌酒。盛諸巨椀。賜民之牽纜者。民喜而傾之。猶長鯨之吸百川也。明日亦擬舟行。適風波険悪。乃陸行抵小川而館焉。又明日抵海老沢。乗軽飈丸(君臣。軽飈。皆船名)過蒜湖。泝那珂水而帰城。是行也。彪与執政戸田番頭中村等陪従。其侍舟中也。近臣吹管而奏楽。舟子扣舷而発歌。既飽酒肴之賜。又覧観江山之勝。時方盛夏。而清風四至。眼界豁然。不復知炎熱為何物。真一時之壮遊也。今玆甲辰。幕府命公参府。彪又従焉。公遂致仕。幽居駒籠邸。彪等則禁錮於小石川邸舎。屈指而数之。凡往来渡刀根之水者。至是既二十五回矣。蘇東坡詩云。便合与官充水手。此生何曽略知津。今東湖居士諳熟於武常之路。亦不在尋常駅使之下也。屏処黙坐。仰望駒邸。憂老公之幽鬱或致病。俯憶故郷。察阿母之痛心倚門。雖以彪頑鈍。血涙沾臆者数矣。嗚呼天定勝人。老公之冤。一旦氷釈。飄然就閑於仙湖之上。彪輩亦少緩其禁。去而帰旧廬。奉萱堂膝下之歓者。不知其在何日也。刀水而有霊。則必俟彪之渡江。更添一回(五月十八日録)
書き下し
潮来に比ぶるまで、小艇蓋し三百餘、民も亦千を以て数う。公、郡吏に命じ、大樽を岸に具え、蓋を撤して酒を酌み、諸を巨椀に盛りて、纜を牽く民に賜う。民喜びて之を傾くること、猶お長鯨の百川を吸うがごとし。明日も亦舟行を擬す。適〻風波険悪にして、乃ち陸行して小川に抵りて館す。又明日、海老沢に抵り、軽飈丸(君臣・軽飈、皆船の名)に乗り、蒜湖を過ぎ、那珂の水を泝りて城に帰る。是の行や、彪、執政戸田・番頭中村等と陪従す。其の舟中に侍するや、近臣は管を吹きて楽を奏し、舟子は舷を扣いて歌を発す。既に酒肴の賜に飽き、又江山の勝を覧観す。時に方に盛夏なれども、清風四もに至り、眼界豁然として、復た炎熱の何物たるを知らず。真に一時の壮遊なり。今玆甲辰、幕府、公に参府を命ず。彪又従う。公遂に致仕し、駒籠邸に幽居す。彪等は則ち小石川邸舎に禁錮せらる。指を屈して之を数うれば、凡そ刀根の水を渡りて往来する者、是に至りて既に二十五回なり。蘇東坡の詩に云う、便ち官に与えて水手に充つるに合う、此の生何ぞ曾て略〻津を知らん、と。今、東湖居士は武常の路に諳熟す。亦尋常の駅使の下に在らざるなり。屏処黙座し、駒邸を仰望して、老公の幽鬱、或いは病を致さんことを憂い、俯して故郷を憶い、阿母の心を痛めて門に倚るを察す。彪の頑鈍を以てすと雖も、血涙の臆を沾す者、数〻なり。嗚呼天定まりて人に勝つ。老公の冤、一旦氷釈し、飄然として閑を仙湖の上に就く。彪輩も亦少しく其の禁を緩め、去りて旧廬に帰り、萱堂の膝下に歓びを奉ずるは、其の何れの日に在るかを知らざるなり。刀水に霊有らば、則ち必ず彪の江を渡るを俟ち、更に一回を添えん(五月十八日録す)
現代語訳
潮来に着くころには、小舟はおよそ三百艘あまり、民も千人を数えました。公は郡の役人に命じて、大樽を岸に用意させ、蓋を取って酒をくみ、大きな椀に盛って、綱を引く民に賜りました。民は喜んでそれを飲み干しました。まるで大きな鯨が百の川を吸い込むようでした。翌日もまた船で行こうとしましたが、風波が険しく、陸路で小川に着いて泊まりました。さらに翌日、海老沢に着き、軽飈丸(君臣丸も軽飈丸も船の名)に乗り、蒜湖(涸沼)を過ぎ、那珂川をさかのぼって城に帰りました。この旅で、私は執政の戸田・番頭の中村らとお供しました。舟の中で侍ると、近臣は笛を吹いて音楽を奏で、船頭は舷をたたいて歌を歌いました。すでに酒や肴を賜ってお腹いっぱいになり、さらに山河の景勝を眺めました。ちょうど盛夏でしたが、清らかな風があたり一面に吹き、視界が開け、暑さというものを忘れました。まことに一時の壮大な遊びでした。今年、天保十五年(甲辰)、幕府が公に参府を命じました。私もまた従いました。公はついに致仕し、駒込の邸に幽居されました。私たちは小石川の邸舎に禁錮されました。指を折って数えると、利根川の水を渡って往来した回数は、ここまででちょうど二十五回になります。蘇東坡の詩に「官に水夫の役を与えてもよい、この生涯、渡し場のことなど何ほども知らない」とあります。今、東湖居士(私)は武蔵と常陸の道に通じています。尋常の宿駅の使いにも劣らないでしょう。屏居して黙って座り、駒込の邸を仰ぎ望んで、老公の憂鬱がもしかして病を招くのではと心配し、また故郷を思って、母がつらい思いで門に寄りかかって待っているだろうと察します。愚鈍な私でも、血の涙が胸をぬらすことはたびたびです。ああ、天の定めは人に勝つ(のちには必ず天理が通る)といいます。老公の冤罪が氷解し、軽やかに仙湖(水戸の千波湖)のほとりで閑居される日が来て、私たちも少しこの禁を緩められ、旧廬(元の家)に帰って母の膝元で喜びを捧げる日は、いつになるか分かりません。もし刀水に霊があるなら、必ず私が川を渡るのを待って、さらにもう一回を加えてくれるでしょう(五月十八日記す)。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』告子下 第十五章又余野山獄に在る時、友人土屋松如、居易堂集明の遺臣俟斎徐枋の著を貸し示す。其の中に「潘生次耕に与ふる書」あり、才を生じ才を成すと云ふことを論ず。大意謂へらく、天の才を生ずること多けれども、才を成すこと難し。譬へば春夏の草木花葉鬱蒼たるが如き、是れ才を生ずるなり。然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢ひて皆零落凋傷す。独り松柏は然らず、雪中松柏愈々青々たり。是れ才を成すなり。人才も亦然り。少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ衆し。然れども艱難困苦を経るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少からず。唯真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋む所以、即ち松柏の実する所以なり。艱苦は軽鋭の頽るる所以、即ち志士の激する所以なりとあり。是れ又全文を諳ぜず、大意斯くの如し。今吾不才と云へども、象山の徒にして、又徐氏の文を読む。豈に桃李に伍して松柏に笑はれんや。当に琢磨淬励して連城・干将となるべきのみ。是れ此の章に於て感ある所なり。抑も「入りては則ち法家払士無く、出でては則ち敵国外患無き者は、国恒に亡ぶ」と云ふに至りては、一転して国家の事に入る。尤も思ひを致すべし。余乃ち云く、内に法家払士あれば、敵国外患に因りて国随ひて興り、法家払士なければ、敵国外患に因りて国随ひて亡ぶ。今や敵国外患なきに非ず、法家払士の有無は国家興亡の界なり。豈に寒心せざることを得んや。

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