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回天詩史 / 致仕の命と決死・死に代えて訴える決意と翻意

彪篤疾。臨絕無復一點自求之念。因莊兵衞達諸台聽。則庶乎可以挽回頹瀾也。意旣決矣。然屢從公駕者。有謁見兩君之儀。事頗嚴密。不得輙歸舍。默坐參政府(側用人之局。本在中奧。近來與參政同局)以俟焉。將留一詩訣親朋。獲君辱臣當死。死豈毫可辭之二句。會近臣傳命。遽召彪。趨而至公所。則元老中山執政戶田在座。公反復談論。大率如曩日與水戶有司言者。中山等將退。公改容曰。寡人不肖。不能撫育士民。以他事獲罪於幕府。固所不辭。但以懷異志藏禍心受疑。則不啻寡人之辱。威公以來相傳之意荒矣。使寡人不幸無壽。則徒呑憾懷恨而死。苟天假餘年。則必洗冤雪辱。然後已。汝等其體寡人之意。聲色俱厲。三人感憤不能仰視而退。彪歸參政府。幡然謂吾過矣。吾過矣。幕府所以疑公者旣深。其處分蓋旣定。假令公萬一有不良之跡。則彪寸裂肢體。以代公之難。固其分也。今公之精忠日月爭光。不幸爲讒人所間。而彪以死訴之。則彼將謂水藩無辭可以自明。乃其臣某自盡。以贖其罪。是彪欲明公之冤。反實證讒者之言。殺身害於國。不忠不孝孰大焉。忽有報。閣老傳命。以明朝召高松(松平讚州君)守山(松平大學君)長沼(松平播州君。皆本藩之支封。其不召松平大炊君者。以當時移病不出也)三侯。

新字:彪篤疾。臨絶無復一点自求之念。因荘兵衛達諸台聴。則庶乎可以挽回頽瀾也。意既決矣。然屡従公駕者。有謁見両君之儀。事頗厳密。不得輙帰舎。黙坐参政府(側用人之局。本在中奥。近来与参政同局)以俟焉。将留一詩訣親朋。獲君辱臣当死。死豈毫可辞之二句。会近臣伝命。遽召彪。趨而至公所。則元老中山執政戸田在座。公反復談論。大率如曩日与水戸有司言者。中山等将退。公改容曰。寡人不肖。不能撫育士民。以他事獲罪於幕府。固所不辞。但以懐異志蔵禍心受疑。則不啻寡人之辱。威公以来相伝之意荒矣。使寡人不幸無寿。則徒呑憾懐恨而死。苟天仮余年。則必洗冤雪辱。然後已。汝等其体寡人之意。声色倶厲。三人感憤不能仰視而退。彪帰参政府。幡然謂吾過矣。吾過矣。幕府所以疑公者既深。其処分蓋既定。仮令公万一有不良之跡。則彪寸裂肢体。以代公之難。固其分也。今公之精忠日月争光。不幸為讒人所間。而彪以死訴之。則彼将謂水藩無辞可以自明。乃其臣某自尽。以贖其罪。是彪欲明公之冤。反実証讒者之言。殺身害於国。不忠不孝孰大焉。忽有報。閣老伝命。以明朝召高松(松平讃州君)守山(松平大学君)長沼(松平播州君。皆本藩之支封。其不召松平大炊君者。以当時移病不出也)三侯。

書き下し

彪が篤疾、絶に臨みて復た一点も自ら求むるの念無きを以てす。荘兵衛に因りて諸を台聴に達せば、則ち庶わくは以て頽瀾を挽回すべしと。意既に決す。然れども屢〻公の駕に従う者は、両君に謁見するの儀有り。事頗る厳密にして、輒く舎に帰るを得ず。参政府(側用人の局にして、本は中奥に在り。近来は参政と局を同じくす)に黙座して以て俟つ。将に一詩を留めて親朋に訣せんとし、君辱めらるれば臣死すべし、死豈に毫も辞すべけんやの二句を獲たり。会〻近臣の命を伝うる有り、遽かに彪を召す。趨りて公所に至れば、則ち元老中山、執政戸田、座に在り。公、反復して談論するに、大率曩日水戸の有司に言いし者の如し。中山等将に退かんとするに、公、容を改めて曰く、寡人不肖にして、士民を撫育する能わず。他事を以て罪を幕府に獲るは、固より辞する所に非ず。但だ異志を懐き禍心を蔵するを以て疑わるれば、則ち啻に寡人の辱のみならず、威公以来相伝うるの意、荒れん。寡人をして不幸にして寿無からしめば、則ち徒らに憾みを呑み恨みを懐きて死せん。苟くも天、餘年を仮さば、則ち必ず冤を洗い辱を雪ぎ、然る後に已まん。汝等其れ寡人の意を体せよと。声色倶に厲し。三人、感憤して仰ぎ視る能わずして退く。彪、参政府に帰り、幡然として謂う、吾過てり、吾過てりと。幕府の公を疑う所以の者、既に深し。其の処分、蓋し既に定まれり。仮令い公に万一不良の跡有らば、則ち彪、寸裂肢体して以て公の難に代わるは、固より其の分なり。今、公の精忠は日月と光を争う。不幸にして讒人の間する所と為る。而るに彪、死を以て之を訴うれば、則ち彼将に謂わんとす、水藩に以て自ら明らかにするに辞無し、乃ち其の臣某、自ら尽くして以て其の罪を贖うと。是れ彪、公の冤を明らかにせんと欲して、反って讒者の言を実証するなり。身を殺して国を害す。不忠不孝、孰れか大ならん。忽ち報有り、閣老、命を伝え、明朝を以て高松(松平讃州君)・守山(松平大学君)・長沼(松平播州君。皆本藩の支封なり。松平大炊君を召さざるは、当時病に移りて出でざるを以てなり)の三侯を召すと。

現代語訳

私(彪)は重病で、絶命に臨んでも、もはや自分のために求める気持ちは一点もありませんでした。桜井荘兵衛を通じて上のお耳に届けば、傾いた波を挽回できるかもしれない、と考えました。意はすでに決まっていました。しかし、しばしば公の駕籠に従う者には、両君(将軍とその世子)に拝謁する儀式があり、事はたいへん厳重で、すぐに自分の部屋に帰れませんでした。参政府(側用人の詰め所で、もとは中奥にあった。近ごろは参政と同じ局になっている)に黙って座って待ちました。一首の詩を残して親しい人々に別れを告げようとして、「君辱めらるれば臣死すべし、死豈に毫も辞すべけんや」の二句を得ました。ちょうど近臣が命を伝えに来て、急に私を召しました。小走りで公のいる所に行くと、元老の中山と執政の戸田が座にいました。公は繰り返し語られました。その内容は、先日水戸の役人たちに言ったことと大体同じでした。中山らが退こうとしたとき、公は姿勢を改めて言いました。「私は不肖で、士民を育てることができなかった。他の事で幕府から罪を受けるのは、もとより辞するところではない。ただ、異心を抱き、禍の心を隠していると疑われれば、私一人の恥であるだけでなく、威公以来伝えてきた(水戸家の)意志が荒れ果ててしまう。もし私が不幸にして短命なら、恨みを呑み憾みを抱いて死ぬだけだ。もし天が余命を貸してくれるなら、必ず冤罪を洗い恥を雪ぎ、その後にやめよう。おまえたちは私の意を体しなさい」。声も顔つきも厳しいものでした。三人は感動と憤りで仰ぎ見られず、退出しました。私は参政府に帰り、はっと悟って言いました。「私は誤っていた。誤っていた。幕府が公を疑う理由はすでに深く、その処分はおそらくもう決まっている。もし公にもしも不良の行いがあるのなら、私が手足を寸断されて公の難に代わるのは、もとより私の分である。だが今、公の精忠は日月と光を競うほどだ。不幸にも讒言する者に離間されたのだ。それなのに私が死をもって訴えれば、彼らは『水戸藩には自ら明らかにする言い分がなく、家臣の某が自害して罪を償った』と言うだろう。それは私が公の冤を明らかにしようとして、かえって讒言する者の言葉を実証することになる。身を殺して国を害するのだ。不忠不孝でこれより大きなものはない」。ふと知らせがありました。老中が命を伝え、翌朝、高松(松平讃岐守)、守山(松平大学頭)、長沼(松平播磨守。いずれも本藩の分家。松平大炊頭を召さないのは、そのとき病と称して出仕していないからである)の三侯を召すというのです。

解説

この段の核心は、作者が死をもって訴える決意を、直前に翻したことです。自分が自害すれば、潔白を示すどころか、疑いを裏づけてしまう。感情の勢いではなく、結果を想像して判断を改めました。現代のリーダーにとっても、責任を取るという名目の辞任や自己犠牲が、組織にとって最善とは限りません。自分の行動が周囲にどう解釈され、どんな結果を生むかを冷静に見通す視点が必要です。覚悟と判断は別物であり、覚悟を決めた後でも判断を見直せる柔軟さが、誠実さの証になります。

この章句が説くこと

回天詩史藤田東湖徳川斉昭自害翻意結果の見通し

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