回天詩史 / 賜金を辞す・退いて移病 再び職に戻る
既擢之而又遠之。臣恐小人竊拍手相慶。其損國家之元氣不細也。且惟典在政府。則正議抗論大有益於廟謨。使其處獨任之地。則峻急迫切其取敗也必矣。公曰汝盡與執政議焉。彪流涕而退。出而見結城執政曰。今井不能救耶。結城赧然曰不能矣。彪謝而去。遂上書具陳平生欲言而不能言者。杜門移病。使姻戚武田伯道請辭職於政府。居二日。今井來傳公命。勸出視事。且謂曰吾罷參政。而猶黽勉視事。子何苦而逡巡至是。彪曰子之出而視事。猶吾之退而移病。理不得不然。復何怪焉。今井笑而去。又一日島村志摩(小姓頭取)來傳公命。又使彪勉強從事。彪拜謝曰。病瘳則雖無公命固將出也。而彪之病恐非小故。又一日安島彌次郎(亦小姓頭取)盛服而來傳公命曰。曩日奏議深感於寡人之心。寡人將思之。而汝移病家居。則浮言沸騰。寡人甚憂焉。請爲寡人暫出而視事。彪心謂公之優待至是。而猶固執前議。不敬既甚。且公之悔悟如此。則國家之事未忍袖手旁觀也。頓首曰謹奉命矣。安島大喜而去。明日起視事。此彪乞閒地不得閒之四五也。距今僅半歲餘。而有今日之禍。彪等亦蒙譴責。彪嘗讀史傳。常憾潔身自重之士。知退而不知進。當路用事之臣。知進而不知退。因又疑其退者固處貧賤。以故悟於勢利。
新字:既擢之而又遠之。臣恐小人窃拍手相慶。其損国家之元気不細也。且惟典在政府。則正議抗論大有益於廟謨。使其処独任之地。則峻急迫切其取敗也必矣。公曰汝尽与執政議焉。彪流涕而退。出而見結城執政曰。今井不能救耶。結城赧然曰不能矣。彪謝而去。遂上書具陳平生欲言而不能言者。杜門移病。使姻戚武田伯道請辞職於政府。居二日。今井来伝公命。勧出視事。且謂曰吾罷参政。而猶黽勉視事。子何苦而逡巡至是。彪曰子之出而視事。猶吾之退而移病。理不得不然。復何怪焉。今井笑而去。又一日島村志摩(小姓頭取)来伝公命。又使彪勉強従事。彪拝謝曰。病瘳則雖無公命固将出也。而彪之病恐非小故。又一日安島弥次郎(亦小姓頭取)盛服而来伝公命曰。曩日奏議深感於寡人之心。寡人将思之。而汝移病家居。則浮言沸騰。寡人甚憂焉。請為寡人暫出而視事。彪心謂公之優待至是。而猶固執前議。不敬既甚。且公之悔悟如此。則国家之事未忍袖手旁観也。頓首曰謹奉命矣。安島大喜而去。明日起視事。此彪乞閒地不得閒之四五也。距今僅半歳余。而有今日之禍。彪等亦蒙譴責。彪嘗読史伝。常憾潔身自重之士。知退而不知進。当路用事之臣。知進而不知退。因又疑其退者固処貧賤。以故悟於勢利。
書き下し
既に之を擢でて又之を遠ざけば、臣恐る、小人の竊かに手を拍ちて相慶ばんことを。其の国家の元気を損なうこと細からざるなり。且つ惟典、政府に在らば、則ち正議抗論、大いに廟謨に益あり。其をして独任の地に処らしめば、則ち峻急迫切、其の敗を取るや必せりと。公曰く、汝、尽く執政と議せよと。彪、涕を流して退く。出でて結城執政に見えて曰く、今井、救う能わざるか。結城、赧然として曰く、能わずと。彪、謝して去る。遂に書を上り、平生言わんと欲して言う能わざる所を具陳す。門を杜ざして病に移り、姻戚武田伯道をして職を政府に辞せんことを請わしむ。居ること二日、今井来たりて公命を伝え、出でて事を視んことを勧む。且つ謂いて曰く、吾は参政を罷むるも、猶お黽勉して事を視る。子、何を苦しんで逡巡して是に至ると。彪曰く、子の出でて事を視るは、猶お吾の退きて病に移るがごとし。理として然らざるを得ず。復た何ぞ怪しまんと。今井笑いて去る。又一日、島村志摩(小姓頭取)来たりて公命を伝え、又彪をして勉強して事に従わしむ。彪、拝謝して曰く、病瘳えば、則ち公命無しと雖も固より将に出でんとす。而れども彪の病、恐らくは小故に非ずと。又一日、安島弥次郎(亦小姓頭取)、盛服して来たり、公命を伝えて曰く、曩日の奏議、深く寡人の心に感ず。寡人将に之を思わんとす。而るに汝、病に移りて家居すれば、則ち浮言沸騰す。寡人甚だ憂う。請う、寡人の為に暫く出でて事を視よと。彪、心に謂う、公の優待、是に至る。而るに猶お前議に固執するは、不敬既に甚し。且つ公の悔悟此の如くなれば、則ち国家の事、未だ手を袖にして旁観するに忍びずと。頓首して曰く、謹んで命を奉ぜんと。安島大いに喜びて去る。明日起ちて事を視る。此れ彪が閑地を乞うて閑を得ざるの四五なり。今を距つること僅かに半歳餘にして、今日の禍有り。彪等も亦譴責を蒙る。彪、嘗て史伝を読み、常に憾む、身を潔くし自ら重んずるの士は、退くを知りて進むを知らず、当路用事の臣は、進むを知りて退くを知らざるを。因りて又疑う、其の退く者は固より貧賤に処り、以て勢利に悟る。
現代語訳
一度抜擢してまた遠ざければ、小人がひそかに手を叩いて喜び合うでしょう。それは国家の元気を損なうこと小さくありません。しかも惟典が政府にいれば、正論や強い議論は大いに朝廷の策に益があります。彼を一人で任せる地位に置けば、厳しく切迫して、必ず失敗するでしょう。公は言いました。「おまえはすべて執政と相談せよ」。私は涙を流して退きました。出て結城執政に会い、「今井を救えないのでしょうか」と言うと、結城は顔を赤らめて「できない」と答えました。私は礼を言って去りました。そこで書を上申して、普段言いたくても言えなかったことを詳しく述べました。門を閉ざして病気を理由に引きこもり、縁戚の武田伯道に政府に辞職を願わせました。二日して、今井が来て公命を伝え、出て職務をとるよう勧めました。そして言いました。「私は参政を辞めさせられたが、それでも努めて職務をとっている。あなたはなぜ苦しんでためらってここまで来たのか」。私は答えました。「あなたが出て職務をとるのは、私が退いて病気を理由にこもるのと同じです。理として当然です。何を怪しむことがありましょう」。今井は笑って去りました。また一日して、島村志摩(小姓頭取)が来て公命を伝え、再び私に無理にでも職務につくよう言いました。私は拝謝して言いました。「病が治れば、公命がなくてももとより出ます。ただ、私の病はおそらく小さなものではありません」。また一日して、安島弥次郎(これも小姓頭取)が正装して来て公命を伝えました。「先日の上申は、私の心に深く響いた。私はこれをよく考えよう。ところがおまえが病を理由に家にこもれば、噂が沸き立つ。私は大いに憂えている。どうか私のために、しばらく出て職務をとってほしい」。私は心の中で、公のこのような厚遇を受けながら、なお先の議論に固執するのは、不敬がすでにひどいと考えました。しかも公の悔悟がこのようなら、国家のことを袖手傍観するに忍びない、と。頓首して「謹んで命をお受けします」と言いました。安島は大いに喜んで去りました。翌日起きて職務をとりました。これが私が閑地を乞うて閑を得られなかった四つ目・五つ目です。それから半年あまりして、今日の禍が起きました。私たちも譴責を受けました。私はかつて史伝を読み、いつも残念に思っていました。身を清く保ち自重する士は、退くことを知って進むことを知らず、要職にある臣は、進むことを知って退くことを知らない。そこでまた疑いました。退く者はもともと貧賤にいて、そのため権勢や利益に疎いのでしょう。
解説
この章句が説くこと
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