回天詩史 / 文献志と讒言・就藩をめぐる巨室の抗議と職務の苦労
竊恐其或獲罪。乃結黨密議欲妨公之就藩也。以爲去歲年穀不登。減士人俸祿。一國皆不聊生。而公就藩。則士大夫職事繁劇。冗費不貲。皆怨嗟嘆息。離心解體。恐大損公之盛德。宜全賜俸祿以慰人心。若不能然。則不如無就藩之爲愈也。因激所謂小番頭及物頭之職。各書劄子達之於政府。政府不能制。以狀以聞。公大怒謂姦人比周要君。而政府無一人制之。取其劄子以聞於寡人。奉職無狀。遂按問其情。將罰巨室某等及水戸執政有司與其事者。彪謂執政曰。公之所以赫怒。既聞命矣。抑其聞於公者非江戸有司耶。今水戸有司蒙罪。而吾儕免於譴。則何面目復見水戸有司耶。執政慰以本末輕重之別。彪不能自安。乃引罪移病懇請辭職。未一句免職。以先手物頭之班(先是彪班槍奉行)充史館編修。彪在劇職前後十年。始獲閒地。殆有超然於物外之思。何圖未盈二月。忽擢爲側用人。復出入政府。從事於獻替。時彪非不得閒。而忽失之。則要之不得閒之三也。公之就藩。宵旰勵精。督責有司。不二三年。經界粗改。學校漸就。文敎武備頗就端緒。而公方獲五六年之暇於幕府。於是小人日進佞媚之説。以迎合公意。公以其易制。或命以事。小人竭力贊成。勢殆類於勇於敢爲者。以故便嬖少年。或遽獲顯官。彪從容屢言於公。以君子小人之辨。而公不省也。彪因懇請辭職。適有讒彪者。謂彪以今井(名惟典。稱金右衞門)擢爲參政。心懷不平。又謂彪家計窘急。勢不能居職。乃託正議請閒地。人或以告彪。公亦賜手書曰。寡人信汝。而汝疑寡人。汝而去則寡人亦將致仕矣。彪
新字:窃恐其或獲罪。乃結党密議欲妨公之就藩也。以為去歳年穀不登。減士人俸禄。一国皆不聊生。而公就藩。則士大夫職事繁劇。冗費不貲。皆怨嗟嘆息。離心解体。恐大損公之盛徳。宜全賜俸禄以慰人心。若不能然。則不如無就藩之為愈也。因激所謂小番頭及物頭之職。各書劄子達之於政府。政府不能制。以状以聞。公大怒謂姦人比周要君。而政府無一人制之。取其劄子以聞於寡人。奉職無状。遂按問其情。将罰巨室某等及水戸執政有司与其事者。彪謂執政曰。公之所以赫怒。既聞命矣。抑其聞於公者非江戸有司耶。今水戸有司蒙罪。而吾儕免於譴。則何面目復見水戸有司耶。執政慰以本末軽重之別。彪不能自安。乃引罪移病懇請辞職。未一句免職。以先手物頭之班(先是彪班槍奉行)充史館編修。彪在劇職前後十年。始獲閒地。殆有超然於物外之思。何図未盈二月。忽擢為側用人。復出入政府。従事於献替。時彪非不得閒。而忽失之。則要之不得閒之三也。公之就藩。宵旰励精。督責有司。不二三年。経界粗改。学校漸就。文教武備頗就端緒。而公方獲五六年之暇於幕府。於是小人日進佞媚之説。以迎合公意。公以其易制。或命以事。小人竭力賛成。勢殆類於勇於敢為者。以故便嬖少年。或遽獲顕官。彪従容屡言於公。以君子小人之弁。而公不省也。彪因懇請辞職。適有讒彪者。謂彪以今井(名惟典。称金右衛門)擢為参政。心懐不平。又謂彪家計窘急。勢不能居職。乃託正議請閒地。人或以告彪。公亦賜手書曰。寡人信汝。而汝疑寡人。汝而去則寡人亦将致仕矣。彪
書き下し
竊かに恐る、其れ或いは罪を獲んことを。乃ち党を結び密議し、公の就藩を妨げんと欲す。以為らく、去歳、年穀登らず、士人の俸禄を減じ、一国皆聊生せず。而して公国に就かば、則ち士大夫の職事繁劇にして、冗費貲らず、皆怨嗟嘆息し、離心解体す。恐らくは大いに公の盛徳を損なわん。宜しく全て俸禄を賜い、以て人心を慰むべし。若し然る能わずんば、則ち就藩する無きの愈れるに如かずと。因りて所謂小番頭及び物頭の職を激し、各〻劄子を書して之を政府に達せしむ。政府制する能わず、状を以て聞す。公大いに怒り、謂う、姦人比周して君に要す。而るに政府に一人も之を制する無し。其の劄子を取りて以て寡人に聞す。奉職無状なり、と。遂に其の情を按問し、将に巨室某等及び水戸の執政有司の其の事に与る者を罰せんとす。彪、執政に謂いて曰く、公の赫怒する所以、既に命を聞けり。抑〻其の公に聞する者は、江戸の有司に非ずや。今、水戸の有司罪を蒙りて、吾が儕は譴を免るれば、則ち何の面目ありて復た水戸の有司に見えんやと。執政、慰むるに本末軽重の別を以てす。彪、自ら安んずる能わず。乃ち罪を引き、病に移りて懇ろに職を辞せんことを請う。未だ一旬ならずして職を免ぜられ、先手物頭の班(先に是れ彪は槍奉行の班)を以て、史館編修に充てらる。彪、劇職に在ること前後十年。始めて閑地を獲、殆ど物外に超然たるの思い有り。何ぞ図らん、未だ二月に盈たずして、忽ち擢でられて側用人と為り、復た政府に出入りして、献替に従事せんとは。時に彪、閑を得ざるに非ず。而るに忽ち之を失えば、則ち之を要するに、閑を得ざるの三なり。公の就藩するや、宵旰励精し、有司を督責す。二三年ならずして、経界粗〻改まり、学校漸く就り、文教武備頗る端緒に就く。而して公、方に五六年の暇を幕府より獲たり。是に於いて小人、日に佞媚の説を進め、以て公意に迎合す。公、其の制し易きを以て、或いは命ずるに事を以てし、小人力を竭くして賛成し、勢い殆ど勇んで敢えて為す者に類す。故を以て便嬖の少年、或いは遽かに顕官を獲たり。彪、従容として屢〻公に言うに君子小人の辨を以てす。而れども公、省みず。彪、因りて懇ろに職を辞せんことを請う。適〻彪を讒する者有り、謂えらく、彪、今井(名は惟典、金右衛門と称す)の擢でられて参政と為るを以て、心に不平を懐く。又謂えらく、彪の家計窘急、勢い職に居る能わず。乃ち正議に託して閑地を請うと。人或いは以て彪に告ぐ。公も亦手書を賜いて曰く、寡人は汝を信ず。而るに汝は寡人を疑う。汝去らば、則ち寡人も亦将に致仕せんとすと。彪
現代語訳
(巨室の者たちは)ひそかに罪を得ることを恐れました。そこで徒党を組んで密議し、公の国元への帰還を妨げようとしました。彼らは、昨年は穀物が実らず、士人の俸禄を減らし、国中の者がみな生活が苦しい。公が国元に帰れば、士大夫の職務は繁忙になり、無駄な費用も莫大で、皆が怨み嘆き、心が離れる。公の盛んな徳を大きく損なうだろう。俸禄を全額賜って人心を慰めるべきだ。それができないなら、国元に帰らない方がましだ、と考えました。そこで小番頭や物頭の職の者を煽り、それぞれ上申書を書いて政府に提出させました。政府は抑えられず、書状でお上に報告しました。公は大いに怒って、「悪人が徒党を組んで君主に迫っている。それなのに政府には一人も抑える者がいない。その上申書を取って私に報告するとは、職務を果たしていない」と言いました。ついに事情を取り調べ、巨室の某らと、水戸の執政・役人のうちこの件に関わった者を罰しようとしました。私は執政に言いました。「公が激怒された理由は、すでに承りました。しかしそれを公に報告したのは、江戸の役人ではありませんか。いま水戸の役人が罪を受けて、私たちが譴責を免れるなら、どの面下げて水戸の役人に会えましょうか」。執政は、本末や軽重の別をもって慰めました。私は自ら安んじることができず、罪を認め、病を理由に懇ろに職の辞任を願いました。十日もたたないうちに職を免ぜられ、先手物頭の格(以前、私は槍奉行の格)で史館編修に充てられました。私は忙しい職に前後十年いました。初めて閑地を得て、ほとんど世俗を超越した思いがありました。思いがけず、二か月に満たないうちに、突然抜擢されて側用人となり、また政府に出入りして、君主の補佐に従事することになりました。当時の私は閑を得られなかったのではなく、得た途端にすぐ失ったので、要するにこれが閑を得られなかった三つ目です。公が国元に帰ると、朝早くから夜遅くまで励み、役人を督促しました。二、三年のうちに、境界はほぼ改まり、学校も次第に成り、文教と武備も端緒につきました。そして公は、ちょうど五、六年の暇を幕府から得ていました。そこで小人は日に日に媚びへつらう説を進め、公の意に迎合しました。公は彼らが操りやすいので、事を命じ、小人は力を尽くして賛成し、その勢いはほとんど、勇んで敢えて行う者に似ていました。そのため、へつらい寵愛される少年が突然高官を得ることもありました。私は落ち着いてたびたび公に、君子と小人の区別を述べましたが、公は省みませんでした。私は懇ろに職の辞任を願いました。ちょうど私を讒言する者がいて、「彪は今井(名は惟典、金右衛門と称する)が抜擢されて参政になったことに不平を抱いている。また、彪は家計が逼迫して職に居られない。それで正論に託して閑地を請うているのだ」と言いました。ある人がこれを私に知らせました。公も手書を賜って言いました。「私はおまえを信じている。それなのにおまえは私を疑うのか。おまえが去るなら、私も致仕しよう」。私は、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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