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海国兵談抄録 / 自序・中国の時勢の変化と清への警戒

北邊の軍、止果たり、然る故に遠く兵馬を出すにも後に心碍なかりしゆへ、度々軍を仕懸し也、是に付て唐山の時勢を考見るべし、三代は言に不及、秦漢迄は、日本の廣狹、並に海路等のこと、詳に知得ざりし也、唐の代には屢〻日本と往來して、海路國郡等の事迄、詳に知たれども、互に好み深かりしゆへ、侵し襲ふに不及、宋に至ては、其朝の風儀懦弱なりしゆへ、是亦來り得ざりし也、扨宋を滅したる者は、北種の蒙古にして、即ち元也、元の兵馬度々日本え來し事は、上に云し如く、唐山北狄、一體に成て、其境目の軍、止果たる故、遠く兵馬を出しても、後の心碍無き故也、其後明の世祖、元を滅して、唐山を再興し、其政事柔弱ならず、能一統の業を成せり、此代日本を侵掠するの議ありといへども、北種の大敵日々月々に襲懸りしゆへ、遠海を絶て來るに違なし、其上、太閤の猛威、朝鮮を陷れて、北京え入べき勢ひに辟易して侵し伐べき隙なかりし間に、亦韃靼に亡されて、康熈以來、唐山韃靼、亦一體に成て、今は愈能一統し、北邊愈能太平に成れり、此故に遠く兵馬を出すにも、後の心碍りなし、其上、康熈雍正乾隆の三主、各文武剛敵にして、能時勢に達し、能唐山を手に附たり、必明迄の唐山と思ふ事なかれ、まづ今の清を以て、古の唐山に競れば、土地も古の唐山に一倍し、武藝も北風を傳へて、能修練し、情慾も北習を承て、剛强に移り行故、終に北狄貪賂の心根、次第に唐山に推移りて、其仁厚の風儀も、漸々に消滅し、且亦世々の書籍も、次第に精く成行、亦日本と往來も繁く、其上、人心日々月々に發明すれば、いまは唐山にて、日本の海路國郡等も、微細に知得たり、

新字:北辺の軍、止果たり、然る故に遠く兵馬を出すにも後に心碍なかりしゆへ、度々軍を仕懸し也、是に付て唐山の時勢を考見るべし、三代は言に不及、秦漢迄は、日本の広狭、並に海路等のこと、詳に知得ざりし也、唐の代には屡〻日本と往来して、海路国郡等の事迄、詳に知たれども、互に好み深かりしゆへ、侵し襲ふに不及、宋に至ては、其朝の風儀懦弱なりしゆへ、是亦来り得ざりし也、扨宋を滅したる者は、北種の蒙古にして、即ち元也、元の兵馬度々日本え来し事は、上に云し如く、唐山北狄、一体に成て、其境目の軍、止果たる故、遠く兵馬を出しても、後の心碍無き故也、其後明の世祖、元を滅して、唐山を再興し、其政事柔弱ならず、能一統の業を成せり、此代日本を侵掠するの議ありといへども、北種の大敵日々月々に襲懸りしゆへ、遠海を絶て来るに違なし、其上、太閤の猛威、朝鮮を陥れて、北京え入べき勢ひに辟易して侵し伐べき隙なかりし間に、亦韃靼に亡されて、康熈以来、唐山韃靼、亦一体に成て、今は愈能一統し、北辺愈能太平に成れり、此故に遠く兵馬を出すにも、後の心碍りなし、其上、康熈雍正乾隆の三主、各文武剛敵にして、能時勢に達し、能唐山を手に附たり、必明迄の唐山と思ふ事なかれ、まづ今の清を以て、古の唐山に競れば、土地も古の唐山に一倍し、武芸も北風を伝へて、能修練し、情慾も北習を承て、剛強に移り行故、終に北狄貪賂の心根、次第に唐山に推移りて、其仁厚の風儀も、漸々に消滅し、且亦世々の書籍も、次第に精く成行、亦日本と往来も繁く、其上、人心日々月々に発明すれば、いまは唐山にて、日本の海路国郡等も、微細に知得たり、

書き下し

北邊の軍、止果たり、然る故に遠く兵馬を出すにも後に心碍なかりしゆへ、度々軍を仕懸し也、是に付て唐山の時勢を考見るべし、三代は言に不及、秦漢迄は、日本の廣狹、並に海路等のこと、詳に知得ざりし也、唐の代には屢〻日本と往來して、海路國郡等の事迄、詳に知たれども、互に好み深かりしゆへ、侵し襲ふに不及、宋に至ては、其朝の風儀懦弱なりしゆへ、是亦來り得ざりし也、扨宋を滅したる者は、北種の蒙古にして、即ち元也、元の兵馬度々日本え來し事は、上に云し如く、唐山北狄、一體に成て、其境目の軍、止果たる故、遠く兵馬を出しても、後の心碍無き故也、其後明の世祖、元を滅して、唐山を再興し、其政事柔弱ならず、能一統の業を成せり、此代日本を侵掠するの議ありといへども、北種の大敵日々月々に襲懸りしゆへ、遠海を絶て來るに違なし、其上、太閤の猛威、朝鮮を陷れて、北京え入べき勢ひに辟易して侵し伐べき隙なかりし間に、亦韃靼に亡されて、康熈以來、唐山韃靼、亦一體に成て、今は愈能一統し、北邊愈能太平に成れり、此故に遠く兵馬を出すにも、後の心碍りなし、其上、康熈雍正乾隆の三主、各文武剛敵にして、能時勢に達し、能唐山を手に附たり、必明迄の唐山と思ふ事なかれ、まづ今の清を以て、古の唐山に競れば、土地も古の唐山に一倍し、武藝も北風を傳へて、能修練し、情慾も北習を承て、剛强に移り行故、終に北狄貪賂の心根、次第に唐山に推移りて、其仁厚の風儀も、漸々に消滅し、且亦世々の書籍も、次第に精く成行、亦日本と往來も繁く、其上、人心日々月々に發明すれば、いまは唐山にて、日本の海路國郡等も、微細に知得たり、

現代語訳

北辺の戦いが止んでいたので、遠く兵馬を出しても後ろに気がかりがなく、たびたび軍を仕掛けてきたのです。これについて中国の時勢を考えてみましょう。三代(夏・殷・周)は言うまでもなく、秦や漢の時代までは、日本の広さや海路などを詳しくは知りませんでした。唐の時代にはたびたび日本と往来し、海路や国郡のことまで詳しく知っていましたが、互いに親しみが深かったので、侵し襲うには及びませんでした。宋に至っては、その朝廷の風儀が軟弱だったので、やはり攻めて来ることができませんでした。その宋を滅ぼしたのは北方の蒙古で、すなわち元です。元の兵馬がたびたび日本へ来たのは、先に述べたとおり、中国と北方の異民族が一体となり、その境の戦いが止んでいたため、遠く兵馬を出しても後ろの心配がなかったからです。その後、明の太祖(世祖と記す)が元を滅ぼして中国を再興し、その政治は柔弱ではなく、よく統一の事業を成しました。この時代、日本を侵略する議論はあったものの、北方の大敵が日々月々に襲いかかってきたので、遠い海を越えて来ることはなかったに違いありません。そのうえ、豊臣秀吉の猛威が朝鮮を陥れて北京に入ろうとする勢いだったので、気おされて日本を侵し伐つ隙がないうちに、明はまた韃靼(清)に滅ぼされました。康熙帝以来、中国と韃靼はまた一体となり、今はいよいよよく統一され、北辺もますます太平になりました。そのため遠く兵馬を出しても、後ろの心配はありません。そのうえ康熙・雍正・乾隆の三人の君主は、それぞれ文武にすぐれ、よく時勢に通じ、よく中国を掌握しています。決して明までの中国と同じだと思ってはなりません。まず今の清を昔の中国と比べると、土地は昔の倍になり、武芸も北方の風を受け継いでよく鍛錬され、欲も北方の習いを受けて強くなっていくので、ついに北方の民の利を貪る心根が次第に中国に移り、その情け深い風儀も次第に消えていきます。そのうえ、代々の書籍も次第に精密になり、日本との往来も盛んで、人の心も日々月々に賢くなっているので、今では中国で日本の海路や国郡なども細かく知っています。

解説

ここで子平は、中国の歴代王朝の盛衰を振り返り、情勢が変われば相手の力と意図も変わると述べ、昔の姿のままで今の隣国を判断するなと警告しています。原文は当時の清への警戒という歴史的な認識で、現代の評価にそのまま当てはめるものではありません。組織の実践に置き換えれば、競合や取引先を過去の印象で決めつけず、最新の動向や相手の事情を継続的に調べ直すことの大切さです。管理職は、過去の経験に頼って判断が古くならないよう、外部の情報を更新する仕組みを持ちたいものです。

この章句が説くこと

海国兵談抄録林子平情勢分析情報収集清元寇

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