孫子 / 用間篇
故明君賢將,所以動而勝人,成功出於眾者,先知也。
新字:故明君賢将,所以動而勝人,成功出於衆者,先知也。
書き下し
故に明君賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出づる所以の者は、先知なり。
現代語訳
賢明な君主や優れた将軍が、動けば必ず人に勝ち、その成功が並みはずれている理由は、先に知っているからである。
解説
成功の理由を一語で「先知」と断じた一句である。才能でも勇気でもなく、先に知っていること。この直後に孫子は、先知は鬼神にも経験則にも求められず、必ず人から取るのだと続ける。つまり先を読む力とは、直感ではなく取材の量である。優れた経営者が先を見通しているように見えるのは、単に人と会い、聞いている量が違うからだという説明は、身も蓋もないが実際に近い。予測の精度を上げたければ、考える時間よりも聞きに行く回数を増やすほうが早い。
この章句が説くこと
先知情報収集取材予測成功要因
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