価原 / 『価原』跋 室町殿日記に見る足利期の物価
予此書成テ後桂秋齋ノ間語ヲ得テ讀ムニ足利ノ比ノ物價ヲ載セタリ曰室町殿日記に云一、中間衆の木錦三十五疋買取御役船彦三に上せ申候可有御受取候こつまめんは今程一疋に付壹匁六分二厘の賣買にて候是もこつまにおとらぬ木綿にて候壹匁三分宛にて候間其御心得可有之候一、御局衆た衆切米拾貳石うりはらひ可申由被仰越候此比兵庫の賣買壹石に付六匁三分出しの由すいたや新左工門申候其御心得可有之候十二月二日林甚五郎岡村忠左衞門殿佐野權助殿飯尾五左衞門殿予ガ言ノ妄ナラザルヲ徵スルニ足レリ故ニコレヲノセテ見ン人ノ考證ニ供フ
新字:予此書成テ後桂秋斎ノ間語ヲ得テ読ムニ足利ノ比ノ物価ヲ載セタリ曰室町殿日記に云一、中間衆の木錦三十五疋買取御役船彦三に上せ申候可有御受取候こつまめんは今程一疋に付壱匁六分二厘の売買にて候是もこつまにおとらぬ木綿にて候壱匁三分宛にて候間其御心得可有之候一、御局衆た衆切米拾貳石うりはらひ可申由被仰越候此比兵庫の売買壱石に付六匁三分出しの由すいたや新左工門申候其御心得可有之候十二月二日林甚五郎岡村忠左衛門殿佐野権助殿飯尾五左衛門殿予ガ言ノ妄ナラザルヲ徴スルニ足レリ故ニコレヲノセテ見ン人ノ考証ニ供フ
書き下し
予、この書成りて後、桂秋斎の間語を得て読むに、足利の頃の物価を載せたり。曰く、室町殿日記に云う、一、中間衆の木綿三十五疋買い取り、御役船、彦三に上せ申し候。御受け取りあるべく候。こつまめんは、今程一疋につき壱匁六分二厘の売買にて候。これもこつまに劣らぬ木綿にて候、壱匁三分ずつにて候間、その御心得これあるべく候。一、御局衆たちの切米拾弐石、売り払い申すべき由、仰せ越され、このごろ兵庫の売買、壱石につき六匁三分出しの由、すいたや新左衛門申し候。その御心得これあるべく候。十二月二日、林甚五郎、岡村忠左衛門殿、佐野権助殿、飯尾五左衛門殿。予が言の妄ならざるを徴するに足れり。故にこれを載せて、見ん人の考証に供す。
現代語訳
私は、この書が成った後に、桂秋斎の問答を得て読んだところ、足利の頃の物価が載っていた。その文にいう。室町殿日記にいう、一、中間衆の木綿三十五疋を買い取り、御役船で彦三に積んで送りますので、お受け取りください。こつま綿は、今のところ一疋につき一匁六分二厘で売買されています。これもこつまに劣らない木綿で、一匁三分ずつですので、その点をお心得ください。一、御局衆たちの切米十二石を売り払うようにとの仰せをいただき、このごろ兵庫の売買では、一石につき六匁三分出しとのこと、すいたや新左衛門が申しております。その点をお心得ください。十二月二日、林甚五郎、岡村忠左衛門殿、佐野権助殿、飯尾五左衛門殿。私の言葉がでたらめでないことを証明するのに十分である。そこでこれを載せて、見る人の考証に役立てる。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
価原・『価原』春台と東厓に見る銭と銀の相場これは春台『経済録』による江府の米価なり。又、東厓『尽旧録』を読むに、先ず元明天皇、民に幣財交通の道を教え給いし始め、和銅三年の詔を引きて曰く、「諸国の地、江山遐かに阻たり、負担の輩、久しく行役に苦しむ。宜しく時に一嚢の銭を作すべし」と。この時、銭貴うして銀賤し、二十文以て銀一銭に当たる。新銀出でて、八十文以て銀一銭を買う。然れば正徳中、脱粟米二百銭と云うも四貫文なり、油九銭と云うも百八十文なり。今よりして観れば、世豈にかくの如き廉価の物あらんや。今、文字銀、元文元年発行の時、十五貫目を以て享保銀十貫目を収れば、銭五十文上下以て銀一銭に替えたり。然るに今、三幣いよいよ粗悪、金黄ならず、銀白からず、新鋳の銭は鉄を用う、もし痛く擲てば砕く。物価歳々に増す。賤人、その勢いの止まる所を知らず。安永壬寅十月追加して曰く、予この書を著す時、猶お銀一銭、銭六七十文に当たる。今は已に百を過ぐ。而して米価、京師浪華百銭に充つと伝う。春来、猶お価を増すべし。
-
価原・『価原』金銀の多少と物価・漢の米価蝦夷などは今にその土地の産物を出して、我が米穀・煙酒に替えて、銭を用いずとなり。この故に、金銀多ければ物価貴し、金銭少なければ物価賤し。物価賤きは金銀の貴きなり、物価貴きは金銀の賤きなり。諸工の造り出す所の者を見るに、古代の物は精巧にして今の者は粗悪なり。これ、その用の広きより起こるといえども、半ばは金銀の賤しうして物価の貴きに係れり。されば漢の初め、天下に縦にして恣に銭を鋳さしめしかば、米一石五千銭に至りしなり。漢の一石と云うは、今の京升にては大概一斗程の事なり。その後、弊の勢いを抑え、段々人を農にかえし、趙過など云う人出で、農の道を教え、耕を勧め、代田を復し、後には一石の価五銭に至りしなり。
-
価原・『価原』元禄・享保の米価と士と工商の苦楽されば国家の始めは、米価一石二三四五六斗、金一両に当たりし時は、江府諸物の価も廉にして、士庶の苦しむ沙汰もなし。元禄十二年己卯八月十五日の大風により、一両わずかに七斗を糴う。これより歳しきりに登らず、工商の営み食に給するに足らず、都下餓莩多し。これ憲廟職に在せし日なり。それより憲廟の世を終え、文廟職に即かせ給い、正徳元年辛卯の秋、米価やや賤くなりて、壬辰の春に至りては九斗一両に相当れり。章廟の時、乾金の沙汰あり。有廟の時、西国の苗稼ことごとく腐るに逢いて、享保辛丑の夏、一両わずかに米六斗余を糴う。元禄の頃、糴にわかに貴かりしには餓莩多かりしかども、二十余年これに慣れたれば、治生の道これに居り合い出来りたれば、これが常となりぬ。元禄以前は米価賤しうして士庶苦しまず、元禄の始め米価貴うして士人は利を得、工商は飢ゆ。以来米価依然として、工商は苦しまず、士人は餓ゆ。もし今日米価元禄の旧に復せば、士人手足を措く地なけん。これ居り合うと居り合わざるとの間にして、権の入り用もし有る時の事なるべし。
-
価原・『価原』序文 奉公人の値が高い理由を問う今の俗、人家、貧民の産を失える者を買いて奴婢と為す。周期なる者有り、半期なる者有り、更日なる者有り、累歳なる者有り。出人の候、各地に其の風有り。総じて之を奉公と謂う。蓋し近年、倹歳なれば則ち雇わずして、多くは以て食に就くことを得ざる者あり。豊年なれば則ち直遞いに騰貴して、多くは以て奴を買うことを得ざる者あり。且つ今年の若き、若し麦価を以て之を量れば、則ち健奴は則ち十石に上り、疲弱に至る者といえども三四石を減ぜず。然れども其の人を考うれば、則ち傭の勤、終に其の直を償う能わざるなり。上田君焉を怪しむ。乃者、辱くも下問せらる。嗚呼、晋や細人、腹を量りて食し、身を称りて衣る、豈に其の他を知らんや。然りといえども区区の心、竊かに以為らく、関係小ならずと。因りて自ら量らず、其の原を探りて其の派に及び、以て一冊子と為し、命ずるに価原を以てし、以て来意に答う。漆室柱に倚るの嘆有るに似たりといえども、実は杞国天を憂うるの愚に同じ。惟れ茲の燕石、胡ぞ能く天を補わん。一たび看て之を廡下に置け。然らずんば将に子を宋人に比する者有らんとす。安永癸巳四月壬辰、三浦晋。
-
価原・『価原』古になかった物が日用品になったこれについて世の費用を考うるに、古はなくてすみし物の、今は去り難き物、その数を知らず。浮屠家の教えは最も久し。裳瘡なども昔はなかりしとかや。有益無益につき、あらあらこれを数うるに、天文地理の学は西洋を精しとす。癰疽・金瘡の治、また相次ぐ。木綿・火器・望遠鏡・自鳴鐘の類、最も重宝をなす。天教・微瘡は最も疾むべし。しかして天教はすでに根を絶つ。微瘡は世に蔓衍す。煙草は二百年の物、茶は千年の物、人家日用の具となる。髪膏もまた古に見えず。しかうして今や太平百六十年、酒食・技巧・淫靡の風、古にあらず。妓楽・博奕、人を誤る者、数を知らず。もし上古質樸の世に比せば、民生日用の費と半ばせんとす。あに畏れざるべけんや。
-
価原・『価原』日本の金銀銭と東山殿の無心我が国は漢土に比すれば遅く闕けたる故、風俗も最も淳朴にして立てけり。されば銀は人皇四十代天武天皇、白鳳三年、対馬より出だし、銅は四十三代元明天皇、和銅元年、武蔵の国より出だし、金は四十五代聖武天皇、天平二十一年、陸奥の国より貢ずといえども、さまで多きにもあらず。銭の通用も白鳳以来有りしかども、今の様なる事にはあらず。博多にもろこし船来りし頃は、宋銭を以て物を弁じ、近く室町殿の頃あでも、明朝永楽銭にて事済みぬ。東山殿は国用乏しとて三度まで明へ銭乞われし中にも、文明の頃乞われしには、十万貫を賜らば国用足らんと歎き申されき。十万貫いくばくぞや。今の富人一の産とするにだも足らず。然れば今、銭幣の多きこと、弁ぜずして知るべし。かくまで財貨に富める世を、金銀少き様に心得たるは僻事なり。