価原 / 『価原』序文 奉公人の値が高い理由を問う
今之俗、人家買貧民之失産者爲奴婢焉有周期者有半期者有更日者有累歳者出人之候各地有其風、總謂之奉公蓋近年儉歳則不雇而多不得以就食者豐年則直遞騰貴而多不得以買奴者且若今年若以麥價量之、則健奴則上十石、雖至疲弱者而不減四三石。然而考其人、則傭之勤、終不能償其直也。上田君怪焉乃者辱下問。嗚呼晉也細人量腹而食、稱身而衣、豈知其他焉哉。雖然區區之心、竊以爲關係不小、因不自量、探其原而及其派矣、以爲一冊子命以價原以答來意。雖似有漆室倚柱之嘆而實同杞國憂天之愚惟玆燕石、胡能補天一看置之於廡下不然將有比子於宋入者。安永癸巳四月壬辰三浦晉
新字:今之俗、人家買貧民之失産者為奴婢焉有周期者有半期者有更日者有累歳者出人之候各地有其風、総謂之奉公蓋近年倹歳則不雇而多不得以就食者豊年則直逓騰貴而多不得以買奴者且若今年若以麦価量之、則健奴則上十石、雖至疲弱者而不減四三石。然而考其人、則傭之勤、終不能償其直也。上田君怪焉乃者辱下問。嗚呼晋也細人量腹而食、称身而衣、豈知其他焉哉。雖然区区之心、窃以為関係不小、因不自量、探其原而及其派矣、以為一冊子命以価原以答来意。雖似有漆室倚柱之嘆而実同杞国憂天之愚惟玆燕石、胡能補天一看置之於廡下不然将有比子於宋入者。安永癸巳四月壬辰三浦晋
書き下し
今の俗、人家、貧民の産を失える者を買いて奴婢と為す。周期なる者有り、半期なる者有り、更日なる者有り、累歳なる者有り。出人の候、各地に其の風有り。総じて之を奉公と謂う。蓋し近年、倹歳なれば則ち雇わずして、多くは以て食に就くことを得ざる者あり。豊年なれば則ち直遞いに騰貴して、多くは以て奴を買うことを得ざる者あり。且つ今年の若き、若し麦価を以て之を量れば、則ち健奴は則ち十石に上り、疲弱に至る者といえども三四石を減ぜず。然れども其の人を考うれば、則ち傭の勤、終に其の直を償う能わざるなり。上田君焉を怪しむ。乃者、辱くも下問せらる。嗚呼、晋や細人、腹を量りて食し、身を称りて衣る、豈に其の他を知らんや。然りといえども区区の心、竊かに以為らく、関係小ならずと。因りて自ら量らず、其の原を探りて其の派に及び、以て一冊子と為し、命ずるに価原を以てし、以て来意に答う。漆室柱に倚るの嘆有るに似たりといえども、実は杞国天を憂うるの愚に同じ。惟れ茲の燕石、胡ぞ能く天を補わん。一たび看て之を廡下に置け。然らずんば将に子を宋人に比する者有らんとす。安永癸巳四月壬辰、三浦晋。
現代語訳
今の世の習いでは、家々が、財産を失った貧しい民を買って奉公人とする。期間は一年のもの、半年のもの、日がわりのもの、何年にもわたるものがあり、出入りの時期は土地ごとに風習がある。これらをまとめて奉公と呼ぶ。さて近年、凶作の年には人を雇わないので、多くの人が食にありつけない。豊作の年には賃金が次々と値上がりして、多くの人が奉公人を雇えない。しかも今年は、麦の値で量ってみると、丈夫な奉公人は十石にも上り、弱った者でも三、四石を下らない。ところがその人柄を調べてみると、雇われての働きは、とうとうその賃金に見合うものではない。上田君はこれを不思議に思い、このたびかたじけなくも私に尋ねられた。ああ、私は取るに足りない者で、腹の具合をはかって食べ、身のほどに合わせて着るだけの人間であり、どうしてほかのことを知っていようか。しかし、ささやかな私の心には、これは決して小さな問題ではないと思われる。そこで身のほども顧みず、その根源を探ってその枝葉にまで及び、一冊の小冊子にまとめて「価原」と名づけ、お尋ねにお答えすることにした。これは、漆室の女が柱にもたれて国を憂えた嘆きに似ているが、実際は杞の国の人が天の落ちるのを心配した愚かさと同じである。この燕の石のようなつまらぬ文章が、どうして天の穴を補うことができようか。一度ご覧になったら、軒下にでも置いてください。そうでなければ、私は宋の人が燕の石を宝としたのと同じ者になってしまうでしょう。安永二年(癸巳)四月壬辰、三浦晋。
解説

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『政談』譜代者の事近頃は中間のたぐひ米をさへつかず、米つきと云ふもの御城下に出来たるはこの二三年このかたのことなり、其の前なきことなり、松平伊豆守よりもり切りと云ふ出来て、武家はみなこれになるより奉公人引米と云ふ事をして供先きにて口をぬらす、それにても足らす、博奕を所作にして欠落をする、下々欠落をすれは間欠るより入れ口と云ふものに奉公人を入れさすれは出し入れ自由なるやうなる故奉公人にす、あしくなる三月出かはりの時分は五日のはずなれとも今は一とうに作法のやうになりて四日に出居る、年季ものなき家は男女ともになくなりてせいしにさへことかく有様なれはあわてゝ人を置きつくることなり、此の気に乗して奉公人の給金次第に高直に成る、此の四五十年己前はわかとうの切まい二両はかり、中げんは三歩一両、しんめう一両はかり、はしたは一二歩なりしを、今はわかとう三四両を安き切りまいとす、中げんは二両一二歩三両其上もとる、しんめうも三両四両半下は二両その余も取ることに成りたり、当時に至りては武家の輩其の外の諸色も次第に高直になり、人を身上相応に持こと成らぬやうになりたり、
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価原・『価原』元禄・享保の米価と士と工商の苦楽されば国家の始めは、米価一石二三四五六斗、金一両に当たりし時は、江府諸物の価も廉にして、士庶の苦しむ沙汰もなし。元禄十二年己卯八月十五日の大風により、一両わずかに七斗を糴う。これより歳しきりに登らず、工商の営み食に給するに足らず、都下餓莩多し。これ憲廟職に在せし日なり。それより憲廟の世を終え、文廟職に即かせ給い、正徳元年辛卯の秋、米価やや賤くなりて、壬辰の春に至りては九斗一両に相当れり。章廟の時、乾金の沙汰あり。有廟の時、西国の苗稼ことごとく腐るに逢いて、享保辛丑の夏、一両わずかに米六斗余を糴う。元禄の頃、糴にわかに貴かりしには餓莩多かりしかども、二十余年これに慣れたれば、治生の道これに居り合い出来りたれば、これが常となりぬ。元禄以前は米価賤しうして士庶苦しまず、元禄の始め米価貴うして士人は利を得、工商は飢ゆ。以来米価依然として、工商は苦しまず、士人は餓ゆ。もし今日米価元禄の旧に復せば、士人手足を措く地なけん。これ居り合うと居り合わざるとの間にして、権の入り用もし有る時の事なるべし。
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価原・『価原』六府の真貨と庸作の賃上げ和漢古今の相違はあれど、地、物を出すこと依然として、人の身の丈も縮まらず、腹の量も変わらねば、陰陽変理の手を借らば、人々六府の真貨たるを覚り、九年の水七年の旱ともついに支うる道なからんや。今はただ六府の運びとなるべき金銀かえって主となり、平準立ち難く、豊年には豊年に苦しみ、凶年には凶年に苦しむ。仁人位に在ること有りて、あに豊年を苦しむことあらんや。称錘平を得ざる日は、重き物を懸くれば錘さきへ滑り、軽き物を懸くれば錘あとへ隕つるなり。今、奴婢諸物価の貴賤、事微なりといえども、関係小にあらず。国家の権を執れる人、最も心を注ぐべき事なり。庸作の人のにわかに価を増すことは、吾儕身のために憂うることにして、国を有つ者の悦ぶべきことなり。その故は、この機に乗じ、小民をして本業に帰らしめ、兼併の道を察し、農をして専ら力を耕耘に帰せしめ、荒れたるを闢き、堤防を修し、かの寒苦の細民をして、老いたる親、馴れ来し妻子と優游せしめ、同じく太平の余沢に浴せしむべき機あればなり。
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価原・『価原』貧富を問わぬ人情と本業その務めに服せんことを願えども、ほどなく年の荒るるに赴き、餬う営みに懸かること、もとの木陰を立ち出でて、さきの木陰に雨を凌ぐの心なり。人に貧富の隔てこそあらめ、あに人情に異ならんや。すでに人情に異ならなければ、老いたる親、馴れ来し妻子には朝な夕な見もし見えもし、打ち語らい、親しき友どち訪い問わんことを願わざる者あらんや。しからば孰か、その本業を棄てて余業につき、歓娯を厭うて労苦を好む者あらん。身を売りて人の奴隷となることは、勢いやむことを得ざればなり。しかれば世を平観する時は、庸作の人は本業を求めて帰るほど、悦ばしきことはなし。国を治むるをもって任とする人は、庸作の徒の本業につくが本懐なり。今、貧民の田は富家に併せられ、貧家は富家の賃田を耕すほどに、富家は他手を借らざることあたわず、貧家は他主を恃まざることあたわず。もし陰陽変理の手を経て、経界平に帰して、穀禄郡県に三五年を支うることを得、富家兼併せず、貧民本業に帰し、游手勤むる所あり、余夫よく良民に左右して余事に務むる所あらば、
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価原・『価原』金銀の多少と物価・漢の米価蝦夷などは今にその土地の産物を出して、我が米穀・煙酒に替えて、銭を用いずとなり。この故に、金銀多ければ物価貴し、金銭少なければ物価賤し。物価賤きは金銀の貴きなり、物価貴きは金銀の賤きなり。諸工の造り出す所の者を見るに、古代の物は精巧にして今の者は粗悪なり。これ、その用の広きより起こるといえども、半ばは金銀の賤しうして物価の貴きに係れり。されば漢の初め、天下に縦にして恣に銭を鋳さしめしかば、米一石五千銭に至りしなり。漢の一石と云うは、今の京升にては大概一斗程の事なり。その後、弊の勢いを抑え、段々人を農にかえし、趙過など云う人出で、農の道を教え、耕を勧め、代田を復し、後には一石の価五銭に至りしなり。
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『政談』金銀錢員數減少する仔細の事一事を挙げて云はゝ奴僕のたぐひの給金高直に成りたり、彼か暮しを詮議するに伽羅の油髻結を整へ、刻煙草を買ひ請人に判銭を出し、口入に口入銭を出し、まこと久しくすみかねて宿に久しく居れは宿払を出すに、諸色高直なる故是も多し、奉公の内布子帷子を着るに、是亦昔よりは直段高し、酒屋に樽拾ひ御用と云ふ者ありて、下々酒を整ふる自由なる故、寒気を防くために整へて飲む、この類の物入り引落して見れは取たる給金にては足らぬほとなり、此五六十年以前はきやらの油付たることもなし、髻結は手前にて搓り、或は主人の下を用ゆ、刻煙草世間に無く、葉煙草を整ふる故価半より内なり、判銭も僅かのことなり、口入銭と云ふことはなし、宿払も高くなし、衣類も安し、樽拾と云ふものもなければ酒を飲むこと不自由なり、此等を見れは下々一人の身の上にても物入り多き世界になりたり