価原 / 『価原』天に事える心と倹勤廉恥の風
サリトテ人情ノ赴ク所ヤムベキニハアラザレドモ人ハ上一人ヨリ下億兆ニ至ルマデ天ヲ敬シ天ニ事ユルコトヲ忘ルベカラズ上ノ施ス所ノ者ハ廣フシテ下ノ施ス所ノ者ハ狹シ廣狹施シ異ナリトイヘドモ分ニ從ツテ天ニ事ルニ於テハ異ルナシ天地之大德ヲ生トイヘバ生ニ悖ルヲ不德トス故ニ天地ニ生生スル物ヲ戕賊スル事最天ニ畏レザルベケンヤ書ニ無益ヲナシテ有益ヲ害スルコトナカレト聖人モ警メ給ヘリ今ノ人ノ弄ビ半ハ無益ニシテ有益ヲ害ス天地生生ノ德ニ悖ル事也最國初ニ比スレバ田野闢ケタルモ多カルベケレドモソレハ又人モ增シタリ今ノ世ニ居テ古ヲ思ヘバ今節儉ヲ盡ストモ猶古ノ侈レルニ齊シカルベシ然ルヲマシテ遊惰ニシテ奢侈ナルヲヤ畏レテモ猶畏ルベキコトナリ然レバ今日庶人ノ厚生ヲ謀ラントナラバ唯儉勤廉恥ノ風ナルベシ儉勤廉恥ノ風興ラザルハ制度ノ立ザルヨリナリ制度ハ則禮樂ノ制度ナリ制度立ザレバ禮樂モ施ス所ナシ後世ノ風俗ニ染ミ唯利ノミコレニ慣ヒタル人ハ禮樂ノ道ヲ說ケバ迂濶也トテ笑フナリ
新字:サリトテ人情ノ赴ク所ヤムベキニハアラザレドモ人ハ上一人ヨリ下億兆ニ至ルマデ天ヲ敬シ天ニ事ユルコトヲ忘ルベカラズ上ノ施ス所ノ者ハ広フシテ下ノ施ス所ノ者ハ狭シ広狭施シ異ナリトイヘドモ分ニ従ツテ天ニ事ルニ於テハ異ルナシ天地之大徳ヲ生トイヘバ生ニ悖ルヲ不徳トス故ニ天地ニ生生スル物ヲ戕賊スル事最天ニ畏レザルベケンヤ書ニ無益ヲナシテ有益ヲ害スルコトナカレト聖人モ警メ給ヘリ今ノ人ノ弄ビ半ハ無益ニシテ有益ヲ害ス天地生生ノ徳ニ悖ル事也最国初ニ比スレバ田野闢ケタルモ多カルベケレドモソレハ又人モ增シタリ今ノ世ニ居テ古ヲ思ヘバ今節倹ヲ尽ストモ猶古ノ侈レルニ斉シカルベシ然ルヲマシテ遊惰ニシテ奢侈ナルヲヤ畏レテモ猶畏ルベキコトナリ然レバ今日庶人ノ厚生ヲ謀ラントナラバ唯倹勤廉恥ノ風ナルベシ倹勤廉恥ノ風興ラザルハ制度ノ立ザルヨリナリ制度ハ則礼楽ノ制度ナリ制度立ザレバ礼楽モ施ス所ナシ後世ノ風俗ニ染ミ唯利ノミコレニ慣ヒタル人ハ礼楽ノ道ヲ説ケバ迂濶也トテ笑フナリ
書き下し
さりとて人情の赴く所、止むべきにはあらざれども、人は上一人より下億兆に至るまで、天を敬し天に事ゆることを忘るべからず。上の施す所の者は広うして、下の施す所の者は狭し。広狭施し異なりといえども、分に従って天に事うるにおいては異なるなし。天地の大徳を生といえば、生に悖るを不徳とす。故に天地に生生する物を戕賊する事、最も天に畏れざるべけんや。書に「無益をなして有益を害することなかれ」と、聖人も戒め給えり。今の人の弄びは半ば無益にして有益を害す。天地生生の徳に悖る事なり。最も国初に比すれば、田野闢けたるも多かるべけれども、それはまた人も増したり。今の世に居て古を思えば、今節倹を尽くすとも、なお古の侈れるに斉しかるべし。然るをましてや遊惰にして奢侈なるをや。畏れてもなお畏るべきことなり。然れば今日庶人の厚生を謀らんとならば、唯倹勤廉恥の風なるべし。倹勤廉恥の風興らざるは、制度の立たざるよりなり。制度は則ち礼楽の制度なり。制度立たざれば、礼楽も施す所なし。後世の風俗に染み、唯利のみこれに慣いたる人は、礼楽の道を説けば、迂濶なりとて笑うなり。
現代語訳
とはいえ、人情の向かうところは止められるものではないけれども、人は上は天子から下は億兆の民に至るまで、天を敬い、天に仕えることを忘れてはならない。上の者が施すところは広く、下の者が施すところは狭い。広い狭いと施しは異なるが、分に応じて天に仕えるという点では違いがない。天地の大いなる徳を生というので、生に背くことを不徳とする。だから天地に生み育てられるものをそこなうことは、最も天を畏れないことではなかろうか。書経に「無益なことをして有益なことを害してはならない」と、聖人も戒めておられる。今の人の遊び事は、半ばは無益であって、有益なものを害している。天地が物を生み育てる徳に背くことである。もっとも、建国のころに比べれば、田野が開けたところも多いはずだが、それは人もまた増えたからである。今の世にいて昔を思うと、今は節倹を尽くしても、なお昔の奢りに等しいだろう。ましてや、怠けて贅沢をしているのはなおさらである。畏れてもなお畏れるべきことである。そうであれば、今日、庶民の暮らしを豊かにしようとするなら、ただ倹約、勤勉、廉恥の風を起こすことである。倹勤廉恥の風が興らないのは、制度が立たないからである。制度とはすなわち礼楽の制度である。制度が立たなければ、礼楽も施すところがない。後の世の風俗に染まり、ただ利益のみをならいとしている人は、礼楽の道を説けば、遠回りで世間離れしているといって笑うのである。
解説

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『秘本玉くしげ』上 無益の物の費えおよそ人間の用をなす一切の物は、其本は皆地より生ずる事なるが、其中に無てかなはぬ物と、無益のおごりに用る物とあるを、世上のおごり長じぬれば、その無益の事に多くの物を費す。その無益の物のために田地山林多くつゐへて、有用の物の出る妨となり、又無益の事にさまざま人の手間入事多き故に、有用の業をなすべき者もその無益のわざをなして世を渡る。これ天下の手間の費にして、かの無益の物に土地をつゐやすも同じ事也。然るに世人此子細をわきまへずして、何ごとをしてなりとも人の渡世になる事多く、商事おほければ、世上のにぎはひ繁昌也と心得るはひが事也。平民の身一分のうへにては、いかにも何わざをしてなりとも金銀を得る事の多きが利なれども、上に立て民を治むる人の身にとりては、領内おしならして利益あることならでは損ある也。たとへば、城下はにぎはふて商人は利を得る事多くても、在在百姓のつまりとなりては、本を失ふて末を益する也。但しこれは天下と一国一国との差別あり。
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『明君家訓』第18条衣食住の外、武士は馬具、武具は用意なくて不叶物にて候、其外は常に用申器物は各別、それも用に立までにて、結構なる物一圓不入事に候、まして無益の物、用意不仕候ても其分に候、たとへば、掛物、茶碗、茶入等の類、多くあつめ持候て何の用に立申儀に候や、世にまじはる習ひに候へば、少しは不苦儀に候へども、それも一向に不搆候はんは、結句心にくき方に可存候、
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