呻吟語 / 内篇・問學・入耳出口の學
上吐下瀉之疾,雖日進飲食,無補於憔悴;入耳出口之學,雖日事講究,無益於身心。
新字:上吐下瀉之疾,雖日進飲食,無補於憔悴;入耳出口之学,雖日事講究,無益於身心。
書き下し
上に吐き下に瀉すの疾は、日に飲食を進むと雖も、憔悴に補ふ無し。耳に入り口に出づるの學は、日に講究を事とすと雖も、身心に益無し。
現代語訳
上から吐き下から下す病は、毎日食事を取っても、やつれを補うことはできません。耳から入って口から出る学問は、毎日論じ究めていても、身と心に益がありません。
解説
吸収しない体と、吸収しない学びを重ねます。どちらも入れる量は十分なのに、通り抜けてしまう。だから量を増やしても無駄だという結論です。前に出てきた、十年戸を閉ざし五台の書を読んでも役に立たないという段と同じ主張ですが、こちらは病の像を使うぶん、身体の実感として伝わります。量を増やしても無駄だという結論が、病の像で伝わります。
この章句が説くこと
吸収口耳無益量身心
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