価原 / 『価原』子産に見る制度と英断
此時英斷ノ君ニアラザレバ其臣ニ任ズルコトアタハズ剛毅ノ臣ニアラザレバ其業ヲナス事能ハズ是ヲ以テ政ニ制度ヲ立ルコト甚ダ要ニシテ膚タユマズ目逃ガザル人ニアラザレバナシ得ルコトニ非ズ又制度ニ過ツコトアレバ物ヲ害スルコト限ナケレバ假初ニモ立易キコトニモ非ズ鄭ノ子產政ヲセシニ都鄙有章、上下有服、田有封洫、廬井有伍、大人之忠儉者、從而與之、泰侈者、因斃之、カバ興人之ヲ誦シテ取我衣冠而褚之、取我田疇而伍之、孰殺子產、吾其與之ト云シガ三年ヲ經テハ皆誦シテ我ニ有子弟、子產誨之、我有田疇、子產殖之、子產而死、誰其嗣之ト云子產死スルニ及ンデハ人皆慈母ヲ失フガ如クニ思ヒシトナリ唯上ニモ目前ニテ人ニヨキ人ト謂レンコトヲハカル人ハ非常ノ功ヲバ立得ヌ者也非常ノ功ヲ立ル者ハ非常ノ才ヲ抱ク非常ノ才ヲ知ル人ハ非常ノ君ナリ君才ヲ用ル日譽ル者半謗ル者半利モ又半不利モ亦半也苟識明ニ斷果ナルニ非ザレバ事ヲ擾リ人ヲ損フニ過ズ故ニ古ヨリ君臣ノ値遇ヲ以テ難シトスルコト故アル哉
新字:此時英断ノ君ニアラザレバ其臣ニ任ズルコトアタハズ剛毅ノ臣ニアラザレバ其業ヲナス事能ハズ是ヲ以テ政ニ制度ヲ立ルコト甚ダ要ニシテ膚タユマズ目逃ガザル人ニアラザレバナシ得ルコトニ非ズ又制度ニ過ツコトアレバ物ヲ害スルコト限ナケレバ仮初ニモ立易キコトニモ非ズ鄭ノ子産政ヲセシニ都鄙有章、上下有服、田有封洫、廬井有伍、大人之忠倹者、従而与之、泰侈者、因斃之、カバ興人之ヲ誦シテ取我衣冠而褚之、取我田疇而伍之、孰殺子産、吾其与之ト云シガ三年ヲ経テハ皆誦シテ我ニ有子弟、子産誨之、我有田疇、子産殖之、子産而死、誰其嗣之ト云子産死スルニ及ンデハ人皆慈母ヲ失フガ如クニ思ヒシトナリ唯上ニモ目前ニテ人ニヨキ人ト謂レンコトヲハカル人ハ非常ノ功ヲバ立得ヌ者也非常ノ功ヲ立ル者ハ非常ノ才ヲ抱ク非常ノ才ヲ知ル人ハ非常ノ君ナリ君才ヲ用ル日誉ル者半謗ル者半利モ又半不利モ亦半也苟識明ニ断果ナルニ非ザレバ事ヲ擾リ人ヲ損フニ過ズ故ニ古ヨリ君臣ノ値遇ヲ以テ難シトスルコト故アル哉
書き下し
この時、英断の君にあらざれば、その臣に任ずることあたわず。剛毅の臣にあらざれば、その業をなすこと能わず。ここをもって政に制度を立つること甚だ要にして、膚たゆまず目逃がさざる人にあらざれば、なし得ることにあらず。また制度に過つことあれば、物を害すること限りなければ、仮初にも立て易きことにもあらず。鄭の子産、政をせしに、「都鄙に章有り、上下に服有り、田に封洫有り、廬井に伍有り、大人の忠倹なる者は、従いてこれに与し、泰侈なる者は、因りてこれを斃す」と、ありしかば、輿人これを誦して、「我が衣冠を取りてこれを褚し、我が田疇を取りてこれを伍す、孰れか子産を殺さん、吾その与せん」と言いしが、三年を経ては皆誦して、「我に子弟有り、子産これを誨う。我に田疇有り、子産これを殖やす。子産にして死せば、誰かそれを嗣がん」と言う。子産死するに及んでは、人みな慈母を失うがごとくに思いしとなり。ただ上にも目前にて人によき人と謂われんことをはかる人は、非常の功をば立て得ぬ者なり。非常の功を立つる者は、非常の才を抱く。非常の才を知る人は、非常の君なり。君、才を用いる日、誉むる者半ば、謗る者半ば、利もまた半ば、不利もまた半ばなり。いやしくも識明らかに断果なるにあらざれば、事を擾し人を損なうに過ぎず。ゆえに古より君臣の値遇をもって難しとすること、故あるかな。
現代語訳
このとき、決断力のある君主でなければ、臣下に任せることはできない。気骨ある臣下でなければ、その仕事を成し遂げることはできない。こうしたわけで、政に制度を立てることは非常に大切で、細部まで気を緩めず、見逃さない人でなければ、なし得ることではない。また、制度を誤れば物事を害することは限りがないので、かりそめにも軽々しく立てるべきではない。鄭の子産が政治を行ったとき、「都と田舎に区別を設け、上下に服の定めを設け、田には境界と水路を設け、五戸組を設けた。大人で忠実で倹約の者には従って力を貸し、奢り高ぶる者にはそのまま倒れるに任せた」ということであったので、民衆はこれを口ずさんで、「我らの衣冠を取り上げて蔵にしまい、我らの田畑を取り上げて組に編んだ。誰が子産を殺すなら、私はその仲間に加わろう」と言ったが、三年たつと皆が口ずさんで、「私に子弟があれば、子産が教え導く。私に田畑があれば、子産が殖やしてくれる。もし子産が死んだら、誰がその跡を継ぐのか」と言った。子産が死んだときには、人々はみな慈母を失ったように思ったという。ただ、上にも目の前で人によい人と言われようとばかり図る人は、非常の功を立てることはできない。非常の功を立てる者は非常の才を抱き、非常の才を知る人は非常の君である。君主が才ある者を用いる日には、誉める者が半ば、謗る者が半ば、利も半ば、不利も半ばである。本当に見識が明らかで決断が果敢でなければ、事を乱し人を損なうだけである。だから昔から、君と臣の出会いを難しいとしてきたのは、理由のあることだ。
解説

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