家道訓 / 巻之六・用財下
一はじめ貧しく後富める人、はじめのまどしき時を忘れずしておごらざれば、永く其の富をたもちて失はず。はじめいやしく後貴くなりたる人、はじめのいやしき時をわすれずしておごらざれば、永く其の貴をたもちて失はず。
書き下し
一はじめ貧しく後富める人、はじめのまどしき時を忘れずしておごらざれば、永く其の富をたもちて失はず。はじめいやしく後貴くなりたる人、はじめのいやしき時をわすれずしておごらざれば、永く其の貴をたもちて失はず。
現代語訳
初め貧しくて後に富んだ人が、初めの貧しかった時を忘れずに驕らなければ、長くその富を保って失いません。初め身分が低くて後に貴くなった人が、初めの低かった時を忘れずに驕らなければ、長くその貴さを保って失いません。
解説
短い対句で、富や地位を保つ秘訣を「初心を忘れず驕らないこと」にまとめた条です。成功して暮らしが楽になると、支出も態度も大きくなりがちで、それが没落の始まりになります。益軒は貧から富へ、賤から貴へという二つの場合を並べ、どちらも驕らなければ長く保てると説きます。事業で成功した人や昇進した人が、苦しかった頃の感覚を忘れずにいることの大切さは、今も多くの経営者が語るところです。収入が増えても生活水準を急に上げない心がけにも通じます。
この章句が説くこと
驕り初心富謙虚家
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