家道訓 / 巻之四・用財上
鹿臺の財、鉅橋の粟、おごりてはたもちがたし。鄧通が銅山の財、石崇が金谷の富も、不德なればつひに失へり。又官祿をむさぼり、財寶をあつめて子孫にのこせども、我が身に仁愛を行はずして、積善なければ天道にそむきて、後の餘慶なし。其の上子孫不肖にしては、其の官祿と財寶をたもちがたし。只陰德を行ひて、つねに善をなし、ひろく人をすくひ、子孫に其の餘福をのこし、又義方の敎をなして、子孫の行を正しくせんこそ、子孫のさいはひとはなるべけれ。我が身一人にて、福祿を多くうけ過せば、天道みてるをかきて、子孫には福のこらず。我が身みづからさいはひの滿てるをかきて、我がため子孫のため、禍をのがるべし。是自福をうけ過さずして、子孫に福をのこしあたふるなり。是智者のする所なり。
新字:鹿台の財、鉅橋の粟、おごりてはたもちがたし。鄧通が銅山の財、石崇が金谷の富も、不徳なればつひに失へり。又官禄をむさぼり、財宝をあつめて子孫にのこせども、我が身に仁愛を行はずして、積善なければ天道にそむきて、後の余慶なし。其の上子孫不肖にしては、其の官禄と財宝をたもちがたし。只陰徳を行ひて、つねに善をなし、ひろく人をすくひ、子孫に其の余福をのこし、又義方の教をなして、子孫の行を正しくせんこそ、子孫のさいはひとはなるべけれ。我が身一人にて、福禄を多くうけ過せば、天道みてるをかきて、子孫には福のこらず。我が身みづからさいはひの満てるをかきて、我がため子孫のため、禍をのがるべし。是自福をうけ過さずして、子孫に福をのこしあたふるなり。是智者のする所なり。
書き下し
鹿台の財、鉅橋の粟、おごりてはたもちがたし。鄧通が銅山の財、石崇が金谷の富も、不徳なればつひに失へり。又官禄をむさぼり、財宝をあつめて子孫にのこせども、我が身に仁愛を行はずして、積善なければ天道にそむきて、後の余慶なし。其の上子孫不肖にしては、其の官禄と財宝をたもちがたし。只陰徳を行ひて、つねに善をなし、ひろく人をすくひ、子孫に其の余福をのこし、又義方の教をなして、子孫の行を正しくせんこそ、子孫のさいはひとはなるべけれ。我が身一人にて、福禄を多くうけ過せば、天道みてるをかきて、子孫には福のこらず。我が身みづからさいはひの満てるをかきて、我がため子孫のため、禍をのがるべし。是自福をうけ過さずして、子孫に福をのこしあたふるなり。是智者のする所なり。
現代語訳
鹿台の財や鉅橋の粟も、おごっては保ちがたいのです。鄧通の銅山の財や石崇の金谷の富も、不徳であったのでついに失いました。また官禄をむさぼり、財宝を集めて子孫に残しても、自分の身に仁愛を行わず、善を積まなければ、天の道に背いて後の余慶はありません。そのうえ子孫が不肖であれば、その官禄と財宝を保つことは難しいのです。ただ陰徳を行って常に善をなし、広く人を救い、子孫にその余りの福を残し、また義にかなった教えをして子孫の行いを正しくすることこそ、子孫の幸いとなるのです。自分一人で福禄を多く受けすぎれば、天の道は満ちたものを欠くので、子孫には福が残りません。自分から幸いが満ちるのを欠いて、自分のため、子孫のために災いを逃れるべきです。これは自分の福を受けすぎずに、子孫に福を残し与えることです。これが智者のすることです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『家道訓』巻之四・用財上如何となれば、我身彼をすくふほど財あるは、天よりひとへに我が身にさいはひし給ふにあらず、貧苦なる者をすくはしめんとて、吾にたからをあたへ富ましめ給ふ理なれば、天の御心にしたがひて、貧人をすくひほどこすべし。もし是をすくはざれば、天の御心にそむきて、其のわざはひおそるべし。天道にそむきしわざはひ、たちまちに目に見え来らず、其のむくい、おそけれどものがれがたし。此の理必ずたがはず、うたがふべからず。天道おそるべし。
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『家道訓』巻之一・総論上年をへて久しく行へば、其の善つもりて大なり。楽しむべし。貧しき人すら斯くの如くなるべし。況や富める人をや。富みて財あまりある人は、天道みてるを虧く理なれば、人にほどこさずして、財を多くあつめおけるは、後は必ずわざはひ出来て、財をうしなひ、子孫に其の財をのこしがたし。財多き人は、尤父母にあつくし、親戚朋友の乏しきをにぎはし、貧しき人をたすけ、飢寒をすくひて広く人を愛し、善を行ふべし。夫人をすくひたすくるは天の好み給ふ所、天道は善にさいはひし給ふ理なれば、かくの如くひろく人を愛すること久しくば、天のよろこび給ふことふかくして、福をうくることうたがひなかるべし。天道は還すことをこのむといへり。善を行へば天よりさいはひを下し、悪を行へば天よりわざはひを下し給ふ。
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『家道訓』巻之四・用財上一人もし富貴にして、たからを多く貯へもたば、是天より我一人にあつくし給ふにあらず、多く人をすくはしめんために、我にさづけたまふとおもひて、天命にしたがひて、つねに仁愛の心をもちて、貧苦なる人をめぐみ、飢饉する者をすくひて、善を行ふを以て楽とすべし。是天の御心にそむかざるなり。斯くのごとくならば、富貴なるかひありて、大なる楽なるべし。財を多くもちても、我が身ひとりの俸養におごり、人にほどこさずして善を行はざるは、無用の物なり。石瓦を多くもてるに同じ。かかる人を守銭虜と古人の云ひけんもむべなり。財をもてるかひなくして、貧賤の人と同じ。一財を用ふる道をしらで貧窮なれば、父母をやしなふにうすく、人に与ふべき物をあたへず、人を恵むことなりがたく、人のおひめをかへさず、廉恥の道行はれがたく、人の恵を受けてむくいず。官となりても、貧なれば民をむさぼりやすく、忠義をつとめがたし。礼義にそむき、心術に害あること、皆是困窮よりおこる。困窮は倹約ならざるよりおこれり。然る故に、倹約は家ををさむる要道なり。
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