家道訓 / 巻之三・総論下
一宅にはじめてうつらば、まづはやく果木を植うべし。次に他木に及ぶべし。十年の計は木を植うるにあり。樹木を植うるには、菓を先とし花を次とし、葉樹を又其の次とす。果は尤人に益あり、多く植うべし。取わき、橘柑柚を多く植うべし。みのりて熟したるは、うるはしき事花におとらず。柿梨栗椒など、好品をもとめ植うべし。花木は梅を先とす。紅梅もよし、櫻亦よし。早く散るうらめし。つばき、花久しく咲きて葉うるはし。插せば活きやすく、花早く開く。海棠、躑躅、杜鵑花もよし。葉樹は、杉、檜、樅金松、羅漢松、冬靑樹などよし。竹を北方に多く植うべし。火と風をふせぎ、又伐りて時用に備ふ。前庭には、柳櫻松柏など植うべし。しげきを忌む。陰氣ふかく、夏は蚊多くしてうるさし。又菜は日用の助となり、宅中に植うるは、新しくして市に買ふにまさり、其の葉さかえてうるはしきは、目をよろこばしむること、花草におとらず。
新字:一宅にはじめてうつらば、まづはやく果木を植うべし。次に他木に及ぶべし。十年の計は木を植うるにあり。樹木を植うるには、菓を先とし花を次とし、葉樹を又其の次とす。果は尤人に益あり、多く植うべし。取わき、橘柑柚を多く植うべし。みのりて熟したるは、うるはしき事花におとらず。柿梨栗椒など、好品をもとめ植うべし。花木は梅を先とす。紅梅もよし、桜亦よし。早く散るうらめし。つばき、花久しく咲きて葉うるはし。挿せば活きやすく、花早く開く。海棠、躑躅、杜鵑花もよし。葉樹は、杉、檜、樅金松、羅漢松、冬青樹などよし。竹を北方に多く植うべし。火と風をふせぎ、又伐りて時用に備ふ。前庭には、柳桜松柏など植うべし。しげきを忌む。陰気ふかく、夏は蚊多くしてうるさし。又菜は日用の助となり、宅中に植うるは、新しくして市に買ふにまさり、其の葉さかえてうるはしきは、目をよろこばしむること、花草におとらず。
書き下し
一宅にはじめてうつらば、まづはやく果木を植うべし。次に他木に及ぶべし。十年の計は木を植うるにあり。樹木を植うるには、菓を先とし花を次とし、葉樹を又其の次とす。果は尤人に益あり、多く植うべし。取わき、橘柑柚を多く植うべし。みのりて熟したるは、うるはしき事花におとらず。柿梨栗椒など、好品をもとめ植うべし。花木は梅を先とす。紅梅もよし、桜亦よし。早く散るうらめし。つばき、花久しく咲きて葉うるはし。挿せば活きやすく、花早く開く。海棠、躑躅、杜鵑花もよし。葉樹は、杉、檜、樅金松、羅漢松、冬青樹などよし。竹を北方に多く植うべし。火と風をふせぎ、又伐りて時用に備ふ。前庭には、柳桜松柏など植うべし。しげきを忌む。陰気ふかく、夏は蚊多くしてうるさし。又菜は日用の助となり、宅中に植うるは、新しくして市に買ふにまさり、其の葉さかえてうるはしきは、目をよろこばしむること、花草におとらず。
現代語訳
家に初めて移り住んだら、まず早く果樹を植えるべきです。次にほかの木に及ぶべきです。十年の計は木を植えることにあります。樹木を植えるには、果樹を先にし、花木を次にし、葉樹をまたその次にします。果実はとりわけ人に益があるので、多く植えるべきです。とりわけ橘・柑・柚を多く植えるべきです。実って熟したものは、美しいことが花に劣りません。柿・梨・栗・山椒など、よい品種を求めて植えるべきです。花木は梅を先とします。紅梅もよく、桜もまたよいものです。早く散るのが恨めしいのです。椿は花が長く咲いて葉が美しいのです。挿し木にすれば根づきやすく、花が早く開きます。海棠・躑躅・杜鵑花(さつき)もよいものです。葉樹は、杉・檜・樅・金松・羅漢松・冬青などがよいのです。竹を北側に多く植えるべきです。火と風を防ぎ、また伐ってその時々の用に備えます。前庭には、柳・桜・松・柏などを植えるべきです。茂りすぎるのを忌みます。陰気が深く、夏は蚊が多くてうるさいのです。また野菜は日々の暮らしの助けとなり、家の中に植えるのは、新しくて市で買うのにまさり、その葉が茂って美しいのは、目を喜ばせることが花の草に劣りません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志後録 第二百二十九条 案を立て両路を開く器物は必ず正副有りて、而る後に欠事無し。凡そ将に一事を区処せんとするにも、亦当に案を立て両路を開くこと、正副の如く然るべし。
-
『大和俗訓』巻之七・躬行下一今日は明日の計をなし、今月は来月の計をなし、今年は来年の計をなし、平生は一生の計をなし、生前に早く死後の計をなすべし。おこたるべからず。一明日行ふべき事あらば、必今日より其事を思ひはかりて定むべし。明朝使をつかはし、文をおくらんと思はば、今夕より書きととのへて、使を命ずべし。其日の事を其日はじめて思案しいとなめば、はかゆかず、事にのぞみて、或はさまたげ出来、まぎらはしくて過多し。
-
『春秋左氏伝』昭公三十二年 士彌牟、成周を営む冬、十一月、晉の魏舒・韓不信、京師に如き、諸侯の大夫を狄泉に合し、盟を尋(あたた)め、且つ成周に城くことを令す。魏子南面す。衛の彪徯曰く、「魏子必ず大咎有らん。位を干して以って大事を令するは、其の任に非ざるなり。詩に曰く、『天の怒りを敬し、敢へて戲豫せず。天の渝(かは)るを敬し、敢へて馳驅せず』と。況んや敢へて位を干して、以って大事を作さんや」と。己丑、士彌牟成周を營み、丈數を計り、高卑を揣り、厚薄を度り、溝洫を仞り、土方を物し、遠邇を議し、事期を量り、徒庸を計り、財用を慮り、餱糧を書し、以って役を諸侯に令す。役を屬(あつ)めて丈を賦し、書して以って帥に授けて、諸を劉子に效(いた)す。韓簡子之に臨み、以って成命と為す。
-
『春秋左氏伝』哀公二十七年 謀は始・衷・終を挙ぐ齊に敵することを卜せず」と。成子に謂はしめて曰く、「大夫陳子は、陳の自りて出づるなり。陳の祀られざるは、鄭の罪なり。故に寡君、瑤をして陳の衷を察せしむ。謂ふ、大夫其れ陳を恤へんか、と。若し本の顛るるを利とせば、瑤何か有らん」と。成子怒りて曰く、「多く人を陵ぐ者は皆在らず。知伯其れ能く久しからんや」と。中行文子、成子に告げて曰く、「晉師より寅に告ぐる者有り。將に輕車千乘を為りて、以て齊師の門に厭せんとす、と。則ち盡す可きなり」と。成子曰く、「寡君、恆に命じて曰く、『寡に及ぶこと無かれ、衆を畏るること無かれ』と。千乘に過ぐと雖も、敢へて之を辟けんや。將に子の命を以て寡君に告げんとす」と。文子曰く、「吾乃ち今、亡ぶる所以を知る。君子の謀るや、始・衷・終、皆之を舉げて、而る後に焉に入る。今、我、三つながら知らずして之に入る。亦た難からずや」と。公、三桓の侈を患へ、諸侯を以て之を去らんと欲す。三桓も亦た公の妄を患ふ。故に君臣、間多し。公、陵阪に游び、孟武伯に孟氏の衢に遇ひて曰く、「請ふ、子に問ふこと有らん。余、死に及ばんか」と。對へて曰く、「臣、由りて之を知る無し」と。三たび問ふ。卒に辭して對へず。公、越を以て魯を伐ちて三桓を去らんと欲す。秋八月甲戌、公、公孫有陘氏に如き、因りて邾に孫れ、乃ち遂に越に如く。國人、公孫有山氏に施す。
-
言志四録・言志晩録 第百二十二条 終始を熟図す凡そ事は功有るに似て功無き有り、弊有るに似て弊無き有り。況や数年を経て効を見るの事に於てをや。宜しく先づ其の終始を熟図して、而る後に做し起すべし。然らずんば、功必ず完からず、或は中ごろに廃し、償ふべからざるに至らん。
-
史記 河渠書五千頃は故尽く河壖の棄地にして、民、其の中に茭牧するのみ。今之に溉田せば、度るに穀二百万石以上を得可し。穀は渭より上り、関中と異なる無く、而して砥柱の東は復た漕する無かる可し」と。天子以て然りと為し、卒数万人を発して渠田を作る。数歳にして、河移徙し、渠利あらず、則ち田する者種を償ふ能はず。之を久しくして、河東の渠田廃れ、越人に予へ、少府をして以て稍入と為さしむ。其の後、人の上書して褒斜の道及び漕の事を通ぜんと欲する有り、御史大夫張湯に下す。湯、其の事を問ひ、因りて言ふ、「蜀に抵るに故道よりす。故道は阪多く、回遠なり。今、褒斜の道を穿たば、阪少なく、近きこと四百里。而して褒水は沔に通じ、斜水は渭に通ず、皆以て船漕を行ふ可し。漕は南陽より沔を上りて褒に入り、褒の水の絶ゆるより斜に至るまで、間百余里、車を以て転じ、斜より下りて渭に下る。此の如くせば、漢中の穀致す可く、山東は沔よりして限り無く、砥柱の漕より便なり。且つ褒斜の材木・竹箭の饒かなること、巴蜀に擬す」と。天子以て然りと為し、湯の子卬を拝して漢中の守と為し、数万人を発して褒斜の道五百余里を作る。道果して便にして近し。而れども水湍石にして、漕す可からず。其の後、荘熊羆言ふ、「臨晋の民、洛を穿ちて以て重泉以東の万余頃の故鹵地に溉がんことを願ふ。誠に水を得ば、畝ごとに十石ならしむ可し」と。是に於て為に卒万余人を発して渠を穿ち、徴より洛水を引きて商顔山の下に至る。岸善く崩る。乃ち井を鑿つこと、深き者四十余丈。往往に井を為り、井の下相通じて水を行る。水穨れて以て商顔を絶ち、東のかた山嶺に至るまで十余里の間なり。井渠の生ずること此より始まる。渠を穿ちて龍骨を得、故に名づけて龍首渠と曰ふ。之を作ること十余歳、渠頗る通ずるも、猶ほ未だ其の饒を得ず。河、瓠子に決せし後より二十余歳、歳因りて以て数々登らず、而して梁・楚の地尤も甚だし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る