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家道訓 / 巻之三・総論下

一家に居ても國にありても、善を行ひ道にしたがふほど樂しむべきことなし。はじめはつとめならひて善を行ふべし。久しく行ひてならひ馴れぬれば、賢哲にいたらざれど善を行ふこと樂しくなりぬ。才藝は雜事なり、初は面白からざれども、久しく習ひ馴れぬれば後におもしろし。况やよき道を行ひ熟せば、あに樂しからずや。

新字:一家に居ても国にありても、善を行ひ道にしたがふほど楽しむべきことなし。はじめはつとめならひて善を行ふべし。久しく行ひてならひ馴れぬれば、賢哲にいたらざれど善を行ふこと楽しくなりぬ。才芸は雑事なり、初は面白からざれども、久しく習ひ馴れぬれば後におもしろし。況やよき道を行ひ熟せば、あに楽しからずや。

書き下し

一家に居ても国にありても、善を行ひ道にしたがふほど楽しむべきことなし。はじめはつとめならひて善を行ふべし。久しく行ひてならひ馴れぬれば、賢哲にいたらざれど善を行ふこと楽しくなりぬ。才芸は雑事なり、初は面白からざれども、久しく習ひ馴れぬれば後におもしろし。況やよき道を行ひ熟せば、あに楽しからずや。

現代語訳

家にいても国にあっても、善を行い道に従うほど楽しむべきことはありません。初めは努め習って善を行うべきです。長く行って習い慣れれば、賢人や哲人に至らなくても、善を行うことが楽しくなります。才芸は雑事であり、初めは面白くなくても、長く習い慣れれば後には面白くなります。まして良い道を行って熟達すれば、どうして楽しくないことがあるでしょうか。

解説

善を行うことは、初めは努力して習うものでも、長く続けて習慣になれば、聖賢でなくても楽しくなると説きます。習い事も初めは面白くなくても続けるうちに面白くなるのと同じだというたとえは、誰にでも実感があるでしょう。論語雍也篇の「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」を思わせる、楽訓の著者らしい一節です。善い習慣も、最初は意識して続け、やがて楽しみに変わっていくものだという励ましとして読めます。

この章句が説くこと

善楽しみ習慣学問道

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