家道訓 / 巻之三・総論下
一人の子孫たる者は、其の家の先祖の家法をよく守りて失はざれば、たとひ其の子孫才力なしといへども、よく其の家をたもちて、いつまでも長久なり。其の故は、其の家をはじめて持ち立てたる先祖は、それほどの才智あり、其の上、わかき時より事に多くなれ、艱難をへて萬事に熟し、世のありさま、人の心の善惡、人のうれへかなしみをよく知れり。此の故に、其人の立てたる家法は、必ず堅固にしてやぶれなし。子孫よく其法を守れば、やぶれなくわざはひなし。其の子孫、才力聰明すぐれたる人ありとも、はじめて家を持ち立てたる先祖には及びがたし。もし其子孫利口にして、先祖のさだめ置きたる法はむかしの事にて、今の世にあはざるとて、其の先祖をないがしろにして、其の法をやぶり新法をたつれば、必ず其の家亡ぶ。先祖の法を手本にして守り行はば、其の家いつまでも長久なるべし。
新字:一人の子孫たる者は、其の家の先祖の家法をよく守りて失はざれば、たとひ其の子孫才力なしといへども、よく其の家をたもちて、いつまでも長久なり。其の故は、其の家をはじめて持ち立てたる先祖は、それほどの才智あり、其の上、わかき時より事に多くなれ、艱難をへて万事に熟し、世のありさま、人の心の善悪、人のうれへかなしみをよく知れり。此の故に、其人の立てたる家法は、必ず堅固にしてやぶれなし。子孫よく其法を守れば、やぶれなくわざはひなし。其の子孫、才力聰明すぐれたる人ありとも、はじめて家を持ち立てたる先祖には及びがたし。もし其子孫利口にして、先祖のさだめ置きたる法はむかしの事にて、今の世にあはざるとて、其の先祖をないがしろにして、其の法をやぶり新法をたつれば、必ず其の家亡ぶ。先祖の法を手本にして守り行はば、其の家いつまでも長久なるべし。
書き下し
一人の子孫たる者は、其の家の先祖の家法をよく守りて失はざれば、たとひ其の子孫才力なしといへども、よく其の家をたもちて、いつまでも長久なり。其の故は、其の家をはじめて持ち立てたる先祖は、それほどの才智あり、其の上、わかき時より事に多くなれ、艱難をへて万事に熟し、世のありさま、人の心の善悪、人のうれへかなしみをよく知れり。此の故に、其人の立てたる家法は、必ず堅固にしてやぶれなし。子孫よく其法を守れば、やぶれなくわざはひなし。其の子孫、才力聰明すぐれたる人ありとも、はじめて家を持ち立てたる先祖には及びがたし。もし其子孫利口にして、先祖のさだめ置きたる法はむかしの事にて、今の世にあはざるとて、其の先祖をないがしろにして、其の法をやぶり新法をたつれば、必ず其の家亡ぶ。先祖の法を手本にして守り行はば、其の家いつまでも長久なるべし。
現代語訳
人の子孫である者は、その家の先祖の家法をよく守って失わなければ、たとえその子孫に才力がなくても、よくその家を保って、いつまでも長く続きます。そのわけは、その家を初めて立てた先祖は、それほどの才智があり、そのうえ若いときから多くの事に慣れ、艱難を経て万事に熟達し、世のありさま、人の心の善悪、人の憂いや悲しみをよく知っていたからです。それで、その人の立てた家法は必ず堅固で破れがありません。子孫がよくその法を守れば、破れがなく災いもありません。その子孫に才力や聡明のすぐれた人がいても、初めて家を立てた先祖には及びにくいのです。もしその子孫が小賢しくて、先祖の定めておいた法は昔のことで今の世に合わないといって、その先祖をないがしろにし、その法を破って新しい法を立てれば、必ずその家は滅びます。先祖の法を手本にして守り行えば、その家はいつまでも長く続くでしょう。
解説
この章句が説くこと
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『茶の本』第四章 茶室・洋式建築の無分別な模倣茶室はある個人的趣味に適するように建てらるべきだということは、芸術における最も重要な原理を実行することである。芸術が充分に味わわれるためには、その同時代の生活に合っていなければならぬ。それは後世の要求を無視せよというのではなくて、現在をなおいっそう楽しむことを努むべきだというのである。また過去の創作物を無視せよというのではなくて、それをわれらの自覚のなかに同化せよというのである。伝統や型式に屈従することは、建築に個性の表われるのを妨げるものである。現在日本に見るような洋式建築の無分別な模倣を見てはただ涙を注ぐほかはない。われわれは不思議に思う、最も進歩的な西洋諸国の間に、何ゆえに建築がかくも斬新を欠いているのか、かくも古くさい様式の反復に満ちているのかと。
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『墨子』非儒下儒者曰く、「君子は必ず古を服し古を言い、然る後に仁なり」と。之に應じて曰く、所謂る古なる者は、皆な嘗て新しかりき。而して古人、之を服せば、則ち君子なり。然らば則ち必ず君子に非ざるの法を法とし、君子に非ざるの言を言いて、而る後に仁ならんや。
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『墨子』節葬下今、厚葬久喪を執る者の言に曰く、厚葬久喪は不可以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からずと使むと雖も、然れども此れ聖王の道なり、と。子墨子曰く、然らず。昔者、堯、北のかた八狄に教え、道に死し、鞏山の隂に葬らる。衣衾は三領、榖木の棺、葛以て之を緘し、既にして後に哭し、埳を滿たして封無し。已に葬れば、牛馬、之に乗る。舜、西のかた七戎に教え、道に死し、南已の市に葬らる。衣衾は三領、榖木の棺、葛以て之を緘す。已に葬れば、市人、之に乗る。禹、東のかた九夷に教え、道に死し、㑹稽の山に葬らる。衣衾は三領、桐棺は三寸、葛以て之を緘し、之を絞りて合わせず、之を道びきて塪せず、土地の深さは、下は泉に及ぶ毋く、上は臭を通ずる毋し。既に葬れば、餘壤を其の上に收め、壟は參耕の畝の若くして、止まるを取るのみ。若し此の若の三聖王を以て之を觀れば、則ち厚葬久喪は果たして聖王の道に非ず。故に三王なる者は、皆な貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。豈に財用の足らざるを憂えんや。以為えらく此くの如きは葬埋の法なりと。
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論語・子罕篇子曰く、麻冕は礼なり。今や純なるは倹なり。吾は衆に従わん。下に拝するは礼なり。今上に拝するは泰なり。衆に違うと雖も、吾は下に従わん。
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『墨子』非命中今、夫れ有命者、言いて曰く、「我れ之を後世に作すに非ざるなり。昔三代より若き言有りて以て傳流せり」と。今、故に先王、之に對せんか。曰く、夫れ有命者は、昔の三代の聖善の人を志さざるか。意うに亡くば昔の三代の暴不肖の人か。何を以て之を知る。初めの列士・卿大夫は、言を慎み行を知り、此れ上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は其の君長の賞を得、下は其の百姓の譽を得。列士・卿大夫の聲聞、廢れず、傳流して今に至る。而して天下、皆な其の力なりと曰う。一
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『茶の本』第四章 茶室・古人を憬慕し模倣は少なくたぶん今、芸術の民本主義の時代を経過しつつ、一方にある君主らしい支配者が出現して新たな王朝をおこすのを待っているのであろう。願わくは古人を憬慕することはいっそうせつに、かれらに模倣することはますます少なからんことを。ギリシャ国民の偉大であったのは、決して古物に求めなかったからであると伝えられている。
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