十牛図 / 『十牛図』第五 牧牛
前思纔起、後念相隨、由覺故以成眞、在迷故而爲妄、不由境有、唯自心生、鼻索牢牽、不容擬議 鞭索時時不離身、恐伊縱步入埃塵、相將牧得純和也、羈鎻無拘自逐人、
新字:前思纔起、後念相随、由覚故以成真、在迷故而為妄、不由境有、唯自心生、鼻索牢牽、不容擬議 鞭索時時不離身、恐伊縦歩入埃塵、相将牧得純和也、羈鎻無拘自逐人、
書き下し
前の思い纔かに起これば、後の念相い随う。覚に由るが故に以て真と成り、迷に在るが故に而も妄と為る。境に由りて有るにあらず、唯だ自心より生ず。鼻索を牢く牽きて、擬議を容れざれ。 鞭索時時身を離れず、恐らくは伊が歩を縦にして埃塵に入らんことを。相い将いて牧し得て純和なり、羈鎖拘うる無くして自ら人を逐う。
現代語訳
前の思いがわずかに起こると、後の思いがすぐあとに続きます。目覚めているときにはそれが真実となり、迷っているときには妄想となります。それは外の境遇によって生じるのではなく、ただ自分の心から生まれます。鼻の綱をしっかり引いて、あれこれ思案する余地を与えてはいけません。 むちと綱を、いつも身から離さずにおきます。牛が勝手に歩き出して、塵と埃の世界に入ってしまうのが心配だからです。連れ添って世話を続けるうちに、牛はすっかりおとなしくなり、つなぎ止める綱がなくても、自分から人についてくるようになります。
解説
五番目は、牛を飼いならす場面です。序は、思いが次々に連なるとき、それが真実になるか妄想になるかは、外の境遇ではなく自分の心の持ち方しだいだと述べます。鼻の綱をしっかり引くとは、心を散らさず見張ることです。頌は、最初はむちと綱が要っても、続けるうちに綱がなくても人についてくるようになると言います。仕事に置き換えると、望ましい習慣は最初こそ意識的な管理や仕組みが必要で、繰り返すうちに自然な振る舞いになる、という過程に重なります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
牧牛鼻索鞭索自心純和擬議
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十牛図・『十牛図』第二 見跡経に依りて義を解し、教を閲して蹤を知る。衆器を明らかにして一金と為し、万物を体して自己と為す。正邪を弁ぜず、真偽奚んぞ分かたん。未だ斯の門に入らざれば、権に見跡と為す。 水辺林下、跡偏えに多し。芳草離披として見るや也た麼か。縦い是れ深山の更に深き処なりとも、遼天の鼻孔、怎でか他を蔵さん。
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