十牛図 / 『十牛図』第三 見牛
從聲得入、見處逢源、六根門着着無差、動用中頭頭顯露、水中鹽味、色裡膠靑、貶上眉毛、非是他物、 黃鶯枝上一聲聲、日暖風和岸柳靑、只此更無回避處、森森頭角畫難成、
新字:従声得入、見処逢源、六根門着着無差、動用中頭頭顕露、水中塩味、色裡膠青、貶上眉毛、非是他物、 黄鶯枝上一声声、日暖風和岸柳青、只此更無回避処、森森頭角画難成、
書き下し
声より入ることを得て、見る処に源に逢う。六根の門、着着差う無く、動用の中、頭頭顕露す。水中の塩味、色裏の膠青、眉毛を貶上すれば、是れ他物に非ず。 黄鶯枝上に一声一声、日暖かに風和らぎて岸柳青し。只だ此れのみにして更に回避する処無し。森森たる頭角、画けども成り難し。
現代語訳
声を手がかりにして入ることができ、目に触れるところで源に出会います。眼耳鼻舌身意の六つの感覚の門は一つ一つ誤りがなく、日々の立ち居振る舞いの中に、あらゆるものがはっきりと現れています。水に溶けた塩の味、絵の具に混じった膠の青さのように、見えないが確かにあり、眉毛をひそめ目を見張るこの働きこそ、ほかのものではありません。 黄鶯が枝の上で一声ずつ鳴き、日はうららかに風は穏やかで、岸の柳は青々としています。ただこれだけで、もう逃げ隠れする場所はありません。そびえ立つ牛の頭と角は、絵に描こうとしても描ききれません。
解説
三番目は、ついに牛の姿を見る場面です。声から入るとは、鶯の声など日常の音や景色を通して本来の自己に触れることを言います。六根の働きと日常の動作の中に、牛がそのまま現れているという見方です。塩味や膠の青のたとえは、見えなくても確かにあるものを示します。仕事に置き換えると、特別な場面だけでなく、日々の会議や電話、現場の何気ない動きの中に、自分の力の源が現れているということになります。頌の最後は、その姿は絵にしきれないほど大きいと結びます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
見牛六根動用塩味膠青頭角
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