十八史略 / 『十八史略』唐・代宗・郭子儀、冑を脱いで回紇を説く
僕固懷恩誘回紇吐蕃入寇召郭子儀屯涇陽懷恩道死二虜爭長不睦子儀遣人說回紇欲共擊吐蕃先是懷恩欺回紇謂子儀已死使至回紇不信曰郭公在可得見乎使還報子儀與數騎出使人傳呼曰令公來回紇大驚藥葛羅執弓矢立陣前子儀免冑釋甲而進諸酋長相顧曰是也皆下馬羅拜子儀亦下馬執手與之語取酒相與誓約而還吐蕃聞之夜遁諸軍與回紇共追大破之
新字:僕固懐恩誘回紇吐蕃入寇召郭子儀屯涇陽懐恩道死二虜争長不睦子儀遣人説回紇欲共撃吐蕃先是懐恩欺回紇謂子儀已死使至回紇不信曰郭公在可得見乎使還報子儀与数騎出使人伝呼曰令公来回紇大驚薬葛羅執弓矢立陣前子儀免冑釈甲而進諸酋長相顧曰是也皆下馬羅拝子儀亦下馬執手与之語取酒相与誓約而還吐蕃聞之夜遁諸軍与回紇共追大破之
書き下し
僕固懐恩、回紇・吐蕃を誘いて入寇す。郭子儀を召して涇陽に屯せしむ。懐恩、道に死す。二虜長を争いて睦まず。子儀、人を遣わして回紇に説き、共に吐蕃を撃たんと欲す。先に懐恩、回紇を欺き、子儀は已に死せりと謂う。使い至るも、回紇信ぜず。曰く、郭公在らば、見ゆるを得べけんや、と。使い還りて子儀に報ず。子儀は数騎と与に出で、人をして伝呼せしむ。曰く、令公来たる、と。回紇大いに驚く。薬葛羅、弓矢を執りて陣前に立つ。子儀、冑を免ぎ甲を釈きて進む。諸酋長相い顧みて曰く、是れなり、と。皆馬を下りて羅拝す。子儀も亦馬を下り、手を執りて之と語る。酒を取り、相与に誓約して還る。吐蕃之を聞き、夜に遁る。諸軍、回紇と共に追いて大いに之を破る。
現代語訳
僕固懐恩は、回紇と吐蕃を誘って攻め入りました。朝廷は郭子儀を呼び寄せて涇陽に駐屯させました。懐恩は途中で死に、二つの異民族は、主導権を争って不和になりました。子儀は人を遣わして回紇を説き、一緒に吐蕃を討とうとしました。以前、懐恩は回紇を欺いて、子儀はすでに死んだと言っていました。使者が着いても、回紇は信じません。「郭公が生きているなら、会わせてもらえるはずだ」と言います。使者は戻ってこれを子儀に報告しました。子儀は数騎を連れて出かけ、人に大声で伝えさせました。「令公が来られたぞ」。回紇は大いに驚きました。首領の薬葛羅は弓矢を持って陣の前に立ちました。子儀は冑を脱ぎ、鎧を外して進みました。諸首長は顔を見合わせて言いました。「この人だ」。みな馬を下りて取り巻いて拝みました。子儀も馬を下り、手を取って語り合い、酒を取り寄せて、誓いを交わして帰りました。吐蕃はこれを聞き、夜のうちに逃げ去りました。諸軍は回紇とともに追撃し、大いに打ち破りました。
解説

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