十八史略 / 『十八史略』唐・玄宗・口に蜜あり腹に剣あり
林甫媚事上左右迎合上意以固寵杜絕言路掩蔽聰明嘗語諸御史曰不見立仗馬乎一鳴輒斥去妬賢嫉能排抑勝己性陰險人以為口有蜜腹有劍每夜獨坐偃月堂有所深思明日必有誅殺屢起大獄自太子以下皆畏之在相位十九年養成天下之亂而上不悟然祿山畏林甫術數故終其世未敢反
新字:林甫媚事上左右迎合上意以固寵杜絶言路掩蔽聰明嘗語諸御史曰不見立仗馬乎一鳴輒斥去妬賢嫉能排抑勝己性陰険人以為口有蜜腹有剣毎夜独坐偃月堂有所深思明日必有誅殺屡起大獄自太子以下皆畏之在相位十九年養成天下之乱而上不悟然禄山畏林甫術数故終其世未敢反
書き下し
林甫は上の左右に媚事し、上意に迎合し、以て寵を固め、言路を杜絶し、聡明を掩蔽す。嘗て諸御史に語りて曰く、立仗の馬を見ずや。一たび鳴けば輒ち斥去せらる、と。賢を妬み能を嫉み、己に勝るを排抑す。性は陰険にして、人は以て口に蜜有り腹に剣有りと為す。毎夜独り偃月堂に坐し、深く思う所有れば、明日必ず誅殺有り。屢しば大獄を起こす。太子より以下、皆之を畏る。相位に在ること十九年、天下の乱を養成す。而るに上は悟らず。然れども禄山は林甫の術数を畏る。故に其の世を終うるまで未だ敢えて反せず。
現代語訳
李林甫は、玄宗の側近たちに取り入り、玄宗の意向に合わせて寵愛を固め、言路をふさいで、玄宗の聡明さを覆い隠しました。あるとき諸御史に言いました。「宮廷の儀仗の馬を見たことがないのか。一度でも鳴けば、すぐ追い払われるのだ」。賢者を妬み、有能な者を嫌い、自分に勝る者を押さえ込みました。性格は陰険で、人々は「口には蜜があり、腹には剣がある」と評しました。毎夜ひとり偃月堂に座り、深く考えることがあれば、翌日には必ず誅殺が起こります。たびたび大規模な獄を起こし、太子以下、みなが彼を恐れました。宰相の位にあること十九年、天下の乱を育てましたが、玄宗は悟りませんでした。ただ、安禄山は林甫の術策を恐れたので、林甫の存命中は、とうとう反乱を起こしませんでした。
解説

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