十八史略 / 『十八史略』唐・玄宗・姚崇と宋璟の補い合い
四年姚崇罷宋璟為黃門監璟為相務擇人百官各得其職好犯顏正諫上甚敬憚之璟與姚崇相繼為政崇善應變璟善守文志操不同然協心輔佐使賦役寬平刑罰清省百姓富庶唐世賢相前稱房杜後稱姚宋佗莫得比二人每進見上輒為之起去則臨軒送之
新字:四年姚崇罷宋璟為黄門監璟為相務択人百官各得其職好犯顔正諫上甚敬憚之璟与姚崇相継為政崇善応変璟善守文志操不同然協心輔佐使賦役寛平刑罰清省百姓富庶唐世賢相前称房杜後称姚宋佗莫得比二人毎進見上輒為之起去則臨軒送之
書き下し
四年、姚崇罷め、宋璟黄門監と為る。璟、相と為りて、務めて人を択び、百官各おの其の職を得たり。好んで顔を犯して正諫し、上甚だ之を敬憚す。璟と姚崇は相継ぎて政を為す。崇は変に応ずるに善く、璟は文を守るに善し。志操同じからざるも、然れども心を協せて輔佐し、賦役は寛平、刑罰は清省にして、百姓富庶なり。唐世の賢相、前には房・杜を称し、後には姚・宋を称す。佗は得て比ぶる莫し。二人毎に進見すれば、上輒ち之が為に起つ。去れば則ち軒に臨みて之を送る。
現代語訳
四年に姚崇が職を退き、宋璟が黄門監となりました。璟は宰相として、人を選ぶことに努め、百官はそれぞれ適した職を得ました。好んで主君の顔色を犯してまで正しく諫め、玄宗はこれを深く敬い、また憚りました。璟と姚崇は、相次いで政治を担いました。崇は変化に応じるのが得意で、璟は規範を守るのが得意でした。志や操は同じではありませんでしたが、心を合わせて補佐し、賦役は寛大で公平に、刑罰は簡素で穏やかになり、民は豊かになりました。唐代の賢相は、前には房玄齢・杜如晦を称え、後には姚崇・宋璟を称え、他にこの二組に並ぶ者はありません。二人が拝謁に進むたびに、玄宗は必ず立ち上がって迎え、二人が退出すると、軒先まで出て見送りました。
解説

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