十八史略 / 『十八史略』唐・則天武氏・薬籠中の物と人材の推挙
元行沖博學多通仁傑重之行沖多規諫曰明公之門珍味多矣請備藥物之末仁傑笑曰吾藥籠中物何可一日無也姚元崇等數十人皆仁傑所薦或曰天下桃李悉在公門矣仁傑曰薦賢為國非為私也曌嘗問仁傑欲得一佳士用之仁傑曰有張柬之者雖老宰相才也後竟用柬之為相
新字:元行沖博学多通仁傑重之行沖多規諫曰明公之門珍味多矣請備薬物之末仁傑笑曰吾薬籠中物何可一日無也姚元崇等数十人皆仁傑所薦或曰天下桃李悉在公門矣仁傑曰薦賢為国非為私也曌嘗問仁傑欲得一佳士用之仁傑曰有張柬之者雖老宰相才也後竟用柬之為相
書き下し
元行沖は博学多通なり。仁傑之を重んず。行沖多く規諫して曰く、明公の門、珍味多し。請う、薬物の末を備えん、と。仁傑笑いて曰く、吾が薬籠中の物、何ぞ一日も無かるべけんや、と。姚元崇ら数十人は、皆仁傑の薦むる所なり。或ひと曰く、天下の桃李、悉く公の門に在り、と。仁傑曰く、賢を薦むるは国の為にして、私の為に非ざるなり、と。太后嘗て仁傑に問う、一佳士を得て之を用いんと欲す、と。仁傑曰く、張柬之なる者有り。老いたりと雖も宰相の才なり、と。後竟に柬之を用いて相と為す。
現代語訳
元行沖は博学で何にでも通じており、狄仁傑は彼を重んじていました。行沖はしばしば遠慮なく意見して言いました。「あなたのお門には、珍しいごちそうが多くあります。どうか私を、薬の末席に加えさせてください」。仁傑は笑って言いました。「君は私の薬箱の中の物だ。一日も欠かせないよ」。姚元崇ら数十人は、みな仁傑が推薦した人物でした。ある人が言いました。「天下の桃や李の良い人材は、みなあなたの門下にあります」。仁傑は言いました。「賢者を推薦するのは国のためで、私のためではない」。則天武后があるとき仁傑に、一人の優れた人物を得て用いたいと尋ねました。仁傑は答えました。「張柬之という者がいます。年は老いていますが、宰相の才能があります」。のちに、武后はついに柬之を用いて宰相としました。
解説

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