忍経 / 盛德所容
狄仁傑未輔政,婁師德薦之。後曰:「聯用卿,師德薦也,誠知人矣。」出其奏。仁傑慚,已而歎曰:「婁公盛德,我為所容,吾知吾不逮遠矣。」
新字:狄仁傑未輔政,婁師徳薦之。後曰:「聯用卿,師徳薦也,誠知人矣。」出其奏。仁傑慚,已而嘆曰:「婁公盛徳,我為所容,吾知吾不逮遠矣。」
書き下し
狄仁傑未だ輔政せざるとき、婁師德之を薦む。後曰く、「聯(朕)卿を用ふるは、師德の薦むるなり、誠に人を知る」と。其の奏を出す。仁傑慚ぢ、已にして歎じて曰く、「婁公の盛德、我容るる所と爲る。吾吾の逮ばざること遠きを知る」と。
現代語訳
狄仁傑(唐の宰相)がまだ政治を補佐する地位に就く前、婁師徳が彼を推薦していました。後に則天武后が狄仁傑に「私がそなたを用いたのは、師徳が推薦したからだ。まことに人を見る目がある」と言い、その推薦の上奏文を取り出して見せました。狄仁傑は恥じ入り、やがて嘆息して言いました。「婁公の大きな徳に、私は包み容れられていたのだ。私は自分がはるかに及ばないことを知った」。
解説
唐の名宰相狄仁傑と婁師徳の話で、『新唐書』などに見えます。狄仁傑は婁師徳を軽んじ、朝廷から遠ざけようとしていたと伝えられます。ところが則天武后から、自分を推薦したのがほかならぬ婁師徳だったと知らされ、深く恥じました。婁師徳は推薦したことを一言も語らず、軽んじられても恩を着せませんでした。自分を嫌う相手でも、力があれば推す。その公平さと、黙っていられる大きさが、盛徳と呼ばれたのです。人を推したことや助けたことは、つい口にしたくなるものです。見返りを求めず黙っていることの重みを、この話は静かに伝えています。
この章句が説くこと
忍陰徳推挙婁師徳度量
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