十八史略 / 『十八史略』唐・則天武氏・唾面自乾と婁師徳の度量
師德寬厚清慎犯而不校弟除代州刺史師德謂兄弟榮寵過盛人所疾也何以自免弟曰自今人雖唾某面拭之而已師德愀然曰此所以為吾憂也人唾汝面怒汝也而拭之則逆其意而重其怒矣唾不拭自乾當笑而受之耳師德每薦仁傑而仁傑每毀師德曌語仁傑曰朕用卿師德所薦也仁傑退而歎曰婁公盛德我為所容久矣
新字:師徳寛厚清慎犯而不校弟除代州刺史師徳謂兄弟栄寵過盛人所疾也何以自免弟曰自今人雖唾某面拭之而已師徳愀然曰此所以為吾憂也人唾汝面怒汝也而拭之則逆其意而重其怒矣唾不拭自乾当笑而受之耳師徳毎薦仁傑而仁傑毎毀師徳曌語仁傑曰朕用卿師徳所薦也仁傑退而嘆曰婁公盛徳我為所容久矣
書き下し
師徳は寛厚清慎にして、犯さるるも校べず。弟、代州刺史に除せらる。師徳謂う、兄弟の栄寵過盛なるは、人の疾む所なり。何を以て自ら免れん、と。弟曰く、今より人、某が面に唾すと雖も、之を拭うのみ、と。師徳愀然として曰く、此れ吾が憂いと為す所以なり。人の汝の面に唾するは、汝を怒ればなり。而るに之を拭えば、則ち其の意に逆らいて其の怒りを重ぬ。唾は拭わざれば自ら乾く。当に笑いて之を受くべきのみ、と。師徳は毎に仁傑を薦む。而るに仁傑は毎に師徳を毀つ。太后、仁傑に語りて曰く、朕の卿を用うるは、師徳の薦むる所なり、と。仁傑退きて歎じて曰く、婁公の盛徳、我れ容るる所と為ること久し、と。
現代語訳
婁師徳は寛大で穏やか、清廉で慎み深く、人に逆らわれても争いませんでした。弟が代州刺史に任ぜられたとき、師徳は言いました。「私たち兄弟は寵愛と栄誉が度を過ぎている。これは人に妬まれるもとだ。どうすれば身を守れるだろうか」。弟は答えました。「これからは、人が私の顔に唾を吐いても、それを拭うだけにします」。師徳は表情を曇らせて言いました。「それこそ私が心配していることだ。人がお前の顔に唾を吐くのは、お前に怒っているからだ。それを拭えば、相手の意に逆らって、怒りをさらに重ねることになる。唾は拭わなければ自然に乾く。笑って受けておけばよいのだ」。師徳はいつも狄仁傑を推薦していましたが、仁傑はいつも師徳をけなしていました。則天武后が仁傑に言いました。「私がそなたを用いたのは、師徳の推薦によるものだ」。仁傑は退いてから嘆いて言いました。「婁公の盛んな徳に、私は長いあいだ包まれていたのだ」。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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『忍経』唾面自乾婁師德は深沈にして度量有り。其の弟代州刺史に除せられ、將に行かんとす。師德曰く、「吾宰相に輔位し、汝復た州牧と爲る。榮寵過盛なるは、人の嫉む所なり。將に何を求めて以て自ら免れんとするか」と。弟長跪して曰く、「今より人某の面に唾すること有りと雖も、某之を拭ふのみ。庶はくは兄の憂ひと爲らざらん」と。師德愀然として曰く、「此れ吾が憂ひと爲る所以なり。人汝の面に唾するは、汝を怒ればなり。汝之を拭ふは、乃ち其の意に逆らふなり。其の怒りを重ぬる所以なり。拭はずして自ら乾かしめ、當に笑ひて之を受くべし」と。
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『酔古堂剣掃』集靈・唾面自ら乾かす面に唾するも自ら乾かしむ、婁師德は雅量為るを失はず。睚眥も必ず報ゆ、郭象玄は未だ禍胎為るを免れず。
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『忍経』盛德所容狄仁傑未だ輔政せざるとき、婁師德之を薦む。後曰く、「聯(朕)卿を用ふるは、師德の薦むるなり、誠に人を知る」と。其の奏を出す。仁傑慚ぢ、已にして歎じて曰く、「婁公の盛德、我容るる所と爲る。吾吾の逮ばざること遠きを知る」と。
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『忍経』遜以自免唐の婁師德は、深沈にして度量有り。人の己に忤ふ有れば、遜りて以て自ら免れ、容色に見さず。嘗て李昭德と偕に行く。師德素より豐碩にして、劇しく步むこと能はず。昭德之を遲しとし、恚りて曰く、「田舍子の爲に留めらる」と。師德笑ひて曰く、「吾田舍ならずんば、復た何人に在らん」と。
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十八史略・『十八史略』唐・則天武氏・薬籠中の物と人材の推挙元行沖は博学多通なり。仁傑之を重んず。行沖多く規諫して曰く、明公の門、珍味多し。請う、薬物の末を備えん、と。仁傑笑いて曰く、吾が薬籠中の物、何ぞ一日も無かるべけんや、と。姚元崇ら数十人は、皆仁傑の薦むる所なり。或ひと曰く、天下の桃李、悉く公の門に在り、と。仁傑曰く、賢を薦むるは国の為にして、私の為に非ざるなり、と。太后嘗て仁傑に問う、一佳士を得て之を用いんと欲す、と。仁傑曰く、張柬之なる者有り。老いたりと雖も宰相の才なり、と。後竟に柬之を用いて相と為す。
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十八史略・『十八史略』唐・則天武氏・仁傑の諫言と後継者問題武承嗣・三思、営求して太子と為らんとす。仁傑、従容として太后に言いて曰く、太宗は風に櫛り雨に沐し、親ら鋒鏑を冒して以て天下を定め、之を子孫に伝えたり。大帝は二子を以て陛下に托せり。今乃ち之を他族に移さんと欲す。乃ち天意に非ざる無からんや。姑姪と母子と、孰れか親しき。陛下、子を立てば、則ち千秋万歳の後、太廟に配食せん。姪を立てれば、則ち未だ姪の天子と為りて、姑を廟に祔する者を聞かざるなり、と。太后稍く悟る。已にして又力めて之を勧む。遂に房州より廬陵王を召して都に還し、立てて皇太子と為し、子の旦を以て相王と為す。仁傑は最も信重せられ、好んで面折廷争す。太后は常に屈従し、称して国老と為し、名のらず。