酔古堂剣掃 / 集靈・唾面自ら乾かす
唾面自乾,婁師德不失為雅量;睚眥必報,郭象玄未免為禍胎。
新字:唾面自乾,婁師徳不失為雅量;睚眥必報,郭象玄未免為禍胎。
書き下し
面に唾するも自ら乾かしむ、婁師德は雅量為るを失はず。睚眥も必ず報ゆ、郭象玄は未だ禍胎為るを免れず。
現代語訳
顔に唾を吐きかけられても、ぬぐわずに自然に乾くのを待つ。婁師徳(唐の宰相)の態度は、広い度量であることを失いません。ちょっとにらまれた恨みさえ必ず仕返しする。郭象玄のやり方は、災いの種となることを免れません。
解説
寛容と執念深さを、二人の人物で対比した一則です。唾面自乾は、唐の婁師徳の話です。弟が地方の長官になるとき、人に唾を吐きかけられたらどうするかと尋ねると、弟は拭いて済ませると答えました。すると婁師徳は、拭けば相手の怒りに逆らうことになる、自然に乾くのを待てと諭したと伝えられます。睚眥は、目をむいてにらむことで、ほんのわずかな恨みのたとえです。郭象玄という人物については確かなことが分かりませんが、小さな恨みまで必ず晴らそうとする人の例として挙げられています。やられたらやり返すでは争いは終わりません。受け流す度量こそ、身を守る知恵になります。
この章句が説くこと
雅量忍寛容故事処世
関連する章句
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『忍経』唾面自乾婁師德は深沈にして度量有り。其の弟代州刺史に除せられ、將に行かんとす。師德曰く、「吾宰相に輔位し、汝復た州牧と爲る。榮寵過盛なるは、人の嫉む所なり。將に何を求めて以て自ら免れんとするか」と。弟長跪して曰く、「今より人某の面に唾すること有りと雖も、某之を拭ふのみ。庶はくは兄の憂ひと爲らざらん」と。師德愀然として曰く、「此れ吾が憂ひと爲る所以なり。人汝の面に唾するは、汝を怒ればなり。汝之を拭ふは、乃ち其の意に逆らふなり。其の怒りを重ぬる所以なり。拭はずして自ら乾かしめ、當に笑ひて之を受くべし」と。
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