十八史略 / 『十八史略』東晋・桓温・捫虱して語る王猛
桓溫帥師伐秦大敗秦兵于藍田轉戰至灞上秦主苻健閉長安小城自守三輔皆來降溫撫諭居民使安堵民爭持牛酒迎勞男女夾路觀之耆老有垂泣者曰不圖今日復覩官軍北海王猛字景略倜儻有太志隱居華陰聞溫入關被褐謁之捫虱而談當世之務旁若無人溫異之問猛曰吾奉命除殘賊而三秦豪傑未有至者何也猛曰公不遠數千里深入敵境今長安咫尺而不度灞水百姓未知公心所以不至溫默然無以應溫與秦兵戰于白鹿原不利秦人清野溫軍乏食欲與猛俱還猛不就
新字:桓温帥師伐秦大敗秦兵于藍田転戦至灞上秦主苻健閉長安小城自守三輔皆来降温撫諭居民使安堵民争持牛酒迎労男女夾路観之耆老有垂泣者曰不図今日復睹官軍北海王猛字景略倜儻有太志隠居華陰聞温入関被褐謁之捫虱而談当世之務旁若無人温異之問猛曰吾奉命除残賊而三秦豪傑未有至者何也猛曰公不遠数千里深入敵境今長安咫尺而不度灞水百姓未知公心所以不至温黙然無以応温与秦兵戦于白鹿原不利秦人清野温軍乏食欲与猛倶還猛不就
書き下し
桓温、師を帥いて秦を伐ち、大いに秦兵を藍田に敗り、転戦して灞上に至る。秦主苻健、長安の小城を閉ざして自ら守る。三輔、皆来降す。温、撫諭して居民をして安堵せしむ。民、争いて牛酒を持ちて迎労す。男女、路を夾みて之を観る。耆老、泣を垂るる者有りて曰く、図らざりき、今日復た官軍を覩んとは、と。北海の王猛、字は景略、倜儻にして太志有り、華陰に隠居す。温の関に入るを聞き、褐を被て之に謁し、虱を捫りて当世の務めを談じ、旁らに人無きが若し。温、之を異とし、猛に問いて曰く、吾、命を奉じて残賊を除く。而るに三秦の豪傑、未だ至る者有らざるは何ぞや、と。猛曰く、公、数千里を遠しとせず、深く敵境に入る。今、長安は咫尺なるに、灞水を度らず。百姓、未だ公の心を知らず。至らざる所以なり、と。温、黙然として以て応うる無し。温、秦兵と白鹿原に戦い、利あらず。秦人、野を清む。温の軍、食に乏し。猛と俱に還らんと欲す。猛、就かず。
現代語訳
桓温は軍を率いて前秦を討ち、藍田で秦軍を大破し、転戦して灞上に至りました。秦の主君苻健は、長安の小さな城を閉ざして守りました。三輔の地は次々と降伏し、桓温は住民をなだめ諭して安心させました。人々は争って牛と酒を持ち寄って出迎え、男も女も道の両側に並んで見物しました。老人の中には涙を流す者もいて、「今日また晋の軍を見られるとは思わなかった」と言いました。北海郡の王猛は字を景略といい、器量が大きく大志を抱いて華陰に隠れていました。桓温が関中に入ったと聞くと、粗末な服のまま会いに行き、しらみをひねりながら当世の務めを語り、そばに人がいないかのようでした。桓温は驚き、尋ねました。「私は命を受けて残虐な賊を除きに来た。それなのに三秦の豪傑が誰も来ないのはなぜか」。猛は答えました。「あなたは数千里を遠しとせず、敵地の奥深くまで入られました。いま長安はすぐそこなのに、灞水を渡って攻めようとされない。民はあなたのお心が分からないので、来ないのです」。桓温は黙って答えられませんでした。桓温は秦軍と白鹿原で戦って不利になり、秦軍は野の作物を焼いて食料を断ちました。桓温の軍は食に困り、猛を連れて帰ろうとしましたが、猛は従いませんでした。
解説

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