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十八史略 / 『十八史略』漢・文帝・細柳の陣、天子も入れず

六年匈奴冠上郡雲中詔將軍周亞夫屯細柳劉禮次霸上徐厲次棘門以備胡上自勞軍至霸上及棘門軍直馳入太將以下騎送迎已而之細柳不得入先驅曰天子且至軍門都尉曰軍中聞將軍令不聞天子詔上乃使使持節詔將軍亞夫乃傳言開門門士請車騎曰將軍約軍中不得驅馳上乃按轡徐行至營成禮而去群臣皆驚上曰嗟乎此真將軍矣向者霸上棘門軍兒戲耳

新字:六年匈奴冠上郡雲中詔将軍周亜夫屯細柳劉礼次覇上徐厲次棘門以備胡上自労軍至覇上及棘門軍直馳入太将以下騎送迎已而之細柳不得入先駆曰天子且至軍門都尉曰軍中聞将軍令不聞天子詔上乃使使持節詔将軍亜夫乃伝言開門門士請車騎曰将軍約軍中不得駆馳上乃按轡徐行至営成礼而去群臣皆驚上曰嗟乎此真将軍矣向者覇上棘門軍児戯耳

書き下し

六年、匈奴、上郡・雲中に冠す。詔して将軍周亜夫を細柳に屯せしめ、劉礼を霸上に次せしめ、徐厲を棘門に次せしめて、以て胡に備う。上、自ら軍を労う。霸上及び棘門の軍に至るや、直ちに馳せ入る。大将以下、騎して送迎す。已にして細柳に之くに、入るを得ず。先駆曰く、天子且に至らんとす、と。軍門都尉曰く、軍中は将軍の令を聞き、天子の詔を聞かず、と。上乃ち使いをして節を持して将軍に詔せしむ。亜夫乃ち言を伝えて門を開かしむ。門士、車騎に請いて曰く、将軍の約に、軍中は驅馳するを得ず、と。上乃ち轡を按じて徐行す。営に至り礼を成して去る。群臣皆驚く。上曰く、嗟乎、此れ真の将軍なり。向者の霸上・棘門の軍は、児戯のみ、と。

現代語訳

六年、匈奴が上郡と雲中に攻め込みました。文帝は詔して、将軍の周亜夫を細柳に、劉礼を霸上に、徐厲を棘門に駐屯させ、匈奴に備えさせました。文帝は自ら軍をねぎらいに出かけました。霸上と棘門の軍営では、そのまま馬で入ることができ、大将以下が馬に乗って送り迎えをしました。そのあと細柳に行くと、入れてもらえませんでした。先導の者が、「天子がもうすぐ到着される」と告げましたが、軍門の都尉は、「軍中では将軍の命令だけを聞き、天子の詔は聞きません」と答えました。文帝はそこで使者に節を持たせて、将軍に詔を伝えさせました。周亜夫はそこで言葉を伝えて門を開かせました。門の兵士は文帝の車や騎馬の者に、「将軍の規則で、軍中では馬を走らせてはならないことになっています」と告げました。文帝は手綱を押さえ、ゆっくり進みました。陣営に着いて礼を整えると、そのまま去りました。群臣はみな驚きました。文帝は言いました。「ああ、これこそ本物の将軍だ。さきの霸上や棘門の軍は、子どもの遊びにすぎない」。

解説

匈奴に備える最前線で、皇帝さえ規則どおりにしか通さなかった周亜夫と、それを咎めず称えた文帝の逸話です。門の守りが徹底していたのは、将軍の命令が末端まで届き、全員が同じ基準で動いていたからです。皇帝自身がその規律を認めたことで、命令の権威も強まりました。「細柳営」は規律ある軍の代名詞となりました。リーダー自身がルールに従い、それを守る人を評価する姿勢が、組織の規律を支えるという実例です。
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この章句が説くこと

周亜夫細柳営文帝軍規規律リーダーの姿勢

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