十八史略 / 『十八史略』秦・陳勝・燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
陽城人陳勝字渉少與人傭耕輟耕之壟上悵然久之曰苟富貴無相忘傭者笑曰若為傭耕何富貴也勝太息曰嗟呼燕雀安知鴻鵠之志哉至是與吳廣起兵于蘄時發閭左戍漁陽勝廣為屯長會大雨道不通乃召徒屬曰公等失期法當斬壯士不死則已死則舉大名王侯將相寧有種乎衆皆從之乃詐稱公子扶蘇項燕稱大楚勝自立為將軍廣為都尉
新字:陽城人陳勝字渉少与人傭耕輟耕之壟上悵然久之曰苟富貴無相忘傭者笑曰若為傭耕何富貴也勝太息曰嗟呼燕雀安知鴻鵠之志哉至是与呉広起兵于蘄時発閭左戍漁陽勝広為屯長会大雨道不通乃召徒属曰公等失期法当斬壮士不死則已死則舉大名王侯将相寧有種乎衆皆従之乃詐称公子扶蘇項燕称大楚勝自立為将軍広為都尉
書き下し
陽城の人陳勝、字は渉。少くして人と傭耕す。耕を輟めて壟上に之き、悵然として之を久しくして曰く、苟くも富貴ならば、相忘るること無かれ、と。傭する者笑いて曰く、若は傭耕を為す、何ぞ富貴ならんや、と。勝、太息して曰く、嗟呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、と。是に至りて呉広と兵を蘄に起こす。時に閭左を発して漁陽に戍らしむ、勝・広、屯長と為る。会ま大雨あり、道通ぜず。乃ち徒属を召して曰く、公等期を失す、法は当に斬るべし。壮士は死せずんば則ち已む、死せば則ち大名を挙げん。王侯将相、寧んぞ種有らんや、と。衆皆之に従う。乃ち詐りて公子扶蘇・項燕と称し、大楚と称す。勝、自ら立ちて将軍と為り、広を都尉と為す。
現代語訳
陽城の人、陳勝は、字を渉といいました。若いころ、人に雇われて畑を耕していました。ある日、耕す手を止めて畦の上に行き、がっかりした様子でしばらく立ち尽くし、「もし将来、富貴になったら、お互い忘れないようにしよう」と言いました。一緒に雇われていた者は笑って、「雇われて耕している身で、どうして富貴になれるものか」と答えました。陳勝は深くため息をついて言いました。「ああ、燕や雀のような小さな鳥に、大きな鳥の志が分かるものか」。やがて呉広とともに蘄で兵を挙げることになります。そのころ、貧しい者たちが徴発されて漁陽の守備に送られており、陳勝と呉広はその隊の長に任じられていました。折悪しく大雨が降り、道が通れなくなりました。そこで仲間を集めて言いました。「諸君は期日に遅れた。法では斬罪に当たる。壮士は死なないならそれまでだが、死ぬのなら大きな名を挙げよう。王や諸侯や将軍や宰相に、生まれつきの種があるだろうか」。皆これに従いました。そこで公子の扶蘇と、楚の将軍項燕の名を偽って称し、大楚の旗を掲げました。陳勝は自ら将軍となり、呉広を都尉としました。
解説

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史記 陳渉世家陳勝は、陽城の人なり、字は渉。呉広は、陽夏の人なり、字は叔。陳渉少き時、嘗て人と傭耕す。耕すを輟めて壟上に之き、悵恨すること之を久しくして、曰く、「苟も富貴とならば、相忘るること無からん」と。傭者笑ひて応へて曰く、「若は庸耕を為す、何ぞ富貴ならんや」と。陳渉太息して曰く、「嗟乎、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と。二世元年七月、閭左を発して漁陽に適戍せしむ、九百人大沢郷に屯す。陳勝・呉広皆次として当に行くべし、屯長と為る。会々天大いに雨ふり、道通ぜず、度るに已に期を失ふ。期を失へば、法として皆斬らる。陳勝・呉広乃ち謀りて曰く、「今亡ぐるも亦た死し、大計を挙ぐるも亦た死す、等しく死せば、国に死するは可ならんか」と。陳勝曰く、「天下秦に苦しむこと久し。吾聞く、二世は少子なり、当に立つべからず、当に立つべき者は乃ち公子扶蘇なりと。扶蘇は数々諫むるの故を以て、上外に兵を将ゐしむ。今或いは聞く、罪無きに、二世之を殺すと。百姓多く其の賢を聞くも、未だ其の死を知らざるなり。項燕は楚の将為り、数々功有り、士卒を愛す、楚人之を憐れむ。或いは以て死せりと為し、或いは以て亡げたりと為す。今誠に吾が衆を以て詐りて公子扶蘇・項燕と自称し、天下の唱へを為さば、宜しく応ずる者多かるべし」と。呉広以て然りと為す。乃ち行きて卜す。卜者其の指意を知り、曰く、「足下の事皆成り、功有らん。然れども足下之を鬼に卜せよ」と。陳勝・呉広喜び、鬼を念ひて、曰く、「此れ我に先づ衆を威せよと教ふるのみ」と。乃ち丹もて帛に書して「陳勝王たらん」と曰ひ、人の罾する所の魚の腹中に置く。卒魚を買ひて烹て食ひ、魚の腹中の書を得て、固より以て之を怪しむ。又、間に呉広をして次所の旁の叢祠の中に之かしめ、夜篝火し、狐鳴して呼びて曰く「大楚興り、陳勝王たらん」と。卒皆夜驚き恐る。旦日、卒中往往に語り、皆陳勝を指目す。呉広素より人を愛し、士卒多く用を為す者あり。将尉酔ふ、広故らに数々亡げんと欲すと言ひ、尉を忿恚せしめ、之を辱めしめ、以て其の衆を激怒せしむ。尉果たして広を笞うつ。
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史記 陳渉世家尉剣挺く、広起ちて、奪ひて尉を殺す。陳勝之を佐け、并せて両尉を殺す。徒属を召し令して曰く、「公等雨に遇ひ、皆已に期を失ふ、期を失へば当に斬らるべし。藉弟令ひ斬らるること毋きも、戍りて死する者は固より十に六七なり。且つ壮士は死せずんば即ち已む、死せば即ち大名を挙げんのみ、王侯将相寧んぞ種有らんや」と。徒属皆曰く、「敬んで命を受けん」と。乃ち詐りて公子扶蘇・項燕と称す、民の欲に従ふなり。右を袒ぎ、大楚と称す。壇を為りて盟ひ、祭るに尉の首を以てす。陳勝自ら立ちて将軍と為り、呉広は都尉と為る。大沢郷を攻め、収めて蘄を攻む。蘄下り、乃ち符離の人葛嬰をして兵を将ゐて蘄より以東を徇へしむ。銍・酇・苦・柘・譙を攻めて皆之を下す。行くゆく兵を収む。陳に至る比、車六七百乗、騎千余、卒数万人。陳を攻む、陳の守令皆在らず、独り守丞と譙門の中に戦ふ。勝たず、守丞死す、乃ち入りて陳に拠る。数日にして、号令して三老・豪傑を召し与に皆来たりて事を会計せしむ。三老・豪傑皆曰く、「将軍身は堅を被り鋭を執り、無道を伐ち、暴秦を誅し、復た楚国の社稷を立つ、功宜しく王と為るべし」と。陳渉乃ち立ちて王と為り、号して張楚と為す。此の時に当たり、諸郡県の秦吏に苦しむ者、皆其の長吏を刑し、之を殺して以て陳渉に応ず。乃ち呉叔を以て仮王と為し、諸将を監して以て西のかた滎陽を撃たしむ。陳の人武臣・張耳・陳余をして趙の地を徇へしめ、汝陰の人鄧宗をして九江郡を徇へしむ。此の時に当たり、楚兵数千人にして聚を為す者、勝げて数ふべからず。葛嬰東城に至り、襄彊を立てて楚王と為す。嬰後に陳王の已に立つを聞き、因りて襄彊を殺し、還りて報ず。陳に至る、陳王葛嬰を誅殺す。陳王、魏の人周市をして北のかた魏の地を徇へしむ。呉広滎陽を囲む。李由三川の守為り、滎陽を守る、呉叔下す能はず。陳王国の豪傑を徴して与に計り、上蔡の人房君蔡賜を以て上柱国と為す。
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『長短経』覇図〈陳渉・呉広、漁陽を戍り、大沢に屯す。会々天雨りて、道通ぜず。已に期を失うを度る。期を失えば当に斬らるべし。二人乃ち謀りて曰く「今已に期を失えり。当に斬らるべし。今、大計を挙ぐるも亦た死す。死するに、国の為にせば可ならんか」と。乃ち先ず鬼神を説きて衆を威し、因りて尉を斬る。徒属を召して令して曰く「公等、雨に遇い、皆な已に期を失えり。期を失えば当に斬らるべし。藉令い第だ軒無くして戍るとも、死する者は固より十に六七。且つ壮士は死せずんば則ち已む。死せば則ち大名を挙げん。侯王将相、寧んぞ種有らんや」と。徒属皆な曰く「敬みて命を受く」と。遂に分かれ将いて地を徇え、自立して陳王と為る。〉
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『長短経』懼戒秦の二世の末、陳渉蘄に起こり、兵陳に至る。張耳・陳餘、渉に説きて曰く「大王は梁・楚を興し、務めは関に入るに在りて、未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に遊び、其の豪傑を知る。願わくは奇兵を請いて趙の地を略せん」と。是に於て陳王之を許し、卒三千を与う。白馬より河を渡り〔今の滑州白馬県の界なり〕、諸郡県に至り、其の豪傑に説きて曰く「秦は乱政虐刑を為し、天下を残滅す。北には長城の役を為し、南には五嶺の戍有り。外内騒動し、百姓罷敝す。頭会箕斂して、以て軍費に供し、財匱しく力尽く。重ぬるに苛法を以てし、天下の父子をして相聊生せざらしむ。今、陳王臂を奮いて天下の為に唱始し、響応せざるは莫し。家々自ら怒りを為し、各々其の怨みに報ゆ。県は其の令丞を殺し、郡は其の守尉を殺す。今已に大楚を張り、陳に王たり、呉広・周文をして卒百万を将いて西のかた秦を撃たしむ。此の時に於て封侯の業を成さざる者は、人傑に非ざるなり。夫れ天下の力に因りて無道の君を攻め、父兄の怨みに報いて割地の業を成す。此れ一時なり」と。豪傑皆其の言を然りとす。乃ち行きて兵を収め、趙の十余城を下す。
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史記 張耳陳余列伝秦詔書もて両人を購ひ求む。両人亦反って門者を用ひて以て里中に令す。陳渉蘄に起こり、陳に入るに至りて、兵数万。張耳・陳餘陳渉に上謁す。渉及び左右生平数々張耳・陳餘の賢を聞くも、未だ嘗て見ず。見て即ち大いに喜ぶ。陳中の豪傑父老乃ち陳渉に説きて曰く、「将軍身に堅を被り鋭を執り、士卒を率ゐて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立て、亡を存し絶を継ぐ。功徳宜しく王たるべし。且つ夫れ天下の諸将を監臨するに、王と為らずんば可ならず。願はくは将軍立ちて楚王と為れ」と。陳渉此の両人に問ふ。両人対へて曰く、「夫れ秦は無道を為し、人の国家を破り、人の社稷を滅ぼし、人の後世を絶ち、百姓の力を罷らし、百姓の財を尽くす。将軍目を瞋らし胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計を出だし、天下の為に残を除く。今始めて陳に至りて之に王たらば、天下に私を示さん。願はくは将軍王たる毋く、急ぎ兵を引きて西し、人を遣はして六国の後を立て、自ら党を樹て、秦の為に敵を益せ。敵多ければ則ち力分かれ、与衆ければ則ち兵彊し。此の如くんば野に交兵無く、県に守城無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて以て諸侯に令す。諸侯亡びて立つを得、徳を以て之を服す。此の如くんば則ち帝業成らん。今独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。陳渉聴かず、遂に立ちて王と為る。陳餘乃ち復た陳王に説きて曰く、「大王梁・楚を挙げて西し、務めは関に入るに在り。未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に游び、其の豪桀及び地形を知る。願はくは奇兵を請ひて北のかた趙の地を略せん」と。是に於て陳王故の善くする所の陳人武臣を以て将軍と為し、邵騒を護軍と為し、張耳・陳餘を以て左右校尉と為し、卒三千人を予へ、北のかた趙の地を略せしむ。武臣等白馬より河を渡り、諸県に至り、其の豪桀に説きて曰く、「秦は乱政虐刑を為して以て天下を残賊すること、数十年なり。
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『淮南子』人間訓此の時に當たり、男子は農畝を脩むるを得ず、婦人は麻を剡り縷を考うるを得ず。羸弱 道に服格し、大夫 衢に箕會し、病む者は養わるるを得ず、死する者は葬らるるを得ず。是に於いて陳勝 大澤に起こり、臂を奮いて大呼すれば、天下 席卷して、戲に至る。劉・項 義兵を興して隨い、定むること槁を折り落を振るうが若し。遂に天下を失う。禍は胡に備えて越を利とするに在り。脩城を築きて以て亡を備うるを知りて、脩城を築くの亡ぶる所以を知らず。適戍を發して以て越に備うるも、難の中從り發するを知らざるなり。夫れ鵲は先んじて歲の風多きを識るや、高木を去りて扶枝に巢くう。大人 之を過ぐれば則ち鷇を探り、嬰兒 之を過ぐれば則ち其の卵を挑む。遠き難に備うるを知りて近き患を忘るるなり。故に秦の備えを設くるや、烏鵲の智なり。