実武一家言抄録 / 露英の膨張と弱みを見せる害
(四)魯西亞國は、我享保元文の頃次第に東方を經略し、止白亞の地を取盡して葛謨撒都加に大港を開き、此港より船軍を出して鳩刻里斯吉亞の諸島を取、我蝦夷の辣苴哇島に至り、東は亞列烏多斯吉亞の諸島を取、北亞墨利加州の角利句里尼亞國の北境より亞尼俺峽の邊迄を經畧せり、其地本國の都伯多路勃爾孤の城を距事啻に萬里のみに非ず、又諳厄利亞國は兵威頻りに强くして他國を切取し事極て多く、近來南海諸島を經略し、日本の正南千二百里許隔りたる大國を取本國より數萬の軍兵を移して是を新諳厄利亞國と名づけ、所々に城郭を築き守令を置て土人を敎化歸服せしめ、此國を以て基根として近隣の諸島を經略し、國土を切取事次第に廣くし、今の世に當て世界の事體は右の如く吞併の倉の强國多きを以、油斷して萬一弱身を見せ、彼等に日本の武威も最早衰弱せりと思はるゝに至ては、其評判忽ち世界中に流聞して、
新字:(四)魯西亜国は、我享保元文の頃次第に東方を経略し、止白亜の地を取尽して葛謨撒都加に大港を開き、此港より船軍を出して鳩刻里斯吉亜の諸島を取、我蝦夷の辣苴哇島に至り、東は亜列烏多斯吉亜の諸島を取、北亜墨利加州の角利句里尼亜国の北境より亜尼俺峡の辺迄を経略せり、其地本国の都伯多路勃爾孤の城を距事啻に万里のみに非ず、又諳厄利亜国は兵威頻りに強くして他国を切取し事極て多く、近来南海諸島を経略し、日本の正南千二百里許隔りたる大国を取本国より数万の軍兵を移して是を新諳厄利亜国と名づけ、所々に城郭を築き守令を置て土人を教化帰服せしめ、此国を以て基根として近隣の諸島を経略し、国土を切取事次第に広くし、今の世に当て世界の事体は右の如く呑併の倉の強国多きを以、油断して万一弱身を見せ、彼等に日本の武威も最早衰弱せりと思はるゝに至ては、其評判忽ち世界中に流聞して、
書き下し
(四)魯西亞國は、我享保元文の頃次第に東方を經略し、止白亞の地を取盡して葛謨撒都加に大港を開き、此港より船軍を出して鳩刻里斯吉亞の諸島を取、我蝦夷の辣苴哇島に至り、東は亞列烏多斯吉亞の諸島を取、北亞墨利加州の角利句里尼亞國の北境より亞尼俺峽の邊迄を經畧せり、其地本國の都伯多路勃爾孤の城を距事啻に萬里のみに非ず、又諳厄利亞國は兵威頻りに强くして他國を切取し事極て多く、近來南海諸島を經略し、日本の正南千二百里許隔りたる大國を取本國より數萬の軍兵を移して是を新諳厄利亞國と名づけ、所々に城郭を築き守令を置て土人を敎化歸服せしめ、此國を以て基根として近隣の諸島を經略し、國土を切取事次第に廣くし、今の世に當て世界の事體は右の如く吞併の倉の强國多きを以、油斷して萬一弱身を見せ、彼等に日本の武威も最早衰弱せりと思はるゝに至ては、其評判忽ち世界中に流聞して、
現代語訳
(四)ロシア国は、わが享保・元文のころからしだいに東方を経略し、シベリアの地を取り尽くしてカムチャッカに大港を開き、この港から船軍を出して千島の諸島を取り、わが蝦夷の樺太島に至り、東はアリューシャンの諸島を取り、北アメリカ州のカリフォルニア国の北境からアラスカ海峡のあたりまでを経略した。その地は、本国の都ペテルブルクの城から隔たることただ一万里だけではない。またイギリス国は兵威がしきりに強く、他国を切り取ることがきわめて多く、近ごろ南海の諸島を経略し、日本の真南千二百里ばかり隔たった大国を取り、本国から数万の軍兵を移してこれを新イギリス国と名づけ、所々に城郭を築き守令を置いて、土地の人を教化して帰服させ、この国を基盤として近隣の諸島を経略し、国土を切り取ることをしだいに広くした。今の世にあたって、世界のありさまは右のとおり、併呑を事とする強国が多いので、油断して万一弱みを見せ、彼らに日本の武威ももはや衰えたと思われるに至っては、その評判がたちまち世界中に聞こえて、
解説
この章句が説くこと
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『実武一家言抄録』・日本の地勢と外圧(一)我日本の國たるや、支那の東南海中に在て、西は京都の偏西十度餘りなる琉球の入表島より起りて東は京都の偏東十六度程なる蝦夷の厄獨渡布島に至り、南は赤道下を北に距ると廿五度に當れる琉球の宮古島より起て、五十度程なる蝦夷の葛隸弗多島の中央に至る、東西廿六度南北廿五度の海中に盤踞し、山水香麗、氣候溫和、土地極て膏腴にして、物產甚だ豐饒なり、四邊皆海に濱するを以、其漕運の便利なる事天下に比すべきの國なし、誠に世界無双の富饒地也、是を以中古は蒙古の世祖忽必烈なる者混同の志を起し、其後に波爾杜尾爾の波天連等種々奸計を行ひ、近來は魯西亞諳厄利亞等の□□も又皆晴に併呑の念を懷きて、不斷に罅隙を窺ふ事既に年久敷事也、海邊諸國は警めずんばあるべからず、
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『海国兵談抄録』・自序・ロシアの動きと文武両全の勧め竊に憶へば、若くは此以後の清主、無內患の時に乘じ、且つ元の古業を思合せて、如何なる無主義を起す間じきにもあらず、其時に至ては、貪欲を本とすれば、日本の仁政にも不可懐、又兵馬億萬の多きを恃めば、日本の武威にも不可畏、是明迄の唐山と、同じからざるわけ也、又近頃歐羅巴の莫斯哥未亞、其勢ひ無雙にして、遠く韃靼の北地を侵掠し、此ごろは室韋の地方を略して、東の限り加模西葛杜加(即カムサスカ也蝦夷の東北に在)迄、押領したり、然ルに加模西葛杜加より東には此上取べき國土なし、此故に又西に顧みて蝦夷國の東なる千島を手に入るべき機しありと聞及べり、既に明和辛卯の年、莫哥斯未亞より加模西葛杜加え遣し置る豪傑、バロンマオリッツ、アラアダルハン、ベンゴロウといふ者、加模西葛杜加より船を發して、日本え押渡り、港々え下繩して、其の深サを計りながら、日本を過半乘廻したる事あり、就中、土佐の國に於ては、日本國に在合、阿蘭陀人えと認し書を遺置たることもある也、是等の事、其心根可憎可恐、是海國なるがゆへに、來る間敷船も乘る人の機轉次第にて、心易く來らるゝなりと察すべし、さて海國のわけと唐山の時勢とを辨じ得たる上に、又一ッの心得あり、其心得といふは偏武に不陷して、文武兩全なるべき事を欲し願ふべし、偏武なれば野也、無智也、元より兵者凶器也、然れども死生存亡の係る所にして、國の大事是に過るものはなきゆへ、野にして無智なる偏武の輩に任せ難き事也、此故に日本の古代は都には鼓吹司と淳和、獎學の兩院を置、國々には軍團と鄕學とを置て、皆文武を敎られたり、又孔子も文武兩全の意を述て、
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『実武一家言抄録』・水寨と護国の策以後來寇を爲すものは年々次第に多くなるべきは必定の事也、然れば防海の備を怠るは優々しき後の大患を招くべし、故に異國の船の來る每に嚴しく是を打攘て、益々日本の武威を示し、以て夷狄の魂魄を奪ふは、護國第一の良策なるべし、故に予彼賊を取の武備を工夫して玆に其用意を論ず、凡海國の津港には必ず水寨を建て水軍を調練すべし、調練熟習せざれば以て用を爲すべからざるなり、總て天地間の事勢、其力の餘りある者は嫌に人を倒し、其力の足らざる者は恆に人に制せらる、故に護國の最も嚴重なるは、恆に他國を攻伐を以て自國の護りとするより嚴重なるはなし、予が云、此書に論ずる所は只是自國を護るの事のみ、若夫他國を攻伐する法を知らん事を欲せば、予が先年著したる混同秘策四卷あり、今の時代に當ては予が此一家言すら能く用る者有事なし、是永く一家言たる所以也、況や混同秘策に於てをや、豐臣大閤已に死す、嗚呼已ぬる哉、
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『明訓一班抄抄録』・夷狄を近付べからざる事・蝦夷地の備えと平時の防備の必要性大猷公以來長崎の方は黑田鍋島へ防禦の事永續被仰付たる上にも、事有候時は其節に臨み能武將を撰び被遣事見へたれども、裏門の蝦夷に於ては實に御手薄き事とて、非常の節良將を被遣迄持こたへ、何も安心守らざる事也、昔は蝦夷の北は無人なりしが、今は昔と違ひ、魯西亞も廣大に成り、且はカンサツカへも能湊出來、ラツコ島まで奪れたれば、昔の御見通しにては大に異なるべし、されば文化の明斷を繼給ひて、蝦夷の地は公邊にて處置し給ひて、蝦夷地中便宜の土地を撰びて本城を御出來、郡村迄も追ゝに御おき、何事も無之內に人數も繁衍すべきやう御仕向け、海岸平路の地へは出城にても所々へ出來、大筒人數共常ゝ夫ゝ備え給ひて、萬々一の時も此方より御人數出し給ふまでもなく、小事は防ぎ留べく、又大事に成候ても御人數着至迄の持こたへ位は成るべき也、北狄の模樣昔と違ひ强大に成りて、且又、蝦夷の離島も追ゝ奪れたる上は、大猷公にて、黑船よりも明は近きに寄て御油斷不相成との尊意を以考ふれば、今は明よりも魯西亞の方はるかに近ければ、長崎よりは蝦夷の方御油斷なりがたき事に思ひ侍るなり、上意に、異國みだると聞ば云々との御諚乍憚御尤至極の御事にて、異國亂るゝよし聞たらば嚴重御備被遊べきは勿論なり、扨又日本は海國故、いつ何時夷狄押寄來らんも難計ければ、常ゝ浦々津々油斷すべからざれども、別て北狄の戰爭無之靜謐の時も防禦の備へ怠るべからず、是昔と今と敵國の模樣替りたる故也、扨近來浦賀等の海岸夫ゝ御手厚に備へ給ひしが、愚考にては未御十分には不奉存を、何れよりの建呈にて二ヶ年も不立內に、
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『及門遺範』・西洋の脅威への憂い一、先生素より戎狄の辺を窺ふを憂ふ。寛政甲寅、俄羅斯東蝦夷に来たりて通市を乞ふ。先生其の情偽を察し、古今戎狄の形勢を推求して、瞭然として掌を指すが如し。且つ其の虚誕誇張の妄説を弁破し、(六千年の史書具存すと云ひ、又中世に大洪水有りて人物蕩然として復た存する者無しと云ふが如き、其の言自ら相矛盾す。其の余の論破は今尽くは録さず。)明らかなること火を観るが如し。而して謂ふ、脱し西夷をして志を得しめば、宇内晦暗にして、天地長夜と為らん、と。安聞きて茫然として自失し、身を措く所無きが如し。其の後輩を激励すること此くの如し。而して屡々陳同甫の高宗に上る書の言を誦す。一世の君父の大讐に安んずるを挙げ、何物か是れ性命なるかを知らず、と。故に後輩も亦た性命の空言に附すべからざるを知る。当時干戈を見ざること二百年、文恬武熙、復た兵事を言ふ者無し。先生謂ふ、満清乾隆の西師は、今を去ること二三十年、一水の外、大兵革を用ふること彼の如し。海内虞れ無しと云ふと雖も、治安焉んぞ恃むべけんや、と。乃ち西土諸戎記を著し、以て世の無事に安んずる者を警発せんと欲す。稿を属して粗ぼ成るも、多故に遭ひて果たさず。見今、清に寧波・広東の変有り、西夷張大して、覬覦益々甚だし。世も亦た多く兵事を以て言ふ。果たして先生の憂ふる所の如し。
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