実武一家言抄録 / 序・我が心を書く
我家世修兵學。自祖父不昧軒翁以來。聚藏本邦諸兵書者頗多。置一百七十五家。然於其中最名於世者不過甲越及長沼之三家也。其他徠翁鈐録林子兵談又頗所稱于世。然精究其論之所專主。則名有所僻而不合予之所欲也。加之接戰用大銃之法與水軍舟戰之術。則大野武矩。大銃用法毛利家。舟戰以律抄野島三難録久留島因島。船軍秘事大島家兄弟和合集。筑前船手要法。島津家琉球退治日記。近松田獵車等之外。本邦諸兵家之說無有可取者也。且此諸書又精究其歸趣。則僅一得公【頊/瑱】言而非盡善者也。故予新筆記予心之所欲。而作一部之兵書。題名實武一家言。何者武有虛並者有實甲者。此論皆悉可實用。且雖記載他家之兵法而斷心也。心之所欲而不用他家之言也。且夫天地之生物也。狗吠馬嘶牛鳴鳥啼。禽獸豸虫悉皆殊異其心而不同其鳴也。雖言人類。焉能得個々同其心而一其言哉。故此一家言又筆記予心之所欲。而雖傳兒孫。我承之兒孫又焉能得個々皆與予同心哉。故予著此書。譬如春禽之囀于花。秋蟲之鳴於草。其感時觸事之所新得。而慨然發于其者而已。右其能合於他人之心。而所乎後世與不所用。則我焉與之哉。予焉與之哉。
新字:我家世修兵学。自祖父不昧軒翁以来。聚蔵本邦諸兵書者頗多。置一百七十五家。然於其中最名於世者不過甲越及長沼之三家也。其他徠翁鈐録林子兵談又頗所称于世。然精究其論之所専主。則名有所僻而不合予之所欲也。加之接戦用大銃之法与水軍舟戦之術。則大野武矩。大銃用法毛利家。舟戦以律抄野島三難録久留島因島。船軍秘事大島家兄弟和合集。筑前船手要法。島津家琉球退治日記。近松田猟車等之外。本邦諸兵家之説無有可取者也。且此諸書又精究其帰趣。則僅一得公【頊/瑱】言而非尽善者也。故予新筆記予心之所欲。而作一部之兵書。題名実武一家言。何者武有虚並者有実甲者。此論皆悉可実用。且雖記載他家之兵法而断心也。心之所欲而不用他家之言也。且夫天地之生物也。狗吠馬嘶牛鳴鳥啼。禽獣豸虫悉皆殊異其心而不同其鳴也。雖言人類。焉能得個々同其心而一其言哉。故此一家言又筆記予心之所欲。而雖伝児孫。我承之児孫又焉能得個々皆与予同心哉。故予著此書。譬如春禽之囀于花。秋虫之鳴於草。其感時触事之所新得。而慨然発于其者而已。右其能合於他人之心。而所乎後世与不所用。則我焉与之哉。予焉与之哉。
書き下し
我が家は世々兵学を修む。祖父不昧軒翁より以来、本邦の諸兵書を聚蔵する者頗る多し。一百七十五家を置く。然れども其の中に於て最も世に名ある者は、甲越及び長沼の三家に過ぎざるなり。其の他、徠翁の鈐録、林子の兵談も又頗る世に称せらる所なり。然れども其の論の専ら主とする所を精究すれば、則ち名ありて僻する所有り、予の欲する所に合はざるなり。加之、接戦に大銃を用ふるの法と水軍舟戦の術とは、則ち大野武矩、大銃用法毛利家、舟戦以律抄、野島三難録、久留島因島、船軍秘事、大島家兄弟和合集、筑前船手要法、島津家琉球退治日記、近松田猟車等の外、本邦諸兵家の説に取る可き者有る無きなり。且つ此の諸書も又其の帰趣を精究すれば、則ち僅かに一得公頊の言にして尽く善なる者に非ざるなり。故に予新たに予が心の欲する所を筆記し、一部の兵書を作り、題して実武一家言と名づく。何となれば、武に虚並なる者有り、実甲なる者有り。此の論は皆悉く実用す可し。且つ他家の兵法を記載すと雖も心を断ずるなり。心の欲する所にして他家の言を用ひざるなり。且つ夫れ天地の物を生ずるや、狗は吠え馬は嘶き牛は鳴き鳥は啼く。禽獣豸虫、悉く皆其の心を殊異にして其の鳴を同じくせざるなり。人類と言ふと雖も、焉んぞ個々其の心を同じくして其の言を一にするを得んや。故に此の一家言も又予が心の欲する所を筆記す。而して児孫に伝ふと雖も、我之を承くる児孫も又焉んぞ個々皆予と心を同じくするを得んや。故に予此の書を著すは、譬へば春禽の花に囀り、秋虫の草に鳴くが如し。其の時に感じ事に触れて新たに得る所、慨然として其に発する者のみ。右其の能く他人の心に合ひ、而して後世に用ゐらるると用ゐられざるとは、則ち我焉んぞ之に与らんや。予焉んぞ之に与らんや。
現代語訳
我が家は代々兵学を修めてきました。祖父の不昧軒翁以来、日本の兵書を集めて蔵することが非常に多く、百七十五家の書を所蔵しています。しかしその中で世に最も名高いのは、甲州流・越後流と長沼流の三家にすぎません。そのほか、荻生徂徠の鈐録や林子平の海国兵談も世に広く称賛されています。けれども、それらの論が専ら主張するところを突き詰めて調べると、名はあっても偏りがあり、私が求めるものには合いません。さらに、戦闘で大砲を用いる方法と水軍の船戦の術については、大野武矩、毛利家の大銃用法、舟戦以律抄、野島三難録、久留島・因島の書、船軍秘事、大島家兄弟和合集、筑前船手要法、島津家琉球退治日記、近松田猟車などのほかに、日本の諸兵家の説で取るべきものはありません。しかもこれらの書も、帰するところを突き詰めれば、わずかに一つの得るところがある程度の言葉で、すべてが善いというものではありません。そこで私は、自分の心が求めるところを新たに書き記して一部の兵書を作り、『実武一家言』と名づけました。なぜなら、武には見かけ倒しのものと、実のあるものとがあり、この書の論はすべて実際に役立てられるからです。他家の兵法を記載する場合でも、自分の心で判断し、自分の心が求めるものだけを採り、他家の言葉をそのまま用いることはしません。そもそも天地が生み出す物は、犬は吠え、馬はいななき、牛は鳴き、鳥はさえずり、鳥獣や虫に至るまでみな心が異なり、鳴き声も同じではありません。人間といっても、一人一人が心を同じくして言葉を一つにすることなどできるはずがありません。ですからこの一家言も、私の心が求めるところを書き記したものです。子孫に伝えても、それを受け継ぐ子孫が一人残らず私と同じ心になることなどありえません。そこで私がこの書を著すのは、春の鳥が花の間でさえずり、秋の虫が草むらで鳴くようなものです。時に感じ、物事に触れて新たに得たものを、思いのままに発しただけです。これが他人の心に合うかどうか、後世に用いられるかどうかは、私の関わるところではありません。
解説
この章句が説くこと
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『海国兵談抄録』・自序・三つの軍情と著述の覚悟兵を提る者、此三軍情を能會得して、臨機應變せば、天下に橫行すべし、抑日本海國のわけと、今の清は、古の唐山に優しゆへ、日本に於て油斷なりがたきわけと、三州、各戰闘の模儀に別あるの三說は、日本前兵家の未だ發せざるところ也、其未だ發せざるわけは、世々の軍學先生皆唐山の書に本て工夫を附しゆへ、自然に唐山流に陷て却て海國は海國の兵制ある事を發明せざる故なるべし、今小子、初て是を言者は、深く患る所有て、廣く問、切に考て、此旨を得たり、此旨を得たりといふとも、尋常の世人は、口外すべからず、口外すべからざるは、謹肅なればなり、小子は直情徑行の獨夫なるゆへ、敢て忌諱を不顧、因て、ベンゴロウが事を始として、都て外寇の來り易きわけを、有のまゝに書して、却て海國肝要の武備は如此也と云事を、肉食の人々に、知しめんと欲る故、見聞する所を纂集して、此書を作爲す、是吾小子、德を不量、位を不計して、患るに海國を以てするゆへんなり、是併ら小子極て潛踰之罪を不遁ことを知、然ども人をば不可取、言をば可取、是吾小子、德と位とを不量計、此書を作爲して言を當世に危する所也、而て書成て以て躬ら珍とす、然れども小子不才也、文獻不足、此故に字々句を不成、句々章を不成、觀者、讀法に苦むべきことを恐る、然と云ども、初學の士、端を此に開て、文以て戰法を潤色し、武以テ文華を助け聞くの趣を會得し、文武相乘て、其精に至る事を得ば、即邦家を安じ海國を保護する一助なるべし、竊に是を日本武備志ト云とも、罪無ん歟、只其文の拙を以て、其意を害すること無らんことを希ふ而已、時天明六年丙午夏仙臺 林子平自序
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