武治提要 / 自序
武者何乎。不受制於三才之號也。士者何乎。施制於三民之人也。此故武敎自有吾國之說矣。蒙青年談兵之餘。嗜閱經傳子史之書。每播卷。竊謂吾 國風土俗。未及彼國盛大也。所業之兵法。亦未及聖敎之寬裕也。屢慕三代之古風。頻美唐宋之文學也。而后用之今日。乃似偏應備當。亦其情或相齟齬矣。疑之也。思之也久。而后自覺武敎與聖敎其實同其迹異也。脫然猶熱疾初醒矣。嗚呼 本邦之正而堂堂也哉。武俗之嚴而巍巍也哉。與彼被深衣彼飽牛羊腰忘於劔手常於筆者。胡可同口而談其行焉哉。頃日得官途之暇。漫記其所得者。竟滿一帙。自忘僭偸之謗。私號武治提要。以授同門之學徒也。噫其轍于楷者。皆是糟粕。而眞味卻存這裡。別無金罍藏琥珀。若欲酩酊于此者。乃咬糢糊糟粕。莫厭其苦辛矣。耕道子涉毫於講武堂。
新字:武者何乎。不受制於三才之号也。士者何乎。施制於三民之人也。此故武教自有吾国之説矣。蒙青年談兵之余。嗜閲経伝子史之書。毎播巻。窃謂吾 国風土俗。未及彼国盛大也。所業之兵法。亦未及聖教之寛裕也。屡慕三代之古風。頻美唐宋之文学也。而后用之今日。乃似偏応備当。亦其情或相齟齬矣。疑之也。思之也久。而后自覚武教与聖教其実同其迹異也。脱然猶熱疾初醒矣。嗚呼 本邦之正而堂堂也哉。武俗之厳而巍巍也哉。与彼被深衣彼飽牛羊腰忘於剣手常於筆者。胡可同口而談其行焉哉。頃日得官途之暇。漫記其所得者。竟満一帙。自忘僭偸之謗。私号武治提要。以授同門之学徒也。噫其轍于楷者。皆是糟粕。而真味却存這裡。別無金罍蔵琥珀。若欲酩酊于此者。乃咬糢糊糟粕。莫厭其苦辛矣。耕道子渉毫於講武堂。
書き下し
武なる者は何ぞや。三才の號に制を受けざるなり。士なる者は何ぞや。三民の人に制を施すなり。此の故に武敎は自ら吾が國の說有り。青年談兵の餘を蒙り、經傳子史の書を嗜み閱す。卷を播く每に、竊かに謂へらく、吾が 國の風土俗は、未だ彼の國の盛大に及ばず。業とする所の兵法も、亦未だ聖敎の寬裕に及ばざるなり。屢三代の古風を慕ひ、頻りに唐宋の文學を美す。而る后之を今日に用ふれば、乃ち偏應備當に似て、亦其の情或いは相齟齬す。之を疑ふなり。之を思ふこと久し。而る后自ら覺る、武敎と聖敎とは其の實は同じくして其の迹は異なるを。脫然として熱疾の初めて醒むるが猶し。嗚呼、本邦の正しくして堂堂たるかな。武俗の嚴にして巍巍たるかな。彼の深衣を被り、彼の牛羊に飽き、腰は劔を忘れ手は常に筆にする者と、胡ぞ口を同じくして其の行ひを談ずべけんや。頃日官途の暇を得て、漫りに其の得る所を記し、竟に一帙に滿つ。自ら僭偸の謗を忘れ、私かに武治提要と號し、以て同門の學徒に授く。噫、其の楷に轍する者は、皆是れ糟粕にして、眞味は卻って這裡に存す。別に金罍に琥珀を藏すること無し。若し此に酩酊せんと欲せば、乃ち糢糊の糟粕を咬み、其の苦辛を厭ふ莫かれ。耕道子、毫を講武堂に涉らす。
現代語訳
武とは何か。三才の名に制せられないものである。士とは何か。三民の人々に制を施す者である。それゆえ、武の教えには、もとよりわが国ならではの説がある。私は青年のころ兵を談ずる余暇に、経書・伝・諸子・史書を好んで読んだ。巻を開くたびにひそかに思ったのは、わが国の風土や習俗はあの国の盛大さには及ばず、業とする兵法もまた聖教のゆったりした寛容さには及ばない、ということである。しばしば三代の古風を慕い、しきりに唐宋の文学をほめた。しかしそれを今日に用いてみると、一方に偏って応じ備えているように見え、実情ともしばしば食い違う。これを疑い、長く思案した。そののち、武の教えと聖の教えは実は同じで、あとの形が異なるだけだと自ら悟った。熱病から初めて醒めたように、すっきりと晴れた。ああ、わが国の正しくて堂々たることよ。武家の習いの厳しくて高くそびえることよ。あの深衣をまとい、牛や羊に飽き、腰には剣を忘れ手は常に筆を執る者たちと、どうして同じ口でその行いを語れようか。近ごろ役目の暇を得て、思うままに得たところを書きつけたところ、ついに一帙に満ちた。身のほど知らずという謗りを忘れ、ひそかに『武治提要』と名づけ、同門の学徒に授ける。ああ、型どおりの手本に従う者にとっては、これらはみな糟粕であるが、真の味はかえってこの中にある。ほかに金の酒器に琥珀色の酒を蔵しているわけではない。もしここで酔いたいと思うなら、ぼんやりした糟を噛み、その苦さ辛さを嫌ってはならない。耕道子、講武堂で筆を走らせる。
解説
この章句が説くこと
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『武治提要』武事・第1段武事は武道の事物、武家の職業なり。其差等種類甚多し。武門の應接悉く武事に非ずと云ことなし。武事を知に至て、其智致り、其義なる。武學の智を養こと、其かゝる處尤重し。凡武事の品類甚多しといへども、其綱領は又多端に亘るべからず。或は有道に就てたゞすべきものあり、或は先進の言を待べからざるものあり。只能やむことなきの道を以てやむことなきの則を致るにあり。
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