武人訓抄録 / 武の字義と本書への序
凡士君子之所道、能修己以戢亂、居易以制難、則無所往而不至大至剛、且夫武之爲字也、以止干戈、歸咸寧爲義、豈謂暴虎與馮河之謂哉、世之講武者、多以揣摩譎詐致人而不致於人、爲此學之樞要也、奚足知神武之運用發揚無方、而多々益辨轉々斯道耶、然其爲敎也、不過據德於仁義忠信、游藝於刺擊射騎耳、蓋及其至也、古之所謂聰明睿智而不殺者、其亦庶乎、村井氏之編此書也、超雜兵家者流、何啻倍蓰、顧夫吾秀眞英靈之所鍾、而風敎大殊于萬方、越以純粹精銳之道、使斯民莫不克忠克孝而嚮時義、則致人而不致於人者、又何足道哉、嗚呼、彼事剽襲者、碱砆以混和璧、囁々焉詭秘之、今邁于古、故僭天錫神武而躬鈍太阿之鋒者多矣、嘗竊觀此編之指、固臻神武之棧梯也、從事於斯者、尚其勉旃、僕未瞰其門牆、浪叩固陋之心、而將復不勝愧報、豈敢序之云乎、豈敢序之云乎、
新字:凡士君子之所道、能修己以戢乱、居易以制難、則無所往而不至大至剛、且夫武之為字也、以止干戈、帰咸寧為義、豈謂暴虎与馮河之謂哉、世之講武者、多以揣摩譎詐致人而不致於人、為此学之枢要也、奚足知神武之運用発揚無方、而多々益弁転々斯道耶、然其為教也、不過拠徳於仁義忠信、游芸於刺撃射騎耳、蓋及其至也、古之所謂聰明睿智而不殺者、其亦庶乎、村井氏之編此書也、超雑兵家者流、何啻倍蓰、顧夫吾秀真英霊之所鍾、而風教大殊于万方、越以純粋精鋭之道、使斯民莫不克忠克孝而嚮時義、則致人而不致於人者、又何足道哉、嗚呼、彼事剽襲者、碱砆以混和璧、囁々焉詭秘之、今邁于古、故僭天錫神武而躬鈍太阿之鋒者多矣、嘗窃観此編之指、固臻神武之棧梯也、従事於斯者、尚其勉旃、僕未瞰其門牆、浪叩固陋之心、而将復不勝愧報、豈敢序之云乎、豈敢序之云乎、
書き下し
凡そ士君子の道とする所は、能く己を修めて以て亂を戢め、易に居て以て難を制すれば、則ち往く所として至大至剛ならざる無し。且つ夫れ武の字たるや、干戈を止め、咸寧に歸するを以て義と爲す。豈に暴虎馮河の謂ならんや。世の武を講ずる者は、多く揣摩譎詐、人を致して人に致されざるを以て、此の學の樞要と爲す。奚ぞ神武の運用發揚方無くして、多々益々辨じ、斯の道を轉々するを知るに足らんや。然れども其の敎へたるや、德に仁義忠信に據り、藝に刺擊射騎に游ぶに過ぎざるのみ。蓋し其の至るに及びては、古の所謂聰明睿智にして殺さざる者、其れ亦庶幾からんか。村井氏の此の書を編むや、雜兵家者流を超ゆること、何ぞ啻に倍蓰のみならんや。顧みるに夫れ吾が秀眞英靈の鍾まる所、風敎萬方に大いに殊なり。越に純粹精銳の道を以てし、斯の民をして忠に克く孝に克くして時義に嚮はざる莫からしめば、則ち人を致して人に致されずといふ者は、又何ぞ道ふに足らんや。嗚呼、彼の剽襲を事とする者は、碱砆を以て和璧に混じ、囁々焉として之を詭秘す。今は古に邁ぎ、故に天錫の神武を僭して躬ら太阿の鋒を鈍くする者多し。嘗て竊かに此の編の指を觀るに、固より神武に臻るの棧梯なり。斯に從事する者は、尚くは其れ勉めよ。僕は未だ其の門牆を瞰ず、浪りに固陋の心を叩き、將た復た愧報に勝へず。豈に敢て之を序すと云はんや。豈に敢て之を序すと云はんや。
現代語訳
おおよそ士君子が道とするところは、よく自分自身を修めて乱を収め、平易なところに身を置いて困難を抑えることです。そうすれば、どこへ行っても至って大きく至って剛いものになります。そもそも「武」という字は、戈を止めて世の安らぎに帰すことを意味とします。虎に素手で挑み、河を徒歩で渡るような無謀を言うものではありません。世に兵法を講じる者の多くは、推量と謀りごとで人を操り自分は操られないことを、この学問の要と考えています。それでは、神武の働きが限りなく発揚されることも、多く学ぶほどにいよいよ道理が分かることも、知るには足りません。本来その教えは、徳は仁義忠信に拠り、芸は刺撃・射・騎に遊ぶにすぎません。その極みに至れば、古人のいう、聡明で叡智がありながら人を殺さない者に、近づけるでしょう。村井氏がこの書を編んだことは、雑多な兵家の流れを超えること、数倍どころではありません。思えば、わが国は優れた気が集まるところで、風俗や教えも他国と大きく異なります。そこへ純粋で精鋭な道を加え、民がみな忠孝を尽くして時宜の義に向かうようにすれば、人を操って操られないなどという議論は、取り上げるに足りません。ああ、あの剽窃を事とする者は、くず石を名玉に混ぜ、ひそひそと秘伝めかしています。今は昔を超えたと称し、天与の神武を僭称して自ら名剣の鋒を鈍らせる者が多いのです。私がひそかにこの編の趣旨を見るに、確かに神武に至るはしごです。これに取り組む者は、どうか励んでください。私はまだその門の内も窺っておらず、むやみに浅はかな心を叩いて、恥じ入るばかりです。どうして序を書いたなどと言えましょうか。どうして序を書いたなどと言えましょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武人訓抄録』・文武を總べる神武一武の義たる、古と今と同じからず、漢と和と均しからず、古の武は文に配し、今の武は文武を總ぶ、其文に配するもの號て右武といふ、これ討賊破敵の道たり、其文武を總ぶるもの號て神武といふ、これ經國撥亂の道たり、漢の武は道の輔とす、和の武は道の主とす、其輔とするものは即文に配する武也、其主とするものは即文武を總る武なり、往古今來吾本邦の俗士等、いまだ此神武ある事をさとらず、妄りに文武をもて左右の道とす、甚あやまれり、學者すみやかに會得すべし、
-
『武藝訓抄録』・叙・文武を兼ね備える道文は道を載するの器なり。藝は業を修むるの法なり。聖人の万世に訓を垂れる所以にして、人倫日用に欠くべからざる者なり。筑前の産、武矩片島氏、夙に志有り。師を尋ね友を求めて以て文武の術を究む。窃かに患う、近世士たる者、頽く業を修むるを喜び、文武全く備うべきの道を察せず。其の文事を専らにする者は、訓詁詞藻を以て文を為し、未だ嘗て六藝の文たるを識らず。武事に勤むる者も、亦惟だ弓釼の兵たるを知りて、却って詩書の武たるを知らず。故に巧言文を説く者有り、臂を攘げて武を講ずる者有り。豈に欠けたるに非ずや。武矩嚮に武士和訓を作為し、以て初学者に示す。復た其の不足を補い、其の遺を拾い、六藝訓を著す。其の書たるや、礼楽の奥を会し、立躬御書数の階梯なり。皆是れ聖賢の訓を垂るる所以にして、武矩の夙に志す所なり。啻に初学者をして裨有るを得しむるのみに非ず。儻し士たる者、即ち是れに省閲を加え、以て欠くべからざるの業を識らば、則ち勤むる所の節目皆至当にして、何ぞ文武の道の全備せざるを患えんや。
-
『武治提要』自序武なる者は何ぞや。三才の號に制を受けざるなり。士なる者は何ぞや。三民の人に制を施すなり。此の故に武敎は自ら吾が國の說有り。青年談兵の餘を蒙り、經傳子史の書を嗜み閱す。卷を播く每に、竊かに謂へらく、吾が 國の風土俗は、未だ彼の國の盛大に及ばず。業とする所の兵法も、亦未だ聖敎の寬裕に及ばざるなり。屢三代の古風を慕ひ、頻りに唐宋の文學を美す。而る后之を今日に用ふれば、乃ち偏應備當に似て、亦其の情或いは相齟齬す。之を疑ふなり。之を思ふこと久し。而る后自ら覺る、武敎と聖敎とは其の實は同じくして其の迹は異なるを。脫然として熱疾の初めて醒むるが猶し。嗚呼、本邦の正しくして堂堂たるかな。武俗の嚴にして巍巍たるかな。彼の深衣を被り、彼の牛羊に飽き、腰は劔を忘れ手は常に筆にする者と、胡ぞ口を同じくして其の行ひを談ずべけんや。頃日官途の暇を得て、漫りに其の得る所を記し、竟に一帙に滿つ。自ら僭偸の謗を忘れ、私かに武治提要と號し、以て同門の學徒に授く。噫、其の楷に轍する者は、皆是れ糟粕にして、眞味は卻って這裡に存す。別に金罍に琥珀を藏すること無し。若し此に酩酊せんと欲せば、乃ち糢糊の糟粕を咬み、其の苦辛を厭ふ莫かれ。耕道子、毫を講武堂に涉らす。
-
『武訓』序・第1段文といひ、武といふ、分ちて是をいへば其の用大に同じからず。故に車の兩輪鳥の兩翼にたとへて、其一を闕くことあたはざることをいへるも、おなじからざるあとにつきて、文武の二を對しいへるのみ。合せて是れをいへば文武只一德にして、文の中に武あり、武の中に文あること、猶陰陽のたがひに根ざすがごとし。故に文なき武はまことの武にあらじ。わが國中頃保元平治より天正文祿の間にいたるまで、爭亂相踵で治日まれなりしかば、士人戎事に暇なく、文學をしるものすくなく、其の武とする所血氣の勇のみにして、眞の武道をしらず、勇俠刺客のしわざのごときを尙ぶこと風俗となり、其の餘習猶近世に及べり。今太平の化あまねく行はれ、四の海波しずかにして、人文日々に盛なれば、聖賢の遺訓家々に傳はり戶々に誦す。しかれども猶無學の輩は文武のことわりを辯へず、習俗にひかれてひが心得も有るべし。或は生質柔懦にして、治平に武をわすれざるの誠をおもはぬ輩も有るべし。先生俗士のために文武の二訓を著はし、其のことわりを辯明し給ふ。其の詞は假字にして讀みやすく、其の意は聖賢の正しきすぢを述べ給ふこと親切著明にして、且目今の時宜にかなはざることなし。世敎に補あること豈小ならんや。
-
『文武訓』武訓上一武に本末あり。忠孝義勇は兵法の本なり、武徳なり。節制謀略は兵法なり。節制とは、人数をくばり兵を行る道、是いはゆる軍法なり。弓矢剣戟等の兵器の術は兵法の末なり、武芸なり。本末ともにそなはるをよしとす。武芸は兵法を本とし、兵法は仁義を本とす。此三の品あることを知りて、其序をわかち其軽重を知るべし。三の者かぬることを得ずんば、忠孝義理の武徳をはけむべし。武芸を知らざる人も、忠孝義理勇あれば、戦功を立て武名を得る人多し。武芸に達すとも、忠義なき臆病人ならば、戦功を立て武名をとることかたかるべし。君子は本をつとむ。本立ちて道生るとは是なり。武芸はまことに学ぶべくして捨つべからずといへど、必ず武徳を本としてつとめはげますべし。軽重本末ある事をしるべし。又忠義と剛勇にも本末あり。程子曰く、人必ず仁義の心有りて、而る後に仁義の気有り。仁義の心は本なり、剛勇は仁義の気なり、末なり。仁義の心あれば、勇気はおのづから出でくるなり。仁義なくして武勇を好めば、大人は乱をおこし、小人は盗賊となる。
-
『武訓』上・第1段武に本末あり。忠孝義勇は、兵法の本なり。武德なり。節制謀略は、兵法なり。節制とは、人數をくばり、兵を行る道、是、いはゆる軍法なり。弓矢劔戟等の兵器の術は、兵法の末なり。武藝なり。本末ともにそなはるをよしとす。武藝は、兵法を本とし、兵法は、仁義を本とす。此の三の品あることをしりて、其の序をわかち、其の輕重を知るべし。三の者かぬることを得ずんば、忠孝義理の武德をはげむべし。武藝をしらざる人も、忠孝義理の勇あれば、戰功を立て、武名を得る人多し。武藝に達すとも、忠義なき臆病人ならば、戰功を立て武名をとることかたかるべし。君子は本をつとむ。本立ちて道生るとは、是なり。武藝は、まことに學ぶべくして、すつべからずといへど、必、武德を本として、つとめはげますべし。輕重本末あることをしるべし。又、忠義と剛勇とも、本末あり。程子曰、人必有仁義之心、而後有仁義之氣。仁義の心は、本なり。剛勇は、仁義の氣なり。末なり。仁義の心あれば、勇氣は、おのづから出てくるなり。仁義なくして武勇を好めば、大人は亂をおこし、小人は盜賊となる。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る