神皇正統記 / 巻六 第九十五代 後醍醐天皇
其道にはあらで、一旦の勲功など云ばかりに、武家代々の陪臣をあげて高官を授られむことは、朝議のみだりなるのみならず、身のためもよくつゝしむべきことゝぞおぼえ侍る。もろこしにも、漢高祖はすゞろに功臣を大に封じ、公相の位をも授しかば、はたして奢ぬ。奢ればほろぼす。よりて後には功臣のこりなくなりにけり。後漢の光武はこの事にこりて、功臣に封爵をあたへけるも、其首たりし鄧禹すら封ぜらるゝ所四県にすぎず。官を任ずるには文吏をもとめえらびて、功臣をさしおく。是によりて二十八将の家ひさしく伝て、昔の功もむなしからず。朝には名士おほくもちゐられて、曠官のそしりなかりき。彼二十八将の中にも鄧禹と賈復とはそのえらびにあづかりて官にありき。漢朝の昔だに文武の才をそなふることいとありがたく侍りけるにこそ。次に功田と云ことは、昔は功のしなにしたがひて大・上・中・下の四の功を立て田をあかち給き。其数みなさだまれり。大功は世々にたえず。
書き下し
其道にはあらで、一旦の勲功など云ばかりに、武家代々の陪臣をあげて高官を授られむことは、朝議のみだりなるのみならず、身のためもよくつゝしむべきことゝぞおぼえ侍る。もろこしにも、漢高祖はすゞろに功臣を大に封じ、公相の位をも授しかば、はたして奢ぬ。奢ればほろぼす。よりて後には功臣のこりなくなりにけり。後漢の光武はこの事にこりて、功臣に封爵をあたへけるも、其首たりし鄧禹すら封ぜらるゝ所四県にすぎず。官を任ずるには文吏をもとめえらびて、功臣をさしおく。是によりて二十八将の家ひさしく伝て、昔の功もむなしからず。朝には名士おほくもちゐられて、曠官のそしりなかりき。彼二十八将の中にも鄧禹と賈復とはそのえらびにあづかりて官にありき。漢朝の昔だに文武の才をそなふることいとありがたく侍りけるにこそ。次に功田と云ことは、昔は功のしなにしたがひて大・上・中・下の四の功を立て田をあかち給き。其数みなさだまれり。大功は世々にたえず。
現代語訳
その道によらず、一時の勲功などというだけで、武家の代々の陪臣を取り立てて高官を授けられることは、朝廷の議が乱れるばかりでなく、(受ける)身のためにもよく慎むべきことと思われる。中国でも、漢の高祖はむやみに功臣を大きく封じ、公卿・宰相の位をも授けたので、はたして(彼らは)驕った。驕れば滅ぼす。それで後には功臣が残らずいなくなった。後漢の光武帝はこのことに懲りて、功臣に封爵を与えたけれども、その筆頭であった鄧禹でさえ封じられたところは四県にすぎなかった。官に任じるには文吏を求めて選び、功臣は差し置いた。これによって二十八将の家は長く伝わり、昔の功も空しくならなかった。朝廷には名士が多く用いられて、官職を空しくするという非難もなかった。あの二十八将の中でも、鄧禹と賈復とはその選びにあずかって官にあった。漢朝の昔でさえ、文武の才を兼ね備えることはまことにまれであったのである。次に功田ということは、昔は功の等級にしたがって大・上・中・下の四つの功を立て、田を分け与えられた。その数はみな定まっていた。大功の田は代々絶えることがない。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇昔は人の心正くて自ら将門にみもこり、きゝもこり侍りけん。今は人々の心かくのみなりにたれば、此世はよくおとろへぬるにや。漢高祖の天下をとりしは蕭何・張良・韓信が力なり。これを三傑と云ふ。万人にすぐれたるを傑と云とぞ。中にも張良は高祖の師として、「はかりことを帷帳の中にめぐらして、勝ことを千里の外に決するはこの人なり。」との給しかど、張良はおごることなくして、留といひてすこしきなる所をのぞみて封ぜられにけり。あらゆる功臣おほくほろびしかど、張良は身をまたくしたりき。ちかき代のことぞかし、頼朝の時までも、文治の比にや、奥の泰衡を追討せしに、みづからむかふことありしに、平重忠が先陣にて其功すぐれたりければ、五十四郡の中に、いづくをものぞむべかりけるに、長岡の郡とてきはめたる小所をのぞみたまはりけるとぞ。これは人々にひろく賞をもおこなはしめんがためにや。かしこかりけるをのこにこそ。又直実と云ける者に一所をあたへたまふ下文に、「日本第一の甲の者なり。」と書て給てけり。
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『長短経』君徳夏は忠を尚ぶ。忠の弊は野朴なり。故に殷は之を承くるに敬を以てす。敬の弊は鬼なり。故に周は之を承くるに文を以てす。文の弊は薄なり。薄を救うは忠に若くは莫し。三王の道は、周りて復た始まる。周秦の間は、文弊と謂う可し。秦は改めずして、反って刑を酷にす。漢は其の弊を承けて天統を得たり。孔融曰く「周の武は后稷より以来、其の身に至るまで、相い承くること十五世を積む。但だ魚鳥の瑞有るのみ。高祖の如きに至りては、一身徳を修めて、瑞に四五有り。白蛇分かれ、神母哭き、西のかた関に入り、五星聚まる。又た武王は紂を伐ちて、斬りて之を梟す。高祖は秦に入りて、子嬰を赦して之を遣る。是れ其の寛裕、又た高祖に如かず」と。虞南曰く「帝者は師と処り、王者は友と処り、覇者は臣と処る。漢祖の臣は三傑是なり。光武の佐は二十八将是なり。豈に鄧禹・呉漢を以て張良・韓信に匹す可けんや。然れども漢祖の功臣は、皆な強盛にして誅滅せらる。光武の佐命は、悉く優秩を用いて安全なり。君臣の際、良に称す可きなり。長を絶ちて短を補えば、其の次に抑うるなり」と。此に由りて之を言えば、夫れ漢高は秦・項を克平し、漢業を開創す。衣冠礼楽、之を後代に垂る。未だ王道に階らずと雖も、霸徳の盛んなるなり。〕
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史記 高祖功臣侯者年表太史公曰く、古者人臣の功に五品有り。徳を以て宗廟を立て社稷を定むるを勲と曰ひ、言を以てするを労と曰ひ、力を用ふるを功と曰ひ、其の等を明らかにするを伐と曰ひ、日を積むを閲と曰ふ。封爵の誓ひに曰く、「河をして帯の如く、泰山をして厲の若くならしむとも、国以て永く寧く、爰に苗裔に及ばん」と。始め未だ嘗て其の根本を固めんと欲せずんばあらず、而して枝葉稍く陵夷衰微す。余、高祖の侯功臣を読み、其の首封と、之を失ふ所以の者とを察して、曰く、異なるかな新たに聞く所と。書に曰く「万国を協和す」と、夏商に遷りて、或いは数千歳。蓋し周は八百を封じ、幽厲の後も春秋に見はる。尚書に唐虞の侯伯有り、三代を歴て千有余載、自ら全うして以て天子に蕃衛す、豈に仁義に篤く、上の法を奉ずるに非ずや。漢興りて、功臣の封を受くる者百有余人。天下初めて定まる、故に大城名都散亡し、戸口の得て数ふべき者十に二三、是を以て大侯も万家に過ぎず、小なる者は五六百戸。後数世、民咸郷里に帰り、戸益々息し、蕭・曹・絳・灌の属は或いは四万に至り、小侯も自ら倍し、富厚之の如し。子孫驕溢し、其の先を忘れ、淫嬖す。太初に至るまで百年の間、見侯五、余は皆法に坐して命を隕し国を亡ぼし、秏す。罔も亦少しく密なり、然れども皆身に当世の禁に兢兢たること無しと云ふ。今の世に居りて、古の道を志すは、自ら鏡みる所以なり、未だ必ずしも尽くは同じからず。帝王は各々礼を殊にし務めを異にす、要は成功を以て統紀と為す、豈に緄すべけんや。尊寵を得る所以及び廃辱せらるる所以を観れば、亦当世の得失の林なり、何ぞ必ずしも旧聞ならん。是に於いて其の終始を謹み、其の文を表し、頗る本末を尽くさざる所有り。其の明らかなるを著し、疑はしき者は之を闕く。後に君子有りて、推して之を列せんと欲すれば、以て覧るを得ん。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇闕所をもておこなはるゝにたらざれば、国郡につきたりし地、もしは諸家相伝の領までもきほひ申けりとぞ。をさまらんとしていよいよみだれ、やすからんとしてますますあやふくなりにける、末世のいたりこそまことにかなしく侍れ。凡王土にはらまれて、忠をいたし命をすつるは人臣の道なり。必これを身の高名とおもふべきにあらず。しかれども後の人をはげまし、其あとをあはれみて賞せらるゝは、君の御政なり。下としてきほひあらそひ申べきにあらぬにや。ましてさせる功なくして過分の望をいたすこと、みづからあやぶむるはしなれど、前車の轍をみることはまことに有がたき習なりけんかし。中古までも人のさのみ豪強なるをばいましめられき。豪強になりぬればかならずおごる心あり。はたして身をほろぼし、家をうしなふためしあれば、いましめらるゝも理なり。鳥羽院の御代にや、諸国の武士の源平の家に属することをとゞむべしと云ふ制符たびたびありき。
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『長短経』君徳〔武帝の賛に曰く「漢は百王の弊を承く。高祖は乱を撥して正に反し、文景は務め人を養うに在り。古を稽え礼文するの事に至りては、猶お闕くること多し。孝武初めて立ち、卓然として百家を罷黜し、六経を表章す。遂に海内に疇咨し、其の俊茂を挙げて、之と功を立つ。太学を興し、郊祀を修め、正朔を改め、暦数を定め、音律を協え、詩楽を作り、封禅を建て、百神を礼し、周の後を紹ぐ。号令文章、煥焉として述ぶ可し。後嗣は洪業を遵うを得て、三代の風有り。武帝の雄材大略の如きにして、文景の恭倹を改めず、以て斯の人を斉えば、詩・書の称する所と雖も、何ぞ加うる有らんや」と。此を推して之を言えば、彼の漢武・秦皇は、皆な功を立つるの君にして、成を守るの主に非ざるなり。〕
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇およそ政道と云ことは所々にしるしはべれど、正直慈悲を本として決断の力あるべき也。これ天照太神のあきらかなる御をしへなり。決断と云にとりてあまたの道あり。一には其人をえらびて官に任ず。官に其人ある時は君は垂拱してまします。されば本朝にも異朝にもこれを治世の本とす。二には国郡をわたくしにせず、わかつ所かならず其理のまゝにす。三には功あるをば必賞し、罪あるをば必ず罰す。これ善をすゝめ悪をこらす道なり。是に一もたがふを乱政とはいへり。上古には勲功あればとて官位をすゝむことはなかりき。つねの官位のほかに勲位と云しなをゝきて一等より十二等まであり。無位の人々なれど、勲功たかくて一等にあがれば、正三位の下、従三位の上につらなるべしとぞみえたる。又本位ある人のこれを兼たるも有べし。官位といへるは、上三公より下諸司の一分にいたる、これを内官と云、諸国の守より史生・郡司にいたる、これを外官と云ふ。
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