神皇正統記 / 巻六 第九十五代 後醍醐天皇
天文にかたどり、地理にのとりておの〳〵つかさどる方あれば、其才なくては任用せらるべからざることなり。「名与器は人にかさず。」とも云、「天の工に人其代。」ともいひて、君のみだりにさづくるを謬挙とし、臣のみだりにうくるを尸祿とす。謬挙と尸祿とは国家のやぶるゝ階、王業の久からざる基なりとぞ。中古と成て、平将門を追討の賞にて、藤原秀郷正四位下に叙し、武蔵・下野両国の守を兼す。平貞盛正五位下に叙し、鎮守府の将軍に任ず。安倍貞任奥州をみだりしを、源頼義朝臣十二年までにたゝかひ、凱旋の日、正四位下に叙し、伊与守に任ず。彼等其功たかしといへども、一任四五け年の職なり。これ猶上古の法にはかはれり。保元の賞には、義朝左馬頭に転じ、清盛太宰大弐に任ず。此外受領・検非違使になれるもあり。此時やすでにみだりがはしき始となりにけん。平治よりこのかた皇威ことのほかにおとろへぬ。清盛天下の権を盜、太政大臣にあがり、子ども大臣大将に成しうへはいふにたらぬ事にや。
新字:天文にかたどり、地理にのとりておの〳〵つかさどる方あれば、其才なくては任用せらるべからざることなり。「名与器は人にかさず。」とも云、「天の工に人其代。」ともいひて、君のみだりにさづくるを謬挙とし、臣のみだりにうくるを尸禄とす。謬挙と尸禄とは国家のやぶるゝ階、王業の久からざる基なりとぞ。中古と成て、平将門を追討の賞にて、藤原秀郷正四位下に叙し、武蔵・下野両国の守を兼す。平貞盛正五位下に叙し、鎮守府の将軍に任ず。安倍貞任奥州をみだりしを、源頼義朝臣十二年までにたゝかひ、凱旋の日、正四位下に叙し、伊与守に任ず。彼等其功たかしといへども、一任四五け年の職なり。これ猶上古の法にはかはれり。保元の賞には、義朝左馬頭に転じ、清盛太宰大弐に任ず。此外受領・検非違使になれるもあり。此時やすでにみだりがはしき始となりにけん。平治よりこのかた皇威ことのほかにおとろへぬ。清盛天下の権を盗、太政大臣にあがり、子ども大臣大将に成しうへはいふにたらぬ事にや。
書き下し
天文にかたどり、地理にのとりておのおのつかさどる方あれば、其才なくては任用せらるべからざることなり。「名与器は人にかさず。」とも云、「天の工に人其代。」ともいひて、君のみだりにさづくるを謬挙とし、臣のみだりにうくるを尸禄とす。謬挙と尸禄とは国家のやぶるゝ階、王業の久からざる基なりとぞ。中古と成て、平将門を追討の賞にて、藤原秀郷正四位下に叙し、武蔵・下野両国の守を兼す。平貞盛正五位下に叙し、鎮守府の将軍に任ず。安倍貞任奥州をみだりしを、源頼義朝臣十二年までにたゝかひ、凱旋の日、正四位下に叙し、伊与守に任ず。彼等其功たかしといへども、一任四五け年の職なり。これ猶上古の法にはかはれり。保元の賞には、義朝左馬頭に転じ、清盛太宰大弐に任ず。此外受領・検非違使になれるもあり。此時やすでにみだりがはしき始となりにけん。平治よりこのかた皇威ことのほかにおとろへぬ。清盛天下の権を盗、太政大臣にあがり、子ども大臣大将に成しうへはいふにたらぬ事にや。
現代語訳
(官には)天文にかたどり地理にのっとって、それぞれ司る分野があるので、その才がなくては任用されるべきではない。「名と器は人に貸さない」とも言い、「天の工(わざ)は人がこれに代わる」とも言って、君がみだりに授けるのを謬挙とし、臣がみだりに受けるのを尸禄とする。謬挙と尸禄とは、国家が破れる階段であり、王業が長く続かない基であるという。中古になって、平将門を追討した賞として、藤原秀郷は正四位下に叙され、武蔵・下野両国の守を兼ねた。平貞盛は正五位下に叙され、鎮守府将軍に任じられた。安倍貞任が奥州を乱したのを、源頼義朝臣が十二年にわたって戦い、凱旋の日に正四位下に叙され、伊予守に任じられた。彼らはその功が高かったとはいえ、一任四、五年の職である。これもやはり上古の法とは変わっている。保元の乱の賞では、義朝は左馬頭に転じ、清盛は大宰大弐に任じられた。このほか受領や検非違使になった者もいる。この時がすでに乱れの始まりとなったのであろう。平治の乱からこのかた、皇威はことのほか衰えた。清盛が天下の権を盗み、太政大臣に上り、子どもたちが大臣・大将となってからは、言うまでもないことであろうか。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇闕所をもておこなはるゝにたらざれば、国郡につきたりし地、もしは諸家相伝の領までもきほひ申けりとぞ。をさまらんとしていよいよみだれ、やすからんとしてますますあやふくなりにける、末世のいたりこそまことにかなしく侍れ。凡王土にはらまれて、忠をいたし命をすつるは人臣の道なり。必これを身の高名とおもふべきにあらず。しかれども後の人をはげまし、其あとをあはれみて賞せらるゝは、君の御政なり。下としてきほひあらそひ申べきにあらぬにや。ましてさせる功なくして過分の望をいたすこと、みづからあやぶむるはしなれど、前車の轍をみることはまことに有がたき習なりけんかし。中古までも人のさのみ豪強なるをばいましめられき。豪強になりぬればかならずおごる心あり。はたして身をほろぼし、家をうしなふためしあれば、いましめらるゝも理なり。鳥羽院の御代にや、諸国の武士の源平の家に属することをとゞむべしと云ふ制符たびたびありき。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇されど朝敵になりてやがて滅亡せしかば後の例にはひきがたし。頼朝はさらに一身の力にて平氏の乱をたひらげ、二十余年の御いきどほりをやすめたてまつりし、昔神武の御時、宇麻志麻見の命の中州をしづめ、皇極の御宇に大織冠の蘇我の一門をほろぼして、皇家をまたくせしより後は、たぐひなき程の勲功にや。それすら京上の時、大納言大将に任ぜられしをば、かたくいなみ申けるをゝしてなされにけり。公私のわざはひにや侍けん。その子は彼があとなれば、大臣大将になりてやがてほろびぬ。更にあとゝ云物もなし。天意にはたがひけりとみえたり。君もかゝるためしをはじめ給しによりて、大功なきものまでも皆かゝるべきことゝ思あへり。頼朝はわが身かゝればとて、兄弟一族をばかたくおさへけるにや。義経五位の検非違使にてやみぬ。範頼が三河守なりしは、頼朝拝賀の日地下の前駈にめしくはへたり。おごる心みえければにや、この両弟をもつひにうしなひにき。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇源平ひさしく武をとりてつかへしかども、事ある時は、宣旨を給て諸国の兵をめしぐしけるに、近代となりてやがて肩をいるゝ族おほくなりしによりて、此制符はくだされき。はたして、今までの乱世の基なれば、云ふかひなきことになりにけり。此比のことわざには、一たび軍にかけあひ、或は家子郎従節にしぬるたぐひもあれば、「わが功におきては日本国を給、もしは半国を給てもたるべからず。」など申める。まことにさまでおもふことはあらじなれど、やがてこれよりみだるゝ端ともなり、又朝威のかろがろしさもおしはからるゝものなり。「言語は君子の枢機なり。」といへり。あからさまにも君をないがしろにし、人におごることあるべからぬことにこそ。さきにしるしはべりしごとく、かたき氷は霜をふむよりいたるならひなれば、乱臣賊子と云者は、そのはじめ心ことばをつゝしまざるよりいでくる也。世の中のおとろふると申は、日月の光のかはるにもあらず、草木の色のあらたまるにもあらじ。人の心のあしくなり行を末世とはいへるにや。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇任国におもむくこともたえてひさしくなりにしかば、ふるき例をたづねて、罷申の儀あり。御前にめし勅語ありて御衣御馬などをたまはりき。猶おくのかためにもと申うけて、御子を一所ともなひたてまつる。かけまくもかしこき今上皇帝の御ことなればこまかにはしるさず。彼国につきにければ、まことにおくの方ざま両国をかけてみなゝびきしたがひにけり。同十二月左馬頭直義朝臣相模守を兼て下向す。これも四品上野大守成良親王をともなひ奉。此親王、後にしばらく征夷大将軍を兼せさせ給抑彼高氏御方にまゐりし、其功は誠にしかるべし。すゞろに寵幸ありて、抽賞せられしかば、ひとへに頼朝卿天下をしづめしまゝの心ざしにのみなりにけるにや。いつしか越階して四位に叙し、左兵衛督に任ず。拝賀のさきに、やがて従三位して、程なく参議従二位までのぼりぬ。三け国の吏務・守護およびあまたの郡庄を給る。弟直義左馬頭に任じ、従四位に叙す。昔頼朝ためしなき勲功ありしかど、高官高位にのぼることは乱政なり。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇平治より後、平氏世をみだりて二十六年、文治の初、頼朝権をもはらにせしより父子あひつぎて三十七年、承久に義時世をとりおこなひしより百十三年、すべて百七十余年のあひだおほやけの世を一にしらせ給ことたえにしに、此天皇の御代に掌をかへすよりもやすく一統し給ぬること、宗廟の御はからひも時節ありけりと、天下こぞりてぞ仰奉りける。同年冬十月に、先あづまのおくをしづめらるべしとて、参議右近中将源顕家卿を陸奥守になしてつかはさる。代々和漢の稽古をわざとして、朝端につかへ政務にまじはる道をのみこそまなびはべれ。吏途の方にもならはず、武勇の芸にもたづさはらぬことなれば、たびたびいなみ申しかど、「公家すでに一統しぬ。文武の道二あるべからず。昔は皇子皇孫もしは執政の大臣の子孫のみこそおほくは軍の大将にもさゝれしか。今より武をかねて蕃屏たるべし。」とおほせ給て、御みづから旗の銘をかゝしめ給、さまざまの兵器をさへくだしたまはる。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇天道も神明もいかにともせぬことなれど邪なるものは久しからずしてほろび、乱たる世も正にかへる、古今の理なり。これをよくわきまへしるを稽古と云ふ。昔人をえらびもちゐられし日は先徳行をつくす。徳行おなじければ、才用あるをもちゐる。才用ひとしければ労効あるをとる。又徳義・清慎・公平・恪勤の四善をとるともみえたり。格条には「朝に廝養たれども夕に公卿にいたる。」と云ことの侍るも、徳行才用によりて不次にもちゐらるべき心なり。寛弘よりあなたには、まことに才かしこければ、種姓にかゝはらず、将相にいたる人もあり。寛弘以来は、譜第をさきとして、其中に才もあり徳もありて、職にかなひぬべき人をぞえらばれける。世の末に、みだりがはしかるべきことをいましめらるゝにやありけん、「七け国の受領をへて、合格して公文といふことかんがへぬれば、参議に任ず。」
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