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神皇正統記 / 巻六 第九十五代 後醍醐天皇

任国におもむくこともたえてひさしくなりにしかば、ふるき例をたづねて、罷申の儀あり。御前にめし勅語ありて御衣御馬などをたまはりき。猶おくのかためにもと申うけて、御子を一所ともなひたてまつる。かけまくもかしこき今上皇帝の御ことなればこまかにはしるさず。彼国につきにければ、まことにおくの方ざま両国をかけてみなゝびきしたがひにけり。同十二月左馬頭直義朝臣相模守を兼て下向す。これも四品上野大守成良親王をともなひ奉。此親王、後にしばらく征夷大将軍を兼せさせ給抑彼高氏御方にまゐりし、其功は誠にしかるべし。すゞろに寵幸ありて、抽賞せられしかば、ひとへに頼朝卿天下をしづめしまゝの心ざしにのみなりにけるにや。いつしか越階して四位に叙し、左兵衛督に任ず。拝賀のさきに、やがて従三位して、程なく参議従二位までのぼりぬ。三け国の吏務・守護およびあまたの郡庄を給る。弟直義左馬頭に任じ、従四位に叙す。昔頼朝ためしなき勲功ありしかど、高官高位にのぼることは乱政なり。

書き下し

任国におもむくこともたえてひさしくなりにしかば、ふるき例をたづねて、罷申の儀あり。御前にめし勅語ありて御衣御馬などをたまはりき。猶おくのかためにもと申うけて、御子を一所ともなひたてまつる。かけまくもかしこき今上皇帝の御ことなればこまかにはしるさず。彼国につきにければ、まことにおくの方ざま両国をかけてみなゝびきしたがひにけり。同十二月左馬頭直義朝臣相模守を兼て下向す。これも四品上野大守成良親王をともなひ奉。此親王、後にしばらく征夷大将軍を兼せさせ給抑彼高氏御方にまゐりし、其功は誠にしかるべし。すゞろに寵幸ありて、抽賞せられしかば、ひとへに頼朝卿天下をしづめしまゝの心ざしにのみなりにけるにや。いつしか越階して四位に叙し、左兵衛督に任ず。拝賀のさきに、やがて従三位して、程なく参議従二位までのぼりぬ。三け国の吏務・守護およびあまたの郡庄を給る。弟直義左馬頭に任じ、従四位に叙す。昔頼朝ためしなき勲功ありしかど、高官高位にのぼることは乱政なり。

現代語訳

国司が任国に赴くことも絶えて久しくなっていたので、古い例を調べて、罷申(赴任の挨拶)の儀が行われた。御前に召されて勅語があり、御衣や御馬などを賜った。さらに奥州の守りのためにもと願い出て、皇子をお一人お伴い申しあげた。口にするのも恐れ多い今上皇帝のことであるから、細かには記さない。その国に着くと、まことに奥州方面の両国にわたって、みななびき従った。同年十二月、左馬頭直義朝臣(足利直義)が相模守を兼ねて下向した。これも四品上野太守成良親王をお伴い申しあげた。この親王は、のちにしばらく征夷大将軍を兼ねられた。そもそも、あの高氏が味方に参じたこと、その功はまことにそれに値するものであった。ところがむやみに寵愛され、抜きん出た賞を受けたので、ひとえに頼朝卿が天下を鎮めたときのような心づもりにばかりなってしまったのであろうか。いつの間にか位階を飛び越えて四位に叙され、左兵衛督に任じられた。任官の拝賀も済まないうちにすぐ従三位となり、ほどなく参議・従二位まで昇った。三か国の国司の職務と守護、および多くの郡や荘園を賜った。弟の直義は左馬頭に任じられ、従四位に叙された。昔、頼朝は例のない勲功があったけれども、高官高位に昇ったことは政の乱れである。

解説

顕家が皇子を奉じて奥州に下ったことを記したあと、足利高氏への恩賞の問題に入る段である。顕家が伴った皇子はのちの後村上天皇で、親房は「かけまくもかしこき今上皇帝の御ことなればこまかにはしるさず」と筆を控える。この書が誰に向けて書かれたかが、ここで透けて見える。そのうえで親房は高氏を論じる。寝返りの功は「誠にしかるべし」と認めている。問題はその後の賞である。位階を飛び越えて四位、拝賀の前に従三位、ほどなく参議従二位。三か国の国司と守護職、多くの郡や荘園。功を認めることと、それに見合う以上の賞を与えることは別の事柄だと、親房は分けて考えている。過分の賞を受けた者は、自分を頼朝になぞらえ始める。報い方を誤れば、功のあった者を危うい者に変えてしまうという指摘である。

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