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神皇正統記 / 巻五 第九十代 後宇多院

第九十代、第四十八世、後宇多院。諱は世仁、亀山の太子。御母皇后藤原[の]僖子、左大臣実雄の女也。甲戌の年即位、乙亥改元。丙子の年、もろこしの宋幼帝徳祐二年にあたる。ことし、北狄の種、蒙古おこりて元国と云しが宋の国を滅す。辛巳の年蒙古の軍おほく船をそろへて我国を侵す。筑紫にて大に合戦あり。神明、威をあらはし形を現じてふせがれけり。大風にはかにおこりて数十万艘の賊船みな漂倒破滅しぬ。末世といへども神明の威徳不可思議なり。誓約のかはらざることこれにておしはかるべし。この天皇天下を治給こと十三年。おもひの外にのがれまし〳〵て十余年ありき。後二条の御門立給しかば、世をしらせ給。遊義門院かくれまして、御歎のあまりにや、出家せさせ給。前大僧正禅助を御師として、宇多・円融の例により、東寺にて潅頂せさせ給。めづらかにたふとき事にはべりき。其日は後醍醐の御門、中務の親王とて王卿の座につかせ御座す。只今の心地ぞしはべる。後二条かくれさせ給しのち、いとゞ世をいとはせたまふ。

新字:第九十代、第四十八世、後宇多院。諱は世仁、亀山の太子。御母皇后藤原[の]僖子、左大臣実雄の女也。甲戌の年即位、乙亥改元。丙子の年、もろこしの宋幼帝徳祐二年にあたる。ことし、北狄の種、蒙古おこりて元国と云しが宋の国を滅す。辛巳の年蒙古の軍おほく船をそろへて我国を侵す。筑紫にて大に合戦あり。神明、威をあらはし形を現じてふせがれけり。大風にはかにおこりて数十万艘の賊船みな漂倒破滅しぬ。末世といへども神明の威徳不可思議なり。誓約のかはらざることこれにておしはかるべし。この天皇天下を治給こと十三年。おもひの外にのがれまし〳〵て十余年ありき。後二条の御門立給しかば、世をしらせ給。遊義門院かくれまして、御嘆のあまりにや、出家せさせ給。前大僧正禅助を御師として、宇多・円融の例により、東寺にて潅頂せさせ給。めづらかにたふとき事にはべりき。其日は後醍醐の御門、中務の親王とて王卿の座につかせ御座す。只今の心地ぞしはべる。後二条かくれさせ給しのち、いとゞ世をいとはせたまふ。

書き下し

第九十代、第四十八世、後宇多院。諱は世仁、亀山の太子。御母皇后藤原の僖子、左大臣実雄の女也。甲戌の年即位、乙亥改元。丙子の年、もろこしの宋幼帝徳祐二年にあたる。ことし、北狄の種、蒙古おこりて元国と云しが宋の国を滅す。辛巳の年蒙古の軍おほく船をそろへて我国を侵す。筑紫にて大に合戦あり。神明、威をあらはし形を現じてふせがれけり。大風にはかにおこりて数十万艘の賊船みな漂倒破滅しぬ。末世といへども神明の威徳不可思議なり。誓約のかはらざることこれにておしはかるべし。この天皇天下を治給こと十三年。おもひの外にのがれましまして十余年ありき。後二条の御門立給しかば、世をしらせ給。遊義門院かくれまして、御歎のあまりにや、出家せさせ給。前大僧正禅助を御師として、宇多・円融の例により、東寺にて潅頂せさせ給。めづらかにたふとき事にはべりき。其日は後醍醐の御門、中務の親王とて王卿の座につかせ御座す。只今の心地ぞしはべる。後二条かくれさせ給しのち、いとゞ世をいとはせたまふ。

現代語訳

第九十代、第四十八世、後宇多院。諱は世仁、亀山天皇の皇太子である。御母は皇后藤原僖子で、左大臣実雄の娘である。甲戌の年(1274年)に即位し、乙亥に改元した。丙子の年は、中国の宋の幼帝の徳祐二年にあたる。この年、北方の異民族の一種である蒙古が起こって元国と称し、宋の国を滅ぼした。辛巳の年(1281年)、蒙古の軍が多くの船をそろえてわが国を侵した。筑紫で大いに合戦があった。神々が威光を現し、姿を現して防がれた。大風がにわかに起こって、数十万艘の賊船はみな漂い倒れて破滅した。末世とはいっても、神々の威徳は不思議なものである。誓約が変わらないことは、これによって推し量るべきである。この天皇が天下を治められたこと十三年。思いのほかに位を退かれて十余年あった。後二条の帝がお立ちになったので、世を治められた。遊義門院がお隠れになって、お嘆きのあまりであろうか、出家なさった。前大僧正禅助を御師として、宇多・円融天皇の例にならって、東寺で灌頂を受けられた。めったにない尊いことであった。その日は後醍醐の帝が、中務の親王として王卿の座についておられた。今のことのような心地がする。後二条の帝がお隠れになった後、いっそう世をお厭いになった。

解説

後宇多院の段は、蒙古襲来と、親房自身の記憶が交差する。宋が元に滅ぼされたことを記した後、弘安の役で大風が起こり数十万艘の賊船が破滅したことを「神明の威徳不可思議」と書く。末世であっても神々の誓約は変わらない、という神国論の証しとして描いている。数十万艘という数は当時の言い伝えであり、実数とは限らない。一方で後半には個人的な回想が入る。後宇多院が東寺で灌頂を受けた日、のちの後醍醐天皇が中務卿の親王として列座しており、「只今の心地ぞしはべる」と親房は書く。親房自身もその場にいたのであろう。系譜の記事のなかに、仕えた主君たちの姿が生々しくよみがえる瞬間である。史書の書き手が当事者でもあった時代の記述として、この一句は特別な重みを持っている。

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