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神皇正統記 / 巻六 第九十二代 後伏見院

第九十二代、後伏見院。諱は胤仁、伏見第一の子。御母永福門院、藤原鏱子、入道太政大臣実兼の女なり。実の御母は准三宮藤原経子、入道参議経氏女也。戊戌の年即位、己亥に改元。天下を治給こと三年。推譲のことあり。尊号例のごとし。正和の比、父の上皇の御譲にて世をしらせ給。時の御門は御弟なれど、御猶子の儀なりとぞ。元弘に、世の中みだれし時又しばらくしらせ給。事あらたまりても、かはらず都にすませまし〳〵しかば、出家せさせ給て、四十九歳にてかくれさせまし〳〵き。

書き下し

第九十二代、後伏見院。諱は胤仁、伏見第一の子。御母永福門院、藤原鏱子、入道太政大臣実兼の女なり。実の御母は准三宮藤原経子、入道参議経氏女也。戊戌の年即位、己亥に改元。天下を治給こと三年。推譲のことあり。尊号例のごとし。正和の比、父の上皇の御譲にて世をしらせ給。時の御門は御弟なれど、御猶子の儀なりとぞ。元弘に、世の中みだれし時又しばらくしらせ給。事あらたまりても、かはらず都にすませましまししかば、出家せさせ給て、四十九歳にてかくれさせましましき。

現代語訳

第九十二代、後伏見院。諱は胤仁(たねひと)、伏見院の第一皇子である。母は永福門院、藤原鏱子で、入道太政大臣(西園寺)実兼の娘である。実の母は准三宮藤原経子で、入道参議経氏の娘である。戊戌の年(一二九八年)に即位し、己亥の年に改元した。天下を治められること三年。位を譲られることがあった。尊号は例のとおりである。正和の頃、父の上皇(伏見院)の御譲りによって院として世を治められた。時の天皇(花園天皇)は弟であったが、猶子の扱いであったという。元弘に世の中が乱れたとき、またしばらく世を治められた。世の中が改まっても、変わらず都に住んでおられたが、出家なさって、四十九歳でお亡くなりになった。

解説

短い記事だが、親房が何を書き何を省くかがよく見える。在位三年で「推譲のことあり」とだけ記し、譲位の事情には踏み込まない。院政をとったのは二度で、二度目は元弘の乱、すなわち後醍醐天皇が都を出て、鎌倉方が光厳天皇を立てた時期にあたるが、ここでは「世の中みだれし時又しばらくしらせ給」とだけ書く。弟の花園天皇を猶子とする形で院政をとったことも記している。兄が弟を子とみなすことで、父から子へ伝える形を整えるのである。建武の新政ののちも都にとどまって出家し、そのまま世を去ったと結ぶ。対立する持明院統の院であっても、非難の言葉はほとんど使わず、系譜の記事として淡々と記録している。「代」だけを数えて「世」を付けない扱いは、父の伏見院と同じである。

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