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神皇正統記 / 巻五 第七十二代 白河院

第七十二代、第三十九世、白河院。諱は貞仁、後三条第一の子。御母贈皇太后藤原茂子、贈太政大臣能信の女、実は中納言公成の女也。壬子年即位、甲寅に改元。古のあとをおこされて野の行幸なんどもあり。又白河に法勝寺を立、九重の塔婆なども昔の御願の寺々にもこえ、ためしなきほどぞつくりとゝのへさせ給ける。このゝち代ごとにうちつゞき御願寺を立られしを、造寺熾盛のそしり有き。造作のために諸国の重任なんど云ことおほくなりて、受領の功課もたゞしからず、封戸・庄園あまたよせおかれて、まことに国の費とこそ成侍にしか。天下を治給こと十四年。太子にゆづりて尊号あり。世の政をはじめて院中にてしらせ給。後に出家せさせ給ても猶そのまゝにて御一期はすごさせまし〳〵き。おりゐにて世をしらせ給こと昔はなかりしなり。孝謙脱屣の後にぞ廃帝は位にゐ給ばかりとみえたれど、古代のことなればたしかならず。嵯峨・清和・宇多の天皇もたゞゆづりてのかせ給。円融の御時はやう〳〵しらせ給こともありしにや。

書き下し

第七十二代、第三十九世、白河院。諱は貞仁、後三条第一の子。御母贈皇太后藤原茂子、贈太政大臣能信の女、実は中納言公成の女也。壬子年即位、甲寅に改元。古のあとをおこされて野の行幸なんどもあり。又白河に法勝寺を立、九重の塔婆なども昔の御願の寺々にもこえ、ためしなきほどぞつくりとゝのへさせ給ける。このゝち代ごとにうちつゞき御願寺を立られしを、造寺熾盛のそしり有き。造作のために諸国の重任なんど云ことおほくなりて、受領の功課もたゞしからず、封戸・庄園あまたよせおかれて、まことに国の費とこそ成侍にしか。天下を治給こと十四年。太子にゆづりて尊号あり。世の政をはじめて院中にてしらせ給。後に出家せさせ給ても猶そのまゝにて御一期はすごさせましましき。おりゐにて世をしらせ給こと昔はなかりしなり。孝謙脱屣の後にぞ廃帝は位にゐ給ばかりとみえたれど、古代のことなればたしかならず。嵯峨・清和・宇多の天皇もたゞゆづりてのかせ給。円融の御時はやうやうしらせ給こともありしにや。

現代語訳

第七十二代、第三十九世、白河院。諱は貞仁、後三条天皇の第一の子である。御母は贈皇太后藤原茂子で、贈太政大臣能信の娘ということになっているが、実は中納言公成の娘である。壬子の年(1072年)に即位し、甲寅に改元した。古い行事の跡を再興されて、野の行幸(遊猟の行幸)なども行われた。また白河に法勝寺を建て、九重の塔なども、昔の御願寺の数々をしのぐ前例のないほどのものを造りととのえられた。この後、代ごとに引きつづき御願寺を建てられたので、寺の造営が盛んにすぎるという非難があった。造営のために諸国の国司の重任(同じ者を続けて任じること)などということが多くなって、受領の勤務評定も正しく行われず、封戸や荘園も数多く寄進されて、まことに国の費えとなってしまった。天下を治められたこと十四年。皇太子に位を譲って尊号を受けられた。世の政を初めて院の御所でおとりになった。後に出家なさってもなおそのままで、ご生涯を過ごされた。位を退いてから世を治めることは、昔はなかったのである。孝謙天皇が位を退かれた後に、廃帝(淳仁天皇)はただ位に即いておられただけのように見えるけれども、古い時代のことなので確かではない。嵯峨・清和・宇多の天皇もただ位を譲って退かれた。円融天皇の御時には、だんだんと政にかかわられることもあったのだろうか。

解説

院政の始まりを記す段である。親房は白河院の事業のうち、まず法勝寺と九重の塔を挙げ、それが代々の御願寺造営の口火となって「造寺熾盛のそしり」を招いたと書く。寺を造る費用のために国司の重任が増え、受領の成績評価がゆがみ、荘園の寄進が重なって「国の費」となった。信心の事業であっても、財政と人事の仕組みを壊せば国を損なう、という見方である。そのうえで「世の政をはじめて院中にてしらせ給」と院政の開始をはっきり書き、退位した君が世を治めることは昔はなかったと、孝謙・嵯峨・清和・宇多・円融の先例を一つずつ点検している。新しい形が始まるとき、それが本当に初めてなのかを先例に照らして確かめる。系譜を書く筆のなかに、制度史の目がはっきり働いている。

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