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神皇正統記 / 巻三 第三十四代 推古天皇

此ころほひは、もろこしには隋の世也。南北朝相分しが、南は正統をうけ、北は戎狄よりおこりしかども、中国をば北朝にぞをさめける。隋は北朝の後周と云しがゆづりをうけたりき。後に南朝の陳をうちたひらげて、一統の世となれり。此天皇の元年癸丑は文帝一統の後四年也。十三年乙丑は煬帝の即位元年にあたれり。彼国よりはじめて使をおくり、よしみを通じけり。

書き下し

此ころほひは、もろこしには隋の世也。南北朝相分しが、南は正統をうけ、北は戎狄よりおこりしかども、中国をば北朝にぞをさめける。隋は北朝の後周と云しがゆづりをうけたりき。後に南朝の陳をうちたひらげて、一統の世となれり。此天皇の元年癸丑は文帝一統の後四年也。十三年乙丑は煬帝の即位元年にあたれり。彼国よりはじめて使をおくり、よしみを通じけり。

現代語訳

このころ、中国は隋の世である。南北朝に分かれていたが、南は正統を受け継ぎ、北は戎狄(異民族)から起こったものの、中国の地は北朝が治めていた。隋は北朝の後周というものから譲りを受けたのであった。のちに南朝の陳を討ち平らげて、統一の世となった。この天皇の元年癸丑は、文帝による統一の後四年である。十三年乙丑は煬帝の即位元年にあたる。かの国からはじめて使いを送り、よしみを通じてきた。

解説

推古朝の記事の間に、中国の情勢を差し挟んだ段である。親房は中国の南北朝について、南が正統を受け継ぎ、北は異民族から起こったと明言する。そのうえで、中国の地を実際に治めたのは北朝であり、隋は北朝の系統から出て南朝の陳を滅ぼし天下を統一したと書く。正統を持つ側と実際の支配を握る側が一致しないことを、親房は冷静に認めているのである。これを書いた親房自身が、正統を掲げる吉野の南朝に仕え、京を押さえた北朝と争っていた。中国の南北朝をめぐるこの記述は、単なる年紀の対照ではなく、自分たちの立場をどう見るかという問いと重なって読める。正しさと実力が分かれるとき、どちらを軸に歴史を書くか。この書全体が、その問いへの親房の答えになっている。

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