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神皇正統記 / 巻二 第二十代 允恭天皇

第二十代、允恭天皇は仁徳第四[の]子、履中反正同母[の]弟也。壬子の年即位。大和の遠明日香の宮にまします。此御時までは三韓の御調年々にかはらざりしに、これより後はつねにおこたりけりとなん。八年己未にあたりて、もろこしの晉ほろびて南北朝となる。宋・齊・梁・陳あひつぎて起る。是を南朝と云ふ。後魏・北齊・後周つぎ〳〵におこれりしを北朝と云ふ。百七十余年はならびて立たりき。此天皇天下を治給こと四十二年。八十歳おまし〳〵き。

新字:第二十代、允恭天皇は仁徳第四[の]子、履中反正同母[の]弟也。壬子の年即位。大和の遠明日香の宮にまします。此御時までは三韓の御調年々にかはらざりしに、これより後はつねにおこたりけりとなん。八年己未にあたりて、もろこしの晋ほろびて南北朝となる。宋・斉・梁・陳あひつぎて起る。是を南朝と云ふ。後魏・北斉・後周つぎ〳〵におこれりしを北朝と云ふ。百七十余年はならびて立たりき。此天皇天下を治給こと四十二年。八十歳おまし〳〵き。

書き下し

第二十代、允恭天皇は仁徳第四の子、履中反正同母の弟也。壬子の年即位。大和の遠明日香の宮にまします。此御時までは三韓の御調年々にかはらざりしに、これより後はつねにおこたりけりとなん。八年己未にあたりて、もろこしの晋ほろびて南北朝となる。宋・斉・梁・陳あひつぎて起る。是を南朝と云ふ。後魏・北斉・後周つぎつぎにおこれりしを北朝と云ふ。百七十余年はならびて立たりき。此天皇天下を治給こと四十二年。八十歳おましましき。

現代語訳

第二十代、允恭天皇は仁徳天皇の第四の子で、履中・反正両天皇と同じ母の弟である。壬子の年に即位された。大和の遠明日香宮(とおつあすかのみや)におられた。この御時までは三韓からの貢ぎ物が毎年変わらず届いていたが、これより後はしばしば怠るようになったという。治世八年の己未にあたって、中国の晋が滅び、南北朝となった。宋・斉・梁・陳が相次いで起こった。これを南朝という。後魏・北斉・後周が次々に起こったのを北朝という。百七十年余りは並び立っていた。この天皇が天下を治められたのは四十二年で、八十歳であられた。

解説

允恭天皇の条は短いが、二つの目が外へ向いている。一つは朝鮮半島で、三韓の貢ぎがこの代を境に途絶えがちになったと記す。神功皇后以来の関係が緩んでいくことを、親房は治世の評価と結びつけずに事実として置いている。もう一つは中国で、晋が滅んで南北朝が並び立ったことを、允恭八年の己未に当てて書き込む。親房は日本の代ごとに中国の王朝の動きを並べて記すことが多く、年紀を東アジア全体の時間の中に置こうとしている。そして「南朝」「北朝」という言葉がここで出てくる。この書を書いている親房自身が、吉野の南朝に仕え、京の北朝と争っている最中である。百七十年余り二つの朝廷が並び立った中国の例を記す筆に、自分の時代への意識がなかったとは考えにくい。

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