神皇正統記 / 巻三 第二十三代 清寧天皇
第二十三代、清寧天皇は雄略第三の子。御母韓姫、葛城の円の大臣の女也。庚申の年即位。大倭の磐余甕栗の宮にまします。誕生の始、白髪おはしければ、しらかの天皇とぞ申ける。御子なかりしかば、皇胤のたえぬべき事を歎給て、国々へ勅使をつかはして皇胤を求らる。市辺の押羽の皇子、雄略にころされ給しとき、皇女一人、皇子二人ましけるが、丹波国にかくれ給けるを求出て、御子にしてやしなひ給けり。天下を治給こと五年。三十九歳おまし〳〵き。
新字:第二十三代、清寧天皇は雄略第三の子。御母韓姫、葛城の円の大臣の女也。庚申の年即位。大倭の磐余甕栗の宮にまします。誕生の始、白髪おはしければ、しらかの天皇とぞ申ける。御子なかりしかば、皇胤のたえぬべき事を嘆給て、国々へ勅使をつかはして皇胤を求らる。市辺の押羽の皇子、雄略にころされ給しとき、皇女一人、皇子二人ましけるが、丹波国にかくれ給けるを求出て、御子にしてやしなひ給けり。天下を治給こと五年。三十九歳おまし〳〵き。
書き下し
第二十三代、清寧天皇は雄略第三の子。御母韓姫、葛城の円の大臣の女也。庚申の年即位。大倭の磐余甕栗の宮にまします。誕生の始、白髪おはしければ、しらかの天皇とぞ申ける。御子なかりしかば、皇胤のたえぬべき事を歎給て、国々へ勅使をつかはして皇胤を求らる。市辺の押羽の皇子、雄略にころされ給しとき、皇女一人、皇子二人ましけるが、丹波国にかくれ給けるを求出て、御子にしてやしなひ給けり。天下を治給こと五年。三十九歳おましましき。
現代語訳
第二十三代、清寧天皇は雄略天皇の第三の子である。母は韓媛(からひめ)で、葛城円大臣の娘である。庚申の年に即位された。大和の磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)におられた。お生まれになったときから白髪がおありだったので、白髪(しらか)の天皇と申し上げた。御子がなかったので、皇統が絶えてしまうことを嘆かれて、国々へ勅使を遣わして皇族の血筋を探させた。市辺押羽皇子が雄略天皇に殺されたとき、皇女一人と皇子二人がおられたが、丹波国に隠れておられたのを探し出して、御子として養われた。天下を治められたのは五年で、三十九歳であられた。
解説
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