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神皇正統記 / 巻二 第十六代 応神天皇

第十六代、第十五世、応神天皇は仲哀第四の子。御母神功皇后也。胎中の天皇とも、又は誉田天皇ともなづけたてまつる。庚寅年即位。大和の軽嶋豊明の宮にまします。此時百済より博士をめし、経史をつたへられ、太子以下これをまなびならひき。此国に経史及文字をもちゐることは、これよりはじまれりとぞ。異朝の一書の中に、「日本は呉の太伯が後也と云ふ。」といへり。返々あたらぬことなり。昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代にやきすてられしなり。天地開て後、すさのをの尊韓の地にいたり給きなど云事あれば、彼等の国々も神の苗裔ならん事、あながちにくるしみなきにや。それすら昔よりもちゐざること也。天地神の御すゑなれば、なにしにか代くだれる呉太伯が後にあるべき。三韓・震旦に通じてより以来、異国の人おほく此国に帰化しき。秦のすゑ、漢のすゑ、高麗・百済の種、それならぬ蕃人の子孫もきたりて、神・皇の御すゑと混乱せしによりて、姓氏録と云文をつくられき。それも人民にとりてのことなるべし。

書き下し

第十六代、第十五世、応神天皇は仲哀第四の子。御母神功皇后也。胎中の天皇とも、又は誉田天皇ともなづけたてまつる。庚寅年即位。大和の軽嶋豊明の宮にまします。此時百済より博士をめし、経史をつたへられ、太子以下これをまなびならひき。此国に経史及文字をもちゐることは、これよりはじまれりとぞ。異朝の一書の中に、「日本は呉の太伯が後也と云ふ。」といへり。返々あたらぬことなり。昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代にやきすてられしなり。天地開て後、すさのをの尊韓の地にいたり給きなど云事あれば、彼等の国々も神の苗裔ならん事、あながちにくるしみなきにや。それすら昔よりもちゐざること也。天地神の御すゑなれば、なにしにか代くだれる呉太伯が後にあるべき。三韓・震旦に通じてより以来、異国の人おほく此国に帰化しき。秦のすゑ、漢のすゑ、高麗・百済の種、それならぬ蕃人の子孫もきたりて、神・皇の御すゑと混乱せしによりて、姓氏録と云文をつくられき。それも人民にとりてのことなるべし。

現代語訳

第十六代、第十五世、応神天皇は仲哀天皇の第四の子。御母は神功皇后である。胎中の天皇とも、また誉田天皇ともお名づけ申しあげる。庚寅の年に即位。大和の軽嶋の豊明の宮においでになる。この時、百済から博士を召して経書・史書を伝えられ、太子以下がこれを学び習った。この国で経史と文字を用いることは、これから始まったという。異国の一書の中に、「日本は呉の太伯の後裔であるという」と言っている。まったく当たらないことである。昔、日本は三韓と同じ種族であるということを書いた書があったが、その書は桓武天皇の御代に焼き捨てられた。天地が開けて後、素戔烏尊が韓の地に至られたなどということもあるので、彼らの国々も神の子孫であることは、あながち差し支えないのであろうか。それさえ昔から用いないことである。天地の神の御末であるのだから、どうして時代の下った呉の太伯の子孫であろうか。三韓・震旦と通じてより以来、異国の人が多くこの国に帰化した。秦の末裔、漢の末裔、高麗・百済の種族、そのほかの蕃人の子孫もやって来て、神や皇族の子孫と入り混じったので、姓氏録という書を作られた。それも人民についてのことであろう。

解説

応神天皇の代に、百済から博士が来て経書と史書が伝わり、この国で文字が使われ始めたと親房は記す。前の巻で、孝霊天皇の代に書物が伝わったという異国の話を紹介しながら、国内の言い伝えではこの応神の代を始まりとすると述べていたのと対応している。続いて親房は、中国の史書にある日本人は呉の太伯の子孫だという説を「返々あたらぬこと」と強く退ける。日本は天地の神の子孫であって、時代の下った異国の人の末ではない、という主張である。一方で、素戔烏尊が韓の地に渡った伝えがあるから、三韓の国々が神の子孫であっても差し支えないのではないかとも述べている。そのうえで、渡来した人々が増えて血筋が入り混じったので、姓氏録を作って出自を整理したと記す。自分たちの起源をどこに置くかは、その集団の自己理解を決める。親房はそこを譲らなかった。

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