神皇正統記 / 巻二 第十五代 神功皇后
第十五代、神功皇后は息長の宿禰の女、開化天皇四世の御孫也。息長足姫の尊と申す。仲哀たてゝ皇后とす。仲哀神のをしへによらず、世を早くし給しかば、皇后いきどほりまして、七日あ[つ]て別殿を作り、いもほりこもらせ給。此時応神天皇はらまれまし〳〵けり。神がゝりてさま〴〵道ををしへ給ふ。此神は「表筒男・中筒男・底筒男なり。」となんなのり給けり。是は伊弉諾尊日向の小戸の川檍が原にてみそぎし給し時、化生しましける神也。後には摂津国住吉にいつかれ給神これなり。かくて新羅・百済・高麗をうちしたがへ給き。海神かたちをあらはし、御船をはさみまぼり申しかば、思の如く彼国を平げ給。神代より年序久くつもれりしに、かく神威をあらはし給ける、不測御ことなるべし。海中にして如意の珠を得給へりき。さてつくしにかへりて皇子を誕生す。応神天皇にまします。神の申給しによりて、是を胎中の天皇とも申。皇后摂政して辛巳年より天下をしらせ給。
新字:第十五代、神功皇后は息長の宿祢の女、開化天皇四世の御孫也。息長足姫の尊と申す。仲哀たてゝ皇后とす。仲哀神のをしへによらず、世を早くし給しかば、皇后いきどほりまして、七日あ[つ]て別殿を作り、いもほりこもらせ給。此時応神天皇はらまれまし〳〵けり。神がゝりてさま〴〵道ををしへ給ふ。此神は「表筒男・中筒男・底筒男なり。」となんなのり給けり。是は伊弉諾尊日向の小戸の川檍が原にてみそぎし給し時、化生しましける神也。後には摂津国住吉にいつかれ給神これなり。かくて新羅・百済・高麗をうちしたがへ給き。海神かたちをあらはし、御船をはさみまぼり申しかば、思の如く彼国を平げ給。神代より年序久くつもれりしに、かく神威をあらはし給ける、不測御ことなるべし。海中にして如意の珠を得給へりき。さてつくしにかへりて皇子を誕生す。応神天皇にまします。神の申給しによりて、是を胎中の天皇とも申。皇后摂政して辛巳年より天下をしらせ給。
書き下し
第十五代、神功皇后は息長の宿禰の女、開化天皇四世の御孫也。息長足姫の尊と申す。仲哀たてゝ皇后とす。仲哀神のをしへによらず、世を早くし給しかば、皇后いきどほりまして、七日あつて別殿を作り、いもほりこもらせ給。此時応神天皇はらまれましましけり。神がゝりてさまざま道ををしへ給ふ。此神は「表筒男・中筒男・底筒男なり。」となんなのり給けり。是は伊弉諾尊日向の小戸の川檍が原にてみそぎし給し時、化生しましける神也。後には摂津国住吉にいつかれ給神これなり。かくて新羅・百済・高麗をうちしたがへ給き。海神かたちをあらはし、御船をはさみまぼり申しかば、思の如く彼国を平げ給。神代より年序久くつもれりしに、かく神威をあらはし給ける、不測御ことなるべし。海中にして如意の珠を得給へりき。さてつくしにかへりて皇子を誕生す。応神天皇にまします。神の申給しによりて、是を胎中の天皇とも申。皇后摂政して辛巳年より天下をしらせ給。
現代語訳
第十五代、神功皇后は息長宿禰の娘で、開化天皇の四世の御孫である。息長足姫尊と申しあげる。仲哀天皇が立てて皇后とした。仲哀天皇が神のお教えに従わず早く世を去られたので、皇后は憤られて、七日経って別殿を造り、斎み籠もられた。この時、応神天皇を身ごもっておられた。神がかりして、神がさまざまに道をお教えになった。この神は「表筒男・中筒男・底筒男である」と名のられた。これは伊弉諾尊が日向の小戸の川の檍原で禊をされたとき化生された神である。後に摂津国の住吉に祀られている神がこれである。こうして新羅・百済・高麗を討ち従えられた。海神が姿を現して御船を挟み守り申しあげたので、思いどおりにかの国々を平らげられた。神代から年月が長く積もっていたのに、このように神威を現されたのは、測り知れないことであろう。海中で如意の珠を得られた。さて筑紫に帰って皇子を出産された。応神天皇でいらっしゃる。神が申されたことによって、これを胎中の天皇とも申しあげる。皇后は摂政として辛巳の年から天下を治められた。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻二 第十五代 神功皇后皇后いまだ筑紫にましましし時、皇子の異母の兄忍熊の王謀反をおこして、ふせぎ申さんとしければ、皇子をば武内の大臣にいだかせて、紀伊の水門につけ、皇后はすぐに難波につき給て、程なく其乱を平げられにき。皇子おとなび給しかば皇太子とす。武内の大臣もはら朝政を輔佐し申けり。大和の磐余稚桜の宮にまします。是より三韓の国、年ごとに御つきをそなへ、此国よりも彼国に鎮守のつかさをおかれしかば、西蕃相通て国家とみさかりなりき。又もろこしへも使をつかはされけるにや。「倭国の女王遣使て来朝す。」と後漢書にみえたり。元年辛巳年は漢の孝献帝二十三年にあたる。漢の世始りて十四代と云し時、王莽と云臣位をうばひて十四年ありき。其後漢にかへりて、又十三代孝献の時に、漢は滅して此御代の十九年己亥に献帝位をさりて、魏の文帝にゆづる。是より天下三にわかれて、魏・蜀・呉となる。呉は東によれる国なれば、日本の使もまづ通じけるにや。呉国より道々のたくみなどまでわたされき。
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『神皇正統記』巻二 第十五代 神功皇后又魏国にも通ぜられけるかとみえたり。四十九年乙酉と云し年、魏又滅て晋の代にうつりにき。此皇后天下を治給こと六十九年。一百歳おましましき。
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『神皇正統記』巻二 第十六代 応神天皇第十六代、第十五世、応神天皇は仲哀第四の子。御母神功皇后也。胎中の天皇とも、又は誉田天皇ともなづけたてまつる。庚寅年即位。大和の軽嶋豊明の宮にまします。此時百済より博士をめし、経史をつたへられ、太子以下これをまなびならひき。此国に経史及文字をもちゐることは、これよりはじまれりとぞ。異朝の一書の中に、「日本は呉の太伯が後也と云ふ。」といへり。返々あたらぬことなり。昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代にやきすてられしなり。天地開て後、すさのをの尊韓の地にいたり給きなど云事あれば、彼等の国々も神の苗裔ならん事、あながちにくるしみなきにや。それすら昔よりもちゐざること也。天地神の御すゑなれば、なにしにか代くだれる呉太伯が後にあるべき。三韓・震旦に通じてより以来、異国の人おほく此国に帰化しき。秦のすゑ、漢のすゑ、高麗・百済の種、それならぬ蕃人の子孫もきたりて、神・皇の御すゑと混乱せしによりて、姓氏録と云文をつくられき。それも人民にとりてのことなるべし。
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『神皇正統記』巻二 第十四代 仲哀天皇第十四代、第十四世、仲哀天皇は日本武尊第二の子、景行御孫也。御母両道入姫、垂仁天皇の女也。大祖神武より第十二代景行までは代のまゝに継体し給。日本武尊世をはやくし給しによりて、成務是をつぎ給。此天皇を太子としてゆづりましまししより、代と世とかはれる初也。これよりは世を本としるし奉べき也。此天皇御かたちいときらきらしく、御たけ一丈ましましける。壬申の年即位。此御時熊襲又反乱して朝貢せず。天皇軍をめしてみづから征伐をいたし、筑紫にむかひ給。皇后息長足姫尊は越前の国笥飯の神にまうでゝ、それより北海をめぐりて行あひ給ぬ。こゝに神ありて皇后にかたり奉る。「これより西に宝の国あり。うちてしたがへ給へ。熊襲は小国也。又伊弉諾・伊弉冊のうみ給へりし国なれば、うたずともつひにしたがひたてまつりなん。」とありしを、天皇うけがひ給はず。事ならずして橿日の行宮にしてかくれ給。長門にをさめ奉る。是を穴戸豊浦の宮と申す。天下を治給こと九年。五十二歳おましましき。
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『神皇正統記』巻六 第九十五代 後醍醐天皇かねて時をもさとらしめ給けるにや、まへの夜より親王をば左大臣の亭へうつし奉られて、三種の神器を伝へ申さる。後の号をば、仰のまゝにて後醍醐天皇と申。天下を治給こと二十一年。五十二歳おましましき。昔仲哀天皇熊襲をせめさせ給し行宮にて神さりましましき。されど神功皇后程なく三韓をたひらげ、諸皇子の乱をしづめられて、胎中天皇の御代にさだまりき。この君聖運ましまししかば、百七十余年中たえにし一統の天下をしらせ給て、御目の前にて日嗣をさだめさせ給ぬ。功もなく徳もなきぬす人世におごりて、四とせ余がほど宸襟をなやまし、御世をすぐさせ給ぬれば、御怨念の末むなしく侍りなんや。今の御門また天照太神よりこのかたの正統をうけましましぬれば、この御光にあらそひたてまつる者やはあるべき。中々かくてしづまるべき時の運とぞおぼえ侍る。
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