神皇正統記 / 巻二 第一代 神武天皇
此大八州は皆是王地也。神代幽昧なりしによりて西偏の国にして、おほくの年序をおくられけるにこそ。天皇舟楫をとゝのへ、甲兵をあつめて、大日本州にむかひ給。みちのついでの国々をたひらげ、大やまとにいりまさむとせしに、其国に天の神饒の速日の尊の御すゑ宇麻志間見の命と云神あり。外舅の長髄彦と云、「天神の御子両種有むや。」とて、軍をおこしてふせぎたてまつる。其軍こはくして皇軍しば〳〵利をうしなふ。又邪神毒気をはきしかば、士卒みなやみふせり。こゝに天照太神、健甕槌の神をめして、「葦原の中つ州にさわぐおとす。汝ゆきてたひらげよ。」とみことのりし給。健甕槌の神申給けるは、「昔国をたひらげし時[の]剣あり。かれをくださば、自らたひらぎなん。」と申て、紀伊国名草の村に高倉下命と云神にしめして、此剣をたてまつりければ、天皇悦給て、士卒のやみふせりけるもみなおきぬ。又神魂の命の孫、武津之身命大烏となりて軍の御さきにつかうまつる。天皇ほめて八咫烏と号し給。又金色の鴟くだりて皇弓のはずにゐたり。
書き下し
此大八州は皆是王地也。神代幽昧なりしによりて西偏の国にして、おほくの年序をおくられけるにこそ。天皇舟楫をとゝのへ、甲兵をあつめて、大日本州にむかひ給。みちのついでの国々をたひらげ、大やまとにいりまさむとせしに、其国に天の神饒の速日の尊の御すゑ宇麻志間見の命と云神あり。外舅の長髄彦と云、「天神の御子両種有むや。」とて、軍をおこしてふせぎたてまつる。其軍こはくして皇軍しばしば利をうしなふ。又邪神毒気をはきしかば、士卒みなやみふせり。こゝに天照太神、健甕槌の神をめして、「葦原の中つ州にさわぐおとす。汝ゆきてたひらげよ。」とみことのりし給。健甕槌の神申給けるは、「昔国をたひらげし時の剣あり。かれをくださば、自らたひらぎなん。」と申て、紀伊国名草の村に高倉下命と云神にしめして、此剣をたてまつりければ、天皇悦給て、士卒のやみふせりけるもみなおきぬ。又神魂の命の孫、武津之身命大烏となりて軍の御さきにつかうまつる。天皇ほめて八咫烏と号し給。又金色の鴟くだりて皇弓のはずにゐたり。
現代語訳
この大八州はみなすべて王の地である。神代は暗くはっきりしなかったので、西の片隅の国で多くの年を送られたのであろう。天皇は船と楫を整え、兵を集めて、大日本州(大和)に向かわれた。道すがらの国々を平らげ、大和に入ろうとされたところ、その国に天神の饒速日尊の末裔で宇麻志間見命という神がいた。その母方の伯父の長髄彦という者が、「天神の御子が二通りもあるものか」と言って、軍を起こして防ぎ申した。その軍は強く、皇軍はしばしば敗れた。また邪神が毒気を吐いたので、兵士はみな病み伏した。ここに天照大神が健甕槌神を召して、「葦原の中つ国に騒ぐ音がする。汝行って平らげよ」と命じられた。健甕槌神が申されるには、「昔国を平らげたときの剣がある。それを降せば、自ずと平らぐだろう」と申して、紀伊国名草の村の高倉下命という神に示して、この剣を献上させたところ、天皇は喜ばれ、病み伏していた兵士もみな起き上がった。また神魂命の孫の武津之身命が大烏となって軍の先導を務めた。天皇は褒めて八咫烏と名づけられた。また金色の鵄が降りて天皇の弓の弭(はず)にとまった。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻二 第一代 神武天皇其光てりかゞやけり。これによりて皇軍大にかちぬ。宇麻志間見の命其舅のひがめる心をしりて、たばかりてころしつ。その軍をひきゐてしたがひ申にけり。天皇はなはだほめましまして、天よりくだれる神剣をさづけ、「其大勲にこたふ。」とぞのたまはせける。此剣を豊布都の神と号す。はじめは大和の石上にましましき。後には常陸の鹿嶋の神宮にまします。彼宇麻志間見の命又饒速日の尊天降し時、外祖高皇産霊の尊さづけ給し十種の瑞宝を伝へもたりけるを天皇に奉る。天皇鎮魂の瑞宝也しかば、其祭を始られにき。此宝をも即宇麻志間見にあづけ給て、大和石上に安置す。又は布瑠と号。此瑞宝を一づゝよびて、呪文をして、ふる事あるによれるなるべし。かくて天下たひらぎにしかば、大和国橿原に都をさだめて、宮つくりす。其制度天上の儀のごとし。天照太神より伝給へる三種の神器を大殿に安置し、床を同くしまします。皇宮・神宮一なりしかば、国々の御つき物をも斎蔵にをさめて官物・神物のわきだめなかりき。
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『古語拾遺』佐命の勲神武天皇東征の年に逮びて、大伴氏の遠祖日臣命、将元戎を帥督し、兇渠を剪除す。佐命の勲、比肩する有る無し。物部氏の遠祖饒速日命、殺虜し、衆を帥いて官軍に帰順す。忠誠の効、殊に襃寵を蒙る。大和氏の遠祖椎根津彦は皇舟を迎え引き、績を香山の巓に表す。賀茂県主の遠祖八咫烏は、宸駕を奉導し、瑞を菟田の径に顕す。
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『神皇正統記』巻二 第十二代 景行天皇とをしへ給ける。駿河にいたるに、賊徒野に火をつけて害したてまつらんことをはかりけり。火のいきほひまぬかれがたかりけるに、はかせる叢雲の剣をみづからぬきて、かたはらの草をなぎてはらふ。これより名をあらためて草薙の剣と云ふ。又火うちをもて火を出て、むかひ火を付て、賊徒を焼ころされにき。これより船に乗給て上総にいたり、転じて陸奥国にいり、日高見の国にいたり、悉蝦夷を平げ給。かへりて常陸をへ甲斐にこえ、又武蔵・上野をへて、碓日坂にいたり、弟橘媛と云し妾をしのび給。東南の方をのぞみて、「吾嬬者耶。」との給しより、山東の諸国をあづまと云也。これより道をわけ、吉備の武彦をば越後国に遣して不順者を平しめ給。尊は信濃より尾張にいで給。かの国に宮簀媛と云女あり。尾張の稲種宿禰の妹也。此女をめして淹留給あひだ、五十葺の山に荒神ありときこえければ、剣をば宮簀媛の家にとゞめて、かちよりいでます。山神化して小蛇になりて、御道によこたはれり。
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