神皇正統記 / 巻一 地神第五代 鸕鶿草葺不合尊
すべて天下を治給こと八十三万六千四十三年と云り。これより上つかたを地神五代とは申けり。二代は天上にとゞまり給。下三代は西の州宮にて多の年をおくりまします。神代のことなれば、其行迹たしかならず。葺不合の尊八十三万余年まし〳〵しに、その御子磐余彦尊の御代より、にはかに人王の代となりて、暦数も短くなりにけること疑ふ人もあるべきにや。されど、神道の事おしてはかりがたし。まことに磐長姫の詛けるまゝ寿命も短くなりしかば、神のふるまひにもかはりて、やがて人の代となりぬるか。天竺の説の如く次第ありて減たりとはみえず。又百王ましますべしと申める。十々の百には非るべし。窮なきを百とも云り。百官百姓など云にてしるべき也。昔、皇祖天照太神天孫の尊に御ことのりせしに、「宝祚之隆当与天壌無窮。」とあり。天地も昔にかはらず。日月も光をあらためず。況や三種の神器世に現在し給へり。きはまりあるべからざるは我国を伝る宝祚也。あふぎてた[つ]とびたてまつるべきは日嗣をうけ給すべらぎになんおはします。
書き下し
すべて天下を治給こと八十三万六千四十三年と云り。これより上つかたを地神五代とは申けり。二代は天上にとゞまり給。下三代は西の州宮にて多の年をおくりまします。神代のことなれば、其行迹たしかならず。葺不合の尊八十三万余年ましまししに、その御子磐余彦尊の御代より、にはかに人王の代となりて、暦数も短くなりにけること疑ふ人もあるべきにや。されど、神道の事おしてはかりがたし。まことに磐長姫の詛けるまゝ寿命も短くなりしかば、神のふるまひにもかはりて、やがて人の代となりぬるか。天竺の説の如く次第ありて減たりとはみえず。又百王ましますべしと申める。十々の百には非るべし。窮なきを百とも云り。百官百姓など云にてしるべき也。昔、皇祖天照太神天孫の尊に御ことのりせしに、「宝祚之隆当与天壌無窮。」とあり。天地も昔にかはらず。日月も光をあらためず。況や三種の神器世に現在し給へり。きはまりあるべからざるは我国を伝る宝祚也。あふぎてたつとびたてまつるべきは日嗣をうけ給すべらぎになんおはします。
現代語訳
すべて天下を治められたことは八十三万六千四十三年という。これより上を地神五代と申すのである。二代は天上にとどまられた。下の三代は西の州の宮で多くの年を送られた。神代のことなので、その事跡は確かではない。葺不合尊は八十三万余年もおられたのに、その御子の磐余彦尊の御代から、にわかに人の代となって年数も短くなったことを疑う人もあるだろう。しかし神道のことは推し量りがたい。まことに磐長姫が呪ったとおりに寿命も短くなったので、神のふるまいとも変わって、そのまま人の代となったのであろうか。天竺の説のように順を追って減ったとは見えない。また「百王まします」と申すようだが、それは十の十倍の百ではあるまい。窮まりないことを百とも言うのである。百官・百姓などと言うことで知るべきである。昔、皇祖天照大神が天孫の尊に詔されたとき、「宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と窮り無かるべし」とあった。天地も昔と変わらない。日月も光を改めない。まして三種の神器は世に現にあられる。窮まりのあるはずがないのは、わが国を伝える皇位である。仰いで尊び申しあげるべきは、日嗣を受けられる天皇でいらっしゃる。
解説
関連する章句
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『神皇正統記』巻一 地神第五代 鸕鶿草葺不合尊第五代、彦波激武鸕鶿草葺不合尊と申。御母豊玉姫の名づけ申ける御名なり。御姨玉依姫にとつぎて四はしらの御子をうましめ給ふ。彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、日本磐余彦の尊と申す。磐余彦尊を太子に立てて天日嗣をなんつがしめましましける。此神の御代七十七万余年の程にや、もろこしの三皇の初、伏犠と云王あり。次、神農氏、次、軒轅氏、三代あはせて五万八千四百四十年。其後に少昊氏、顓頊氏、高辛氏、陶唐氏、有虞氏と云五帝あり。合て四百三十二年。其次、夏・殷・周の三代あり。夏には十七主、四百三十二年。殷には三十主、六百二十九年。周の代と成て第四代の主を昭王と云き。その二十六年甲寅の年までは周おこりて一百二十年。このとしは葺不合尊の八十三万五千六百六十七年にあたれり。ことし天竺に釈迦仏出世しまします。同き八十三万五千七百五十三年に、仏御年八十にて入滅しましましけり。もろこしには昭王の子、穆王の五十三年壬甲にあたれり。其後二百八十九年ありて、庚申にあたる年、此神かくれさせまします。
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『神皇正統記』巻一 地神第三代 瓊々杵尊かくてもろもろの悪神をばつみなへ、まつろへるをばほめて、天上にのぼりて返こと申給。大物主の神事代主の神、相共に八十万の神をひきゐて、天にまうづ。太神ことにほめ給き。「宜八十万の神を領て皇孫をまぼりまつれ。」とて、先かへしくだし給けり。其後、天照太神、高皇産霊尊相計て皇孫をくだし給。八百万の神、勅を承て御供につかうまつる。諸神の上首三十二神あり。其中に五部神と云は、天児屋命天太玉命天鈿女命石凝姥命玉屋命也。此中にも中臣・忌部の二神はむねと神勅をうけて皇孫をたすけまぼり給。又三種の神宝をさづけまします。先あらかじめ、皇孫に勅して曰、「葦原千五百秋之瑞穂国是吾子孫可主之地也なり。宜爾皇孫就而治焉。行給矣。宝祚之隆当与天壌無窮者矣。」又太神御手に宝鏡をもち給、皇孫にさづけ祝て、「吾児視此宝鏡当猶視吾。可与同床共殿以為斎鏡。」との給。八坂瓊の曲玉・天の叢雲の剣をくはへて三種とす。又「此鏡の如に分明なるをもて、天下に照臨給へ。八坂瓊のひろがれるが如く曲妙をもて天下をしろしめせ。
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『神皇正統記』巻二 第一代 神武天皇人皇第一代、神日本磐余彦天皇と申。後に神武となづけたてまつる。地神鸕鶿草葺不合の尊の第四の子。御母玉依姫、海神小童第二の女也。伊弉諾尊には六世、大日孁の尊には五世の天孫にまします。神日本磐余彦と申は神代よりのやまとことばなり。神武は中古となりて、もろこしの詞によりてさだめたてまつる御名也。又此御代より代ごとに宮所をうつされしかば、其所を名づけて御名とす。此天皇をば橿原の宮と申、是也。又神代より至て尊を尊と云、其次を命と云ふ。人の代となりては天皇とも号したてまつる。臣下にも朝臣・宿禰・臣などと、いふ号いできにけり。神武の御時よりはじまれる事なり。上古には尊とも命とも兼て称けるとみえたり。世くだりては天皇を尊と申こともみえず、臣を命と云事もなし。古語の耳なれずなれるゆゑにや。此天皇御年十五にて太子に立、五十一にて父神にかはりて皇位にはつかしめ給。ことし辛酉なり。筑紫日向の宮崎の宮におはしましけるが、兄の神達および皇子群臣に勅して、東征のことあり。
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『神皇正統記』巻一 地神第一代 天照太神地神第一代、大日孁尊。是を天照太神と申。又は日神とも皇祖とも申也。此神の生給こと三の説あり。一には伊弉諾・伊弉冊尊あひ計て、天下の主をうまざらんやとて、先、日神をうみ、次に、月神、次、蛭子、次、素戔烏尊を生給といへり。又は伊弉諾の尊、左御手に白銅の鏡をとりて大日孁の尊を化生し、右御手にとりて月弓の尊を生、御首をめぐらしてかへりみ給しあひだに、素戔烏尊を生ともいへり。又伊弉諾尊日向の小戸の川にてみそぎし給し時、左の御眼をあらひて天照太神を化生し、右の御眼をあらひて月読の尊を生、御鼻を洗て素戔烏尊を生じ給とも云ふ。日月神の御名も三あり、化生の所も三あれば、凡慮はかりがたし。又おはします所も、一には高天の原と云、二には日の小宮と云、三には我日本国これ也。八咫の御鏡をとらせましまして、「われをみるが如くにせよ。」と勅し給けること、和光の御誓もあらはれて、ことさらに深道あるべければ、三所に勝劣の義をば存ずべからざるにや。
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『神皇正統記』巻一 地神第四代 彦火々出見尊其後軽清物は天となり、重濁物は地となり、中和気は人となる。これを三才と云。其はじめの君盤古氏、天下を治こと一万八千年。天皇・地皇・人皇など云王相続て、九十一代一百八万二千七百六十年。さきにあはせて一百十万七百六十年。広雅と云書には、開闢より獲麟に至て二百七十六万歳とも云ふ。獲麟とは孔子の在世、魯の哀公の時なり。日本の懿徳にあたる。しからば、盤古のはじめは此尊の御代のすゑつかたにあたるべきにや。
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